ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 5月29日(金)
 あいにくの雨だったが、お母さんのお弁当を持って、Babyのりんご組(2歳児)が子どものそのへ遠足ごっこに来た。
 新河岸川の土手や園庭のアスレチックでは遊べなかったが、ヤギをはじめたくさんの動物とじっくり触れ合って遊んだ。
 園長や石原主任がヤギやウサギのあかちゃんを玄関において、エサの草もたくさん採ってきてくれたので、しばらくはヤギや金魚と遊んだ。
 4月に入園したばかりのえめるちゃんが最初に「ヤギに乗りたい」と言い出し、乗せてあげると、他の子も次々乗りたがった。温和なメリーは草を食べるのに夢中で、怒りもしない。
 生き物は魅力的だ。玄関の盲目の鳩、金魚、うさぎたちとさんざん遊んでから、園内を探検した。今年Babyを卒園した6人のいるちゅうりっぷ組に行くと、たいが君はにこにこして飛び出してきたが、たいと君やのぶゆき君は照れ臭そうに遠くから見ていた。「やあやあ」と言うには、お互いこの2か月は激動の体験だったのだろう。ホールにござを敷いて、お弁当にした。お弁当は楽しい。おしゃべりも楽しい。食べ終わった子は広いホールを走り回った。
 それから2階の年長組を探検した。大きなカメを飼っているのを見つけた。ベランダにはプランタにナスやキュウリ、トマトなどが栽培されていた。みゆうちゃんのお兄さんがいて、「オレのいもうとだよ」と友だちに嬉しそうに紹介していた。見るもの聞くもの興味津津だったが、あっという間に帰る時間になってしまった。


 5月28日(木)
 きょう例の野イチゴジャムを年長組が食べた。先生がクラッカーの上に、ほんの少しずつ乗せた。朝の集まりの時間、文庫へ絵本を借りに行った後、ヤギ当番が終わってからと、クラスによって時間差はあったが、子どもたちは昨日から楽しみにしていたので、大事に大事に食べてくれた。「おじさん、ありがとう。おいしかった!」と口々に言う。崖をよじ登った甲斐がある。クラスでは大声で礼を言うが、バスを待つ時間などは小さい組の子がいると、耳元で「おいしかったよ。ありがとう」と内緒話だ。大きい組だけの秘密が嬉しいのだろが、それにしても野イチゴジャムは本当においしかった。


 5月26日(火)晴れ
 沼の主に襲われることもなく、金勝山の山登りは無事に終わった。
 例年通り野イチゴを摘んで、ジャムを作る。家に帰って軽量すると、477グラムあった。今までこんなに採れたことはない。
 「グラニュー糖は同量くらいだったかな?」とカミさんに聞くと、「そりゃ、多すぎるわよ。半分くらいでいいんじゃない」との返事。ホーロー引きの鍋に入れてグラニュー糖240グラムをまぶす。少し水っぽくなったところで火にかけると、料理メモを見ていたカミさんが、「あれ、去年は3分の1って書いてあるよ。それにレモン半個分…」
 「え? いまさら!」
 というわけで、少し甘すぎたか。去年より量は多いが、レモンは2分の1を絞って味を見ると、まずまずだった。小さなガラス瓶を4個、煮沸消毒して、それぞれ公平に130グラムずつ入れた。明日はBabyの子育て支援センターで絵本の勉強会があって、雑談的に絵本と子育ての話をすることになっていて、「野イチゴジャムを持って行く」という約束を果たせそうもないので、4クラスの先生に配分をお願いすることにしたい。まあ、小さじの先っちょに少しずつくらい味見はできるだろう。実に素朴な香りと舌ざわりなのだ。 大さじ4はいくらいは残して、明日の朝、ヨーグルトソースにして食卓をにぎわそうかな。


 5月22日(金)晴れ
 風が強かった。地域開放事業「うさぎの広場」で、1歳、2歳の子どもたちが53組も来てくれたが、横殴りの風が、砂つぶてを飛ばしては、小さい子を外で遊ばすわけにはいかない。あわてて会場を園庭からホールに変えた。
 大型絵本、手遊び、ゆさぶり遊びを親子で楽しみ、ホールの中央で簡単なリズム遊びをした。主任が進行して、園長がピアノだから、総出の仕事だ。最後にボクが手作りの紙芝居「3びきのこねこ」をやらせてもらった。…この紙芝居には曰くがある。

