ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 8月27日(木)晴れ
 飛騨・高山まで同窓会に行ってきた。小学校を卒業して64年になるが、毎年同窓会をやっているのも珍しい。我々は終戦の1945年に小学校を卒業した。敗戦の色濃い時代、「修学旅行」を経験しなかった唯一の世代だ。おとなになって修学旅行を自主的にやり、いらい続いている。
 同窓会は「鷹の会」という。校舎玄関の鴨居に彫刻の鷹が飾られていたのに由来する。その鷹は図書館のガラスケースに飾られていた。
 若いころは毎日が忙しく故旧と交わるゆとりもなかったが、ときおり参加できるようになって10年くらいになろうか。去年は長良川の鵜飼見物で楽しんだ。

 今年は45人の物故者の法要のため、高山別院に集まった。東京方面からの5人は、朝7時に新宿発の急行バスで高山に向かい、駅から別院に直行した。翌日は古刹や小学校の雨にたたられた遠足の地を訪れた足で、午後3時の新宿行き急行バスでに乗った。「これが77歳の旅行か」と思う強行軍だが、仕事のあるボクには幸いだった。
 遠足の美女峠から高山に戻る深い山並みの中で、「マキをおねた(背負った)のはこへんやった?」と言い出すおばあちゃんがいる。勤労動員で、小学校5年の時、山道を何キロも燃料用のマキを背負って運ばされた。男は何本、女は何本と持たされた。
 「おれ達が炭運びをしたのはこの辺からだったよな」…一人炭だわら一俵、雪深い小道をかついで農道まで出て、橇に積み、ロープをかけて数人で引いた。坂道を下る時は綱を後ろに引き、上り坂はみんなで押し上げた。途中で横殴りの雪が降ってきたが、頬につもり凍るのを拭くこともできなかった。それは小学校6年生の冬のことだ。昭和7年生まれは戦争にはいかなかった。勤労動員と疎開がボク等の戦争体験なのだ。
 宴会の席で乾杯の発声を言いつかったボクは言った。「平均寿命と平均余命は違う。夭逝した子どもや事故死も含めての平均寿命だ。77歳まで生き延びた平均余命は何年だろう? 100歳までは生き延びる可能性は大きい。鷹の会は100歳まで続けよう」。…戦中・戦後を生き抜いたボク等にはその権利があると思う。


 8月23日(日)晴れ
 お昼ごろ、内山専務理事のクルマに乗せてもらって、キャンプセミナーから帰宅した。山逢いの里キャンプ場は毎年通っているが、人のクルマで気楽に行ったのは初めてだ。
 往復のクルマだけでなくキャンプ中も若い役員たちが大事にしてくれて、大いに助かった。とくに昨日は蒸し暑くて、息をしているだけで疲れる感じだったので、年寄り扱いをありがたく素直にうけた。
 水遊びやキャンプファイヤーの写真を撮った。それだけの参加だったが、料理や飲み物を御馳走になりながら、話す機会のあまりないお父さんやお母さんと話し合う機会が持てて、本当によかった。


 8月21日(金)晴れ
 職員出勤日とともにオレンジ(延長保育)の子どもたちの特別保育が始まった。園庭の木にはセミがにぎやかだ。網を片手に男の子たちはセミ捕りに余念がない。夕方までに2匹捕った年中組の男の子がいた。
 昼寝の後、くま組のゆうすけ君が「この前の花、切れたよ。もう一度やりたい」と言う。いいよ、事務所へおいで、と切り紙を一枚あげたのが元で、やりたい、やりたいと何人も切り紙に挑戦した。切るだけでなく、形に切った後、彩色して素敵にできる子も現れた。
 ゆうすけ君たち、男の子は「くわがた」に挑戦。このクワガタは、紙を縦半分に折り、それを60度の角度で三つ折りにして、描かれた半身のクワガタを切る。
 6枚一緒に切るのは力がいるし、それでいて細い曲がりくねった足を切るのは難しい。その代り切り終えて、そうっと開くと、クワガタが3匹、輪につながっている。
 紙を折るのは難しそうなので、一人ひとり折ってあげた。7〜8人挑戦したうち、足がでぶっちょになったのもあるが、一応成功した子が3人いた。見ていて年中組の子もやりたがり、クワガタは難しいので、二つ折りで切り抜くとんぼやちょうちょうを与えた。真剣に集中して作業をする…これは子どもが乗れる課題だ、と思った。

