ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 8月24日(日)
 最初から天候が悪いと分かっていてのキャンプセミナーは初めてかもしれない。
 「ボクは午後ゆっくり行くから…」と言ってあったが、ざんざと降っているのを見ると、現地はどうしているか心配になって、10時過ぎに家を出た。
 雨の高速をゆっくり走って12時過ぎには到着した。途中道路が乾いているところもあり、もしかしてと期待したが、現地はときおり小雨がパラついたらしい。
 あらかたのテントがもう張られていた。かっぱを着て作業している人もいたが、さしたる降りでもないのでそのままでやってる人もいる。

 キャンプの楽しみは何といってもお父さんたちの男の料理だ。(ただし、夕食後の後片付けで皿洗いをしている男性の姿はほとんど見かけなかった。まだまだダメだなあ。)
 お昼に”流しソーメン”をやっている班があった。写真では分かりにくいが、流してはいなくて、竹筒の上にソーメンが並べてある。でも、子どもたちは大喜び。競って食べていた。

 別の班では、事前に用意されたパン生地を子どもたちが形にしていた。
 「あっ、小麦粉ねんどだ!」
 「違うよ。パンを焼くんだよ」
 子どもたちに参加できるように工夫している班が結構あった。さすがそのの親たちだ。小さい団子を潰したようなパン、動物をかたどったもの、どんなパンが焼けたのか見なかったのは残念だ。

 鳥の丸焼きが仕掛けられていた。
 細いステンレスの串に刺されて、ゆっくりゆっくり回っている。手前に懐中電灯くらいの黒い筒があり、この中に電池が入っているという。小型モーターが入っているのか、電磁石で動かすのか、それは聞きそびれたが、この道具は2600円で購入したということだった。何かの道具に付属したものらしいが、持主はこの回転部分だけを買ったらしい。
 夕食ごろを見計らって、一切れもらって食べた。前日から仕込んだというだけあって、味がよく染みていて、最高においしかった。
 切り分けているそばで、女の子が一人、足肉を片方握ってかぶりついた。「ああっ」見ていたお父さんが声をあげた。「違う班の子なのに…」
 子どもの目にもおいしそうに見えたのだろう。違う班の子でも”その”の子ではある。お父さんはそれ以上は我慢して言わなかった。

 別の班でも鳥の丸焼きをしていた。こちらは回転の仕掛けはないが、刺した串を持って返しながらじっくり焼いている。2羽焼いているので、こちらも包丁を入れる頃合いを見計らって見に行くのだが、一向に切り分ける気配がない。3度目であきらめていると、子どもが迎えに来てくれた。もうキャンプファイヤーの時間間際だった。「御馳走サマ」 あんまりおいしいので、もう一切れもらって、ファイヤーの音響を設定している園長のところへ持って行った。「うまい!」と、園長も舌鼓を打つ。
 お父さんと遊ぼう委員のテントで作ってくれたカレーライスも、よく煮込んであっておいしかった。

 食う話ばっかりで、何しにキャンプに行ったの?と聞かれそうだが、ホタテの炭焼きもおいしそうだった。「おじさんも食べますか」と声をかけていただいたが、「いやあ、数ものはまずいかな」と遠慮した。
 気温が低かったので、川遊びはやめにした。ときどき小雨がぱらつく天候では虫たちも姿を見せない。でも、子どもたちはお父さんと一緒、お母さんも一緒、夏休みで久しぶりの友だちと遊ぶのも楽しくて、生き生きとしている。キャンプファイヤー、花火のときは雨も遠慮して落ちてこず、動いても火を燃やしても汗をかくわけでもなく、何が幸いするか、まずまずのキャンプセミナーだったのではなかろうか。


 8月21日(木)晴れ
 今日からオレンジ組の特別保育が始まった。しばらく子どもがいなかったので、ケヤキやクヌギの大木にはせみ時雨がかしましい。さっそく虫捕り網を持って木を見上げるが、なかなか子どもの力では捕れない。それでもどうやって捕ったのか、牛乳パックに入っていた。
 久しぶりの登園で、お母さんにしがみついて離れられない子もいる。遊び始めれば、やっぱり楽しそうだった。

 Babyのめろん組は、そのが夏休みになってからもずうっとやっている。たまにクッキング保育の日がある。子どもたちが手伝って給食を作

る。昨日はサラダとハムを挟んだホットドッグと野菜スープだった。年少組から年長組までいるので包丁は格別神経を使う。先生が一緒に野菜を刻んでいた。そののひよこ組(2歳児)で唯一メロン組に入っているひろたか君も、先生と一緒に包丁を持って、キュウリを切った。「すごい。 じょうず!」と褒めると、にっこり返ってくる笑顔がいい。
 その翌日、つまり今日、昼寝の支度をしているめろん組に顔を出して、「おじさんも昼寝しようかな」とつぶやくと、いっせいに「ダメーッ!」と叫ばれた。
 「だれか一緒に寝てくれないかなあ」 「ダメーッ」
 ひろたか君が目の前にいたので、
 「ひろたか、ひよこ組みたいに、一緒に寝ようよ」
 ひろたか君はアッカンベーをする感じで、「ひとりで寝るんだもん!」と言い切った。
 生まれ月が早くて、ひよこ組でもしっかり者のひろたか君だが、めろん組の異年齢集団に溶け込んで、この子に生活の楽しさと自信をもたらしているように見えた。


 8月10日(日)晴れ
 私事だが、8月6,7,8日と立山アルペンルートに行ってきた。涼しくて、宿の料理もおいしくて、生き返る思いの3日間だった。
 前に吉村昭の小説「熱風隧道」を読んで、一度黒部渓谷の深みに入ってみたかった。
 ボクは飛騨高山に生まれ育ったが、剣岳・立山は北アルプスの裏側で、近くて遠かった。それに少年の目は都会に向き、それは北の富山方面ではなく、名古屋や東京なのだった。
 今回は宇奈月から黒部渓谷鉄道トロッコ電車で欅平まで入った。途中は断崖絶壁に沿って右に左にカーブを切り、レールがきしむ。
 1時間半かけて欅平に到着したが、小説ではそこから先へ、道もない崖を荷物を運び、滑落死する人夫が続出、山にトンネルを掘ると熱湯が噴出するといった大変な難工事だったというが、欅平から先は観光客の道はなく、深い谷を見て昔をしのぶしかなかった。
 翌日、黒部渓谷を出て、富山側から立山アルペンルートを進んだ。ここは一般の自家用車は乗り入れできず、それだけ自然派守られ、生き延びていた。高山植物が咲き乱れていた。
 弥陀ヶ原のホテルの和食料理は、ロッジ風のホテルとは思えないほどおいしかった。
 室堂の散策コースも素晴らしかった。そこからはるかに剣岳(↓)が見え、高山へ郷愁を募らせたのだった。


 8月5日(火)晴れのち雨
 朝から蒸し暑かった。Baby屋上のプールでりんご組に続いてめろん組が支度をしていると、小雨がパラついてきた