 30年ほど前、よく手作りの紙芝居を作った。今のように大型の紙芝居が市販されていなかったせいもあるが、教材屋の紙芝居はなぜか絵本のレベルに比べて程度の低いものばかりだった。絵本自体が一般には普及していなかった時代だ。
 というわけで、大型紙芝居は手作りした。今でもボクの作った紙芝居は職員室にいくつか残っている。そのひとつ「3びきのねこ」は、水彩で3匹の子猫の冒険を描いた人気の作品で、何年も使われているうちボロボロになり、汚れがシミとなって廃棄される手はずだった。10年ほど前、人気の作品だから作り直そうと自宅へ持ち帰った。表紙を一枚水彩で描いたが、うまく描けない気がして挫折した。もう若いころのような根気がない。
 ふっとその作品を思い出し、引っ張りだしてみた。ずいぶん痛んでいたが、デジカメで撮影し、パソコン上で補修した。完全にきれいにはできなかったが、まずまずの画像をカラーコピーで複製した。
 それを朝、ひよこ組でやってみると、割合集中して見てくれて、終わると「もういっかい」の声もあった。気をよくして「うさぎの広場」でもやってみた次第。

 紙芝居といえば、昨日と今日、らいおん組でやはり20年以上前にきりえで作った紙芝居を上演した。昨日は「いそがしすぎた王さま」。今日はその続編「えらいえらい王さま」。
 久しぶりに読み返してみると、ちょっと難しい内容だが、子どもたちはよく集中して見てくれた。

 きのう、その紙芝居を見る前、らいおん組ですもうをとって遊んだ。「順番、順番。一人ずつだぞ」。
 男の子を2〜3人投げ飛ばすと、女の子も面白がって挑戦してきた。目のくりっとした女の子がぶつかってきて、「あれ、誰だっけ?」と一瞬思った。でも、構わず取っ組むと、みゆうちゃんが、「おじさん、手加減して、手加減して」と言った。「え? なに?」「その子、来たばっかりだから…手加減して…」。
 ああ、でもその時、ボクはもう女の子を投げ飛ばしていた。その女の子は平気な顔で笑っていた。
 「大丈夫? …そのは楽しいかい?」。「うん」。
 市内の保育園から転園してきたななこちゃんだった。その子が平気でぶつかってきてくれたのは嬉しかった。それとともに、みゆうちゃんが「手加減」という言葉が的確に使えたことに驚いた。そして、友だちにそんな気遣いができる賢さ、やさしさがとても嬉しかった。


 5月20日(水)晴れ
 周辺の田んぼに水が張られ、早いところでは田植えが始まった。園庭のタイザンボクの大木、日当たりのいいてっぺんに真白い大きな花が咲いている。子どもの季節、夏の到来だ。
 年少組のクラスが裸で泥んこ遊びをしている。服を着たまま、遠巻きに見ている子もまだいる。別の年少組の先生は、ホースで庭に水をまき、ついでに子どもにもかけて遊んでいる。

 年長組では山登りの下見報告会が開かれた。前日下見に行った内山先生と谷合先生が、給食までには帰ると言って出かけたのに、バスで降園するまで帰らず、子どもたちは心配していたのだが、案の定、初めての谷合先生が内山先生の制止も聞かず沼を覗き込んで、右足をガブリと沼の主にかまれて大けがをしたらしい。二人で面白おかしく実演すると、子どもから声あり。「ひとみ、だめだなあ。子どもみたい」。
 とにかく沼のそばは腰を低く、沼に影を落とさないように歩くこと、後でその練習をすることを確認した。でも、食いしん坊のうっちゃんは、金色の木イチゴや真っ赤な野イチゴをいっぱい食べてきたらしい。「でも、まだまだいっぱいなっているよ」。