 この切り紙は、NHKの教育番組でもやっていたが、今森光彦さんが山と渓谷社から出版された「今森光彦の魅せる切り紙」という本で教えてもらった。子どもたちにやりやすいよう、とんぼは脚をなくしたり、多少工夫はしているが、基本は今森光彦さんの世界だ。いいものを教えてくださってありがとう、とお礼を言いたい。
 この経験を生かして、切り紙を手始めに、自分の得意な紙飛行機や木工などの工作教室をやってみようかな。二学期、朝の自由あそびの時間、年長組の部屋を日替わりで巡回するのはどうだろうか。

 9月23日に、行きつけの狭山乗馬センターで「カドリール」の発表会がある。カドリールというのは音楽に合わせて、グループで馬の演技をする馬場馬術の一つだ。久しぶりに10名の部班に加わって週一回の練習に通っている。汗をたっぷり流して、いい運動と言いたいが、ギリギリの感じもする。乗馬をやめれば楽になりそうだが、止めれば激しい運動は、そこで終わってしまうのだろう。できるところまで頑張ってみたいと思っている。


 8月3日(月)晴れ
 昨日・一昨日と伊豆長岡のホテルで全国幼年教育研究協議会の全国研究集会が開かれた。今年は「幼稚園・保育園・小学校のつながりと豊かな学び」分科会で、金室陽子先生が「人形劇の取り組み」の実践発表をした。幼児期のあるべき知的教育の真髄に触れた問題提起だったと思う。
 金室先生の実践も、そのまとめも素晴らしく、ボクも誇らしく聞けて幸せだった。しかし、その詳細は「その」のホームページに書き込まれるだろうから、ここではふれない。
 分科会に先立つ保育講座では宍戸健夫先生

の「新しい保育指針、教育要領をどう考え、どう実践するのか」に出て、勉強させてもらった。宍戸先生には、かつて「あそびを育てる―どろんこ保育のカリキュラム」を出版した時、推薦文を書いていただいた縁がある。

 先生はそのことを覚えていて下さった。それどころか今度、戦後の幼児教育理論の研究史をまとめることになったので、「遊びを育てる」に書いた保育カリキュラムについての考察を紹介させてほしいと、意外なお話をいただいた。「あんなものがお役に立つなら…」と申し上げたが、わが青春を再評価されたようで、正直嬉しかった。幼児教育の内容を6領域に分割し、130項目を超える課題を列挙した当時の幼稚園教育要領は、細部にとらわれて全体的な構成を明らかにできない構造的な、致命的な欠陥があると指摘した「その」の理論は、当時新鮮な問題提起ではあったと思う。
 さて、研究会から帰って、今日はオレンジ(延長保育)の子どもたちと約束があったので、今森光彦さんの切り紙を模倣した教材を作って、切り紙をやった。とんぼーちょうちょうーうさぎーひまわりの順に、ちゃんと完成させて合格したら、次の作品に進むというやり方でやった。
 午前はオレンジでやった。そして、午後は昼寝の後のBabyめろん組でやった。どちらも長い保育時間のどこかで、広告紙で剣を作ったり、ハサミを多用して遊んでいるので、指先も器用だし、根気もあり、たいがいの作品は作れた。
 二学期、チャンスがあれば、下絵を自分たちで描いて切り抜けば、予想もつかない傑作が生まれるかもしれないと考えた。


 7月23日(木)曇り時々小雨
 たんぽぽ組でナスとミニトマトのクッキング保育をした。
 6月17日に、ひよこ組できゅうりとナスを収穫して、保育室で調理して食べたのを皮切りに、となりのれんげ組、ちゅうりっぷ組、なのはな組、すみれ組とクッキング保育をやってきて、今日は年少組最後のクラスだった。

 ひよこ組は、いまだに給食にきゅうりサラダが出れば、「あっ、おじさんのキュウリだ」と言って、競って食べてくれるし、ナスカレーの時も「おじさんのナスかなあ?」と先生が誘導すればパクパク食べる。そして、後で「おじさん、ナス食べたよ」と連れだって報告に来る。
 年少組になると、ある程度味覚が固まっていて、ひよこ組ほどすんなりはいかないが、それでも初めてきゅうりをバリバリ食べる子、焼きナスを初めて「おいしい」と食べてくれる子がいる。
 兆里の前に、収穫には全員で行き、きゅうりを握ってとげの痛さを感じ、那須にも触って、実の硬さ、充実感を味わう。食材と感動的に出会うということがいいのかも知れない。

 今日のたんぽぽ組は、先般の暑さの折、手入れを怠って、きゅうりが枯れてしまったので、ナス2個と、ミニトマトは自分で一人1個ずつもいだ。勇んで保育室へ持って帰る。手を洗うのも、椅子に座るのも速かった。
 まん丸の京都風のナスだが、先日皮が少し方かtt気がしたので、子どもたちのテーブル4台を順に回りながら、皮をむくのを見せる。
 「手はお膝」…まな板と包丁、テーブルを巡回してナスを切る。
 ナスは油たっぷりの方がおいしい。テフロン加工のフライパンだが、たっぷりの油で焼く。じきにジュウジュウ音がして、「ああいい匂い!」。醤油をからめて、出来上がり。
 まず自分がひと口…アチチチ…フーフーと実演して小皿で配る。ためらっている子も2,3人いたが、最後は一人を除いて全員食べた。
 ミニトマトは、赤ではなく、オレンジ色で完熟の品種で、みずみずしくおいしい。
 念のため半分に切って配る。「おいしい、お代わり」。 たちまちなくなってしまった。

 まだトマトもナスもなっているので、どこかで夏季保育のうちにやってみたい。
 ちょうど今日の午後はたんぽぽ組のクラス会だったので、担任がクッキング保育の写真を見せて、ナスもミニトマトも全員が食べたことを伝えると、「家の子も食べたんですか?」と半信半疑のお母さんもいたとか。まあ、雰囲気で食べただけで、それで焼きナスが好きになったわけでもない。でも、機会あるごとに口にすることで、野菜のうまさが身について行くのだと思う。


 7月20日(月)曇り
 18日、夏まつりが無事に終わってホッとした。片付け終わって理事たちはラーメン屋で一杯飲む相談をしていたが、ボクはまっすぐ帰って、前後不覚に眠った。フラフラしていただけでたいして働きもしなかったが、暑さだけでも堪える歳になった。
 よく19日から20日午前まで、ずうっと「その」のホームページをいじっていた。25日にリニューアル・オープンの予定で、時間があまりない。今度はブログ形式をとるので、一つ一つの記事に読者のコメントを寄せてもらうことができる。参加型の生き生きしたホームページになるといいのだが…。
 20日午後は、二期会のオペラ「カルメン」を見に行った。


  すみれ組ときゅうり、ミニトマトを収穫。これで年少組
  のクッキング保育はたんぽぽ組を残すのみとなった。

 「カルメン」は二度目だが、前はいつだったろう。舞台はまるで別のもののように違っていた。佐渡裕のプロデュース、ルイ・マルティノーティ演出の舞台装置も照明も衣装も、重厚で素晴らしかった。ドン・ホセ役の佐野成宏は、カルメンに欺かれる実直・愚鈍な男を演じ切り、テノールが美しく豊かだった。村娘ミカエルのアリアも素晴らしかった。カルメン役の林美智子は最高のソプラノ歌手と聞いただけあって、上手に歌った。しかし、カルメンの男という男を魅了してやまない崩れるような妖艶さは乏しかったろうか。まじめな人なのだろう。ドン・ホセがカルメンを刺し殺すフィナーレは圧巻だった。感動した。

 音楽会に行くと、別の催しのチラシをずしりとくれるが、その中にイタリア・オペラの「ドン・カルロス」の宣伝があった。S 席は4万ウン千円とあった。いくらよくても、これでは見に行けない。
 平成2年11月にハンガリーできりえの個展をやった帰りに、ブタペストの国立オペラ劇場で「ドン・カルロス」を見た。このときはイタリア語で歌い、字幕はハンガリー語だったから、「ドン・カルロス」について予備知識のなかったボクには、よく分からず仕舞いだった。だが、入場料は日本円で2500円くらいだった。国が文化芸術活動を援助しているからこそ、庶民に身近なのだろう。日本の政治も、こうした豊かさに目を向けてもらいたい。