 職員室で印刷の仕事をしていると、らいおん組のゆなちゃんが顔を出して、

 「おじさん、ずいぶんおなかが大きくなったねえ」と言う。「大きいもんか。ちょうどいいじゃないか」。
 「ちょうどよくない。メタボだよ。たぬきのポンポコリン…」と叫んで、逃げていった。確かに、このところ節制できなくて、体重がまた増加傾向だ。ふるさと・飛騨高山からも同級生が二人亡くなったと知らせが来ていたし、昨夜は「その」の古い組合員で同世代の方のお通夜があったばかり。
 少し気をつけなくちゃ。と思いながら…きょう、77歳の誕生日を迎えた。娘たちがお祝いをしてくれるというので、焼肉屋をリクエストする。そして、腹いっぱい食べてしまった。


 5月16日(土)曇り
 一年生のつどいは4人が病気などで欠席したが、残り112人が来てくれて、短いけれど楽しい時間を過ごせた。
 子どもたちはさぞかし楽しみにしていただろうが、それは先生たちも同じだ。”同じ釜の飯を食う”というが、辛いことも楽しいことも共にしてきた仲なのに、一生一緒の親と違って、ある日突然関係が終わる。そんなことは当たり前のことだけど、この歳になると人生の無常を思ってしまう。  とりあえず新・一年生はほとんど全員が来てくれて嬉しい。再会を喜び合っているが、学校はみんな楽しいのだろうか。

 園庭の桜の木を伐り倒す作業をしていたので、運動公園へ行くのはおっくうだったが、はずみで一緒に出かけてしまった。
 この2カ月の間に、土手の外来種の牧草がグンと伸びていた。土手の改修のとき、県の河川事務所が外来種の種を播いたということだが、お役所は自然保護ということをどう思っているのだろう。

 でも子どもたちは斜面の草の上を転がり降りて楽しそうだった。
 新河岸川は「その」の思い出のバックミュージックなのだ。ここで子どもたちは足腰を鍛え、不思議に目覚め、活動する楽しさを体で学んできたのだった。


 5月13日(水)曇り時々小雨、のち晴れ
 何回か散歩に出て、新入園児も「先生より先にはいかない」などの最低ルールは分かってきたので、きょうは多少遠出の遠足ごっこをした。
 年中は運動公園、年長はその先のいちべい沼まで足を延ばすという。
 ひよこ組と年少組は、新河岸川の土手の通称”ぴょんぴょん広場”に行く。
 ちょうど反対方向なので、年中・年長は深野園長が同行し、ひよこ・年少は石原主任が付き添う。カメラは深野園長と分担して、近いひよこ・年少側を受け持たせてもらった。
 前日事務所と文庫入口の間の通路を畑に改造してナス、トマトの苗を植え、キンカンの苗を植えたりして少し疲れていたので、近間で助かった。
 朝のうち事務所で総代会の召集状などを打ち込んでいると、ひよこ組の子が支度をして呼びにきた。ボクもひよこ組の赤い帽子をかぶって出発する。
 小雨がパラついて、どうしようか、戻ろうか…戻りかけると、年少組が門から出てくるのが見えた。やっぱり行こう。雨雲は低かったが、じきに止んで、土手について間もなく薄日が差してきた。土手の周辺はまだ草刈がされていなくて、子どもの越のあたりまで草丈が延びている。崖の境目が見づらくて歩くのが大変だが、草の葉を動く赤いテントウムシが、子どもの目の高さなのはいい。
 「いた、いた。とって」と叫ぶ子もいるが、「平気だよ。そうっと捕ってごらん」と言われて、初めて自分で捕れた子も結構いた。「ふくろ! せんせい、ふくろちょうだい」。 際限もなく咲いているアカツメグサの花を摘む子、積んで花びらを抜き蜜を吸う子。自然のもたらす興味は尽きない。
 でも、草むらは初体験に近い子も多く、どのクラスにもぐずったり、泣きだしたりする子が一人、二人いる。習うより慣れよ、と昔から言うが、何度も体験するうちに変わっていくとは思うが…。
 運動公園から帰ってくる年中組が堂々として見えた。一年の差のなんと大きいことだろう!