 7月19日(日)曇り
 盛会だった夏まつりは、「その」の持つエネルギー=お父さん・お母さんの”元気”を象徴していただろうか。後片づけもスムーズに終わり、10時半には帰宅できた。
 熱い火のそばの売り場や力仕事ではお父さんたちの活躍が目立った。夏まつりはどこの幼稚園や保育園でもやるだろうが、こんなにお父さんが主役として参加する園があるだろうか。”そのの伝統”といえば伝統だろうが、なぜそれが継続・発展してきたのか。
 お母さんたちの”一生懸命”がお父さんたちに伝染しているのもあるのだろう。でも、一番の秘密は卒園生の参加に隠されているのではないか、と考えた。
 卒園生の参加は年々増え続けていると思う。最近は中学生、高校生になった子の姿が目立つ。その子たちが園児だった時の親の姿も多い。

 「もう一度、そのへ行ってみたい」…卒園した子どもたちが、そう思ってくれるのは嬉しい。子どもたちの思いに寄り添って、子どもたちとともに生きた保育が、いま実を結んでいる。
 お父さんやお母さんたちのエネルギーは、そのの保育への信頼と共感に根ざしていると思いたい。あんない大変な仕事を笑顔いっぱいでできるのは、その証ではないだろうか。

 小学生に「ボクのこと、覚えてる?」と聞かれた。顔は最近の子でよく分かったが、名前は出なかった。「なんだ。覚えてないじゃんか」。
 高校生に「イケガミです」とあいさつされた。面影があった。「えーと、ひさえちゃんだっけ?」「はい」…覚えていて、よかった。
 名前を言えなかった少年よ、許せ。43年前の第1回卒園生なら、「イクオ、タケトシ、マサヤ…」と順番に思い出せる。それなのに今年卒園した子の名前はおぼつかない。いつか、長い歳月の先、おじさんの年齢になったときは“記憶”というものの不確かさに戸惑うと思うよ。


 7月14日(火)晴れ
 先週土曜日は「そのBaby」の夏まつりだった。梅雨は明けていなかったが、どうにか天気はもってくれて、よかった。
 Baby卒園生で子どものそのに通園しているめろん組の子どもたちの手作りのおみこしでオープンした。続いて2歳児りんご組のおみこしが園の周りの道を一周する。保護者だけでなく「子育て支援センター」に通う近所の親子の参加も多く、小規模保育所とは思えないにぎわいだ。
 Babyから他の保育園に移った卒園生の親子もたくさん来てくれた。その保育園でも夏まつりだと行きがけに顔を出してくれる親子も何組もいて、忘れないでありがとう、と嬉しかった。
 やきそば、カレーライス、白玉フルーツ、飲み物などの模擬店も、親たちと先生の呼吸が合って、盛り上がった。
 みんなで楽しむというだけでなく、地域に根ざし、支えられて「そのBaby」を存続させたいという思いが、みんなを一つにしている。
 子どもたちの神輿に、ずっとついて歩く中年のお父さん風の人がいた。神輿を担ぐ子どもたちの写真を撮ろうとすると、無表情にくっついていて邪魔になる。「誰のお父さん?」と先生たちに聞いても「見たことのない人です」という。…これが不審者というものか? ボクは警戒してずっと側にいた。気づいてか、駅の方に去った。と思ったら、また戻って来て、神輿の列のそばにいる。事件は起こらなかったが、何かいやな気分だった。


 7月7日(火)晴れ
 七夕まつり、誕生会「星のお祝い」、久しぶりのプールと重なって、一日が気ぜわしかった。
 とんぼ組の子どもたちがプールの支度をして、七夕飾りをつけていた。大きめの短冊に絵を描き、願い事は先生がマジックで代筆している。
 誕生会が終わった後、ひよこ組が浅いプールに一番のりしていた。こうちゃんは休み明け?か、服を脱がないで先生の膝の上だ。カメラを下駄箱の上に置いて、「こうちゃん、おじさんと手をつないで歩こう。歩くくだけだよ」と誘いだして、浅いプールを歩いて行くと、手をつなぐひよこ組が増えて行列になる。ひとまわりして帰ると、先生の膝の上にはわたる君がやはり服のまま抱かれていた。「わたる君も散歩しよう」。水の中を歩いて行くと、同じひよこ組のみつる君が「見て見て」と、プールサイドから両足跳びで飛び込んで見せてくれた。
 今日は誕生会なので、給食は御馳走だった。ちょうちょう組がベランダで食べているところを見て、「おいしそうだなあ」と声をかけると、「おじさん、あげる」と、吸い物の小さな丸いお麩を一つくれた子がいる。「私も上げる」…今度は枝豆だ。「ありがとう。おいしいなあ」。
 しばらくして年長組も食事が終わったらしい。ぞう組のりかこちゃんとゆいちゃんが重い食器を運んできて、給食室に返した。「御馳走様でした。とっても

おいしかったよ。また作って下さいね」と、声を合せて言った。給食室からも喜びの返事が聞こえた。
 確かに五目ずし、鶏肉のやわらか煮、吸い物、枝豆、さくらんぼ…みんなおいしかった。でも、こんなに素直に感謝の言葉が出てくる子どもたちに、いいなあと思った。
 泥で汚れた平均台を洗った。平均台を渡って「どんじゃん」を遊んだりもするが、泥んこ料理の調理台にも陳列台にもなる。泥で汚れても当然だ。水洗いが気持ちいい。夏になれば、子どもでなくても水遊びは楽しいものだ。
 バスの時間になったころ、ばった組のたいせい君ととんぼ組のゆうた君が来た。「おじさん、とんぼが飛んでるよ」。一瞬意味が分からなくて、怪訝な顔をしていると、たいせい君が「ほら、あそこ。飛んでるでしょ?」…見ると、とんぼが一匹園庭の低いところをスイーッと飛んでいた。「とんぼの時期かなあ?あれ、なんていうとんぼ?」…虫のことは大好きなたいせい君なら知っているかもと聞いてみたが、たいせい君は聞こえなかったらしく、牛乳パックをひろげて、「ボクなんか、きょうこれ捕ったんだ」と、彼の掌より大きいトノサマガエルを見せてくれた。


 7月4日(土)曇りのち晴れ
 昨夜の合宿は、予報を覆して雨が降らず、最後までキャンプファイヤーや宝探し、花火を楽しむことができて、最高だった。
 午後、登園すると、畑で作ったジャガイモを掘る。この日のために5月にタネイモを植えつけてあった。他の野菜は前日、職員室前に開店した”山中八百屋”から、子どもたちが買ったものだ。
 畑で収穫したキュウリやナスを食べる“クッキング保育”で、包丁の使い方も練習してきた。猫の手できる野菜を安全に押さえることもできる。
 合宿を、子どもたちが主体的に体験し、やり遂げて達成感、自信とするためには、その前からの系統的な取り組みが必要なのだ。

 きゅうりの収穫が始まった後、ベランダに不思議な足跡がついていた。きゅうりを半分かじって捨ててあった。ひょうたんが置き忘れられていたこともある…かっぱだ!
 こういう事件の積み重ねが伏線となって、合宿の夜、かっぱたちが遊びに来る。ファイヤーを囲んでかっぱと踊り、盛り上がった。
 かっぱの手紙で宝探しをし、見つけた宝物はかっぱのお面だった。「かっぱのお面を作って、”♪かっぱのまつり”を踊って下さい」と、手紙が添えてある。これで作ったお面をかぶって、夏まつりで踊る。そのの取り組みは単発ではなく、ひとつの“大河ドラマ”なのだ。