 5月9日(土)晴れ
 久しぶりの日差しでよかった。きょうは終日忙しかったから。 朝9時からBabyの子育て勉強会。
 4月1日に始まった新学期が5週間経過したところで、子どもたちの様子を写真パネルで見てもらいながら、0歳児、1歳児、2歳児の発達の目安と保育の留意点を話す。周到に準備して臨んだ。話がうまくできたかどうかは自分では分からない。でも、子どもの心に寄り添って、可愛がって可愛がって育てようという訴えは、ある程度共感してもらえた手ごたえはあった。共働きの忙しい生活の中なのに、32世帯中26世帯も出席してくれた。お父さんと二人で参加の家庭も多く、感激した。
 勉強会のあとは保護者会「ひよこの会」の総会が開かれた。役員になったお母さんたちがてきぱきと進行してくれて、さすが職場で活躍している人たちだ。総会が終わった後も、夏祭りの実行委員会などでお昼過ぎまで頑張ってくれていた。
 午後1時半から「その」へ通園する子の朝夕の保育をするめろん組のクラス会。こちらは2時からの200人委員会に出席のため、挨拶だけで席を外させてもらった。

 午後2時、「そのの新時代を拓く200人委員会」に間に合った。おりしも園庭では西みずほ台班の親睦会でにぎわっていた。U字溝を使った炭火焼の焼き鳥をすると聞いていたが、班のお父さんたちが後片づけをしているところだった。

 200人委員会は会議の前に「わたあめ」を作るお楽しみを用意していた。試しにやっていると、親睦会の子どもたちがワンサと集まってきた。まあいいか、と列を作って並び、順番にわたあめを楽しんだ。手紙をもらって、班の親睦会で会おうと約束していた1年生の桜子ちゃんの姿はなかった。来ていたらしかったが、先に帰ったのだろうか。

 200人委員会では2000万円募金の達成を祝い、総園した古い父母たちが「その」を懐かしんで気持ちよく協力してもらえた体験が、何人もの人から語られた。子どもたちを「その」で育てられてよかった、「その」の保育はいつまでも残ってほしい、と大勢の人に信頼されていて、45年の歴史の重みを感じた。
 200人委員会から「その卒園生父母も会(仮称)」と名前を変えて、ハイキングもキャンプも在園中のようにできる集まりにしていこうと決まった。

 とりあえず6月7日(日)に「官の倉山ハイキング」に行くことにした。
 会からの連絡は、すべてメールで行うことにしたので、甲斐への入会申込もハイキングの申し込みも、代表者内山実さんのところにメールして下さい。


 5月1日(金)晴れ
 園庭で子どもの日のお祝いが行われた。新学期、初めて全園児が顔をそろえた。どこからも泣き声は聞こえてこない。写真を撮っていると、半そで姿でも暑かった。リズムを見せてくれた年長組の子が、「おじさん。わたし汗をかいちゃった」と言った。

 なぜか暑いメーデーの日のことを思い出した。…昭和24年(1949年)の1月、中学を終えて上京し、翌25年の中央メーデーに生まれて初めて参加した。日差しが暑かった。当時は”人民広場”と呼ばれていた皇居前が会場だった。
 上京して最初に勤めたボールペン工場がつぶれかかって給料が3ヶ月も遅配した。労組は御用組合で役に立たない。数人の若者で反乱し、組合役員の改選でボクは書記長に当選した。工場は破産したが、売れ残りのボールペンを持ってメーデー会場で売った。資金カンパというヤツだ。日差しが強く、インクが柔らかくなって、インク詰まりで売れなかったボールペンだが、まことによく書けて、会場では飛ぶように売れた。…わが輩、17歳の青春真っ最中のことである。終戦からまだ5年、労働者は明るい未来に生き生きと輝いていた…。
 そのメーデーの日から59年経つ。振り返れば波乱に満ちた人生だった。そしていま、子どもたちの笑顔と向かい合って、運の良さに安堵する思いと、取り返しのつかない痛みに胸がうずく。

 それでも柏餅はおいしい。少し柔らかすぎて、手にべたつく。それを嫌がる子もいた。お祝いの最後に、年長組がひそかに作り蓄えた紙製のこいのぼりを小さい組にプレゼントした。山下先生が「柏餅を食べたら、アレを取りに行ってね」というのを聞き咎めて、「え? いま先生なんて言ったの?」と尋ねると、内緒で準備してきた子どもたちは、「なんでもない」「手裏剣のことだよ」と、とぼけた。
 鯉のぼりを小さい組はみんな喜んだが、ひよこ組の子どもたちの笑顔がとびきりかわいかった。


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