 子どもたちの主体的な取り組みを感動的なものにするために、かまどと大釜でメシを炊くという先生の仕事を成功させようと、今年もお助けマンの先生も含めて、ご飯炊きの練習をした。 かまどに火を燃すのも、大釜の水加減も、噴きあげた後の火加減も難しい。こういうことは歳の功というもの、子どもの頃かまどで飯炊きをしたこともあるボクが講師だ。丁寧に教えたつもりだった。でも、先生たちはボクの手元を見ていただけで、自分でやったわけではなかった。偶然うまくいったクラスもあったが、なぜか失敗したところもある。
 「噴き上がらないのに焦げ臭いんで、火を止めたんですが…」と聞いて、「親が死んでもふた取るな」というけれど、思い切って中を見ると、1センチ厚みで黒焦げだ。食管を持ってきて、いいところだけ移そうとすると、上はおかゆ、中は生米だった。どうして?原因追及より、おいしいご飯を信じている子どもの夢の方が大事だ。給食室に頼んで、大至急で3キロのご飯を炊いてもらった。ボクがガリガリ釜底をこそいでお焦げを取った。その頑強なこと!
 間もなくして炊きあがったご飯を、大釜に移し替えて、素知らぬ顔でクラスに渡した。来年は担当する人に自分で炊く講習をしなければ…。しかし、大勢の影武者の働きもあって、合宿は大成功だった。


 7月1日(水)曇り
 しばらく保育日誌をサボっている間に7月の声を聞いてしまった。
 暑い日も肌寒いような日もあるが、この間にプール開きがあり、年長の合宿を前に、かまどと大釜でご飯を炊く先生向けの講習もやった。こういうことは年寄りの出番だ。
 プール開きの日程は前に決まっていたものだが、その計画に合わせたように快晴になった。やはり水はいい。子どもたちの笑顔もいい。前日、石原先生や助手の先生と汗を流してプール掃除をしたが、きれいなプールによみがえってよかった。

 きのうは絵本の勉強会をやった。集まりが少なかった。毎年新しいお母さんがいるので、工夫はしているつもりだが、どうしても同じような話になってしまう。勉強会の後の文庫委員の反省会で、「能登さんの話は聞いたことがあるからいいと知り合いのお母さんに言われた」と、新鮮味のなさを指摘する意見もあった。…この企画は、今年で終わりにしてもらおうかな、と思っている。

 合宿予行練習の釜炊きご飯は27日の土曜日にやり、職員の昼食に使った。噴き上げてから何分で弱火にするか、迷いながらやったが、上等に炊きあがった。当日飯炊きの助手をする先生にも立ち会ってもらったので、もう万全だ。

 ひよこ組で、きゅうりを収穫してみんなで食べ、ナスを収穫して焼きナスで食べた後、またきゅうりが大きくなったので、れんげ組でクッキング保育をした。
 またまたきゅうりが大きくなったので、今日はちゅうりっぷ組でやった。先生といっしょに、ぞろぞろとヤギ小屋そばのおじさんの畑に行く。
 全員が順番にきゅうりに触ってみる。なっているきゅうりに触るのはほとんどの子が初めてだろう。触る、運ぶ、洗うというのを自分たちで体験するのが食欲につながる。しかし、自分勝手な3歳児のこと、我先にと狭い畑で押し合いへし合い、泣く子もでる。とくに聞き分けのないちゅうりっぷ組だから、神経が疲れる。
 帰り道、事務所の前でナスを一個収穫。これも運び手が競合して泣きだす子も。あらかじめ給食室からもらってあったナス2本で黙らせた。
 まず、焼きナスから。油たっぷりで焦げ目をつけてから醤油をジャッとかけて、ほんの一かけずつ皿によそる。配りきらないうちに「お代わり!」の声が。3本のナスはたちまち売り切れだ。
 暑いガスコンロを片づけてもらって、今度はきゅうりのステック切りに塩をつけて食べる。少し大きくなりすぎていたのは皮をむいた。お代わりの大合唱の中、たちまち食べ切ってしまった。野菜嫌いの多いクラスだから、これを機会に食べるようになってくれるといいのだが…。

 7月1日、今日から「保護者駐車場がオープンした。近隣に迷惑をかけないようにということで、職員駐車場の大部分を川向うに移して、9台分のスペースを確保した。  
子どものその
保護者駐車場
 という看板をつくって、午後取り付けた。鉄のL型鋼の足がついていて、砂利敷きの駐車場には打ち込むのが大変かと思ったが、意外に簡単に打ちこめて、丸山運転手と二人でじきに完成させられた。ただ、午後は日差しが出て暑かった。夕方は子どもと遊びながら、庭木の剪定で、またひと汗かいた。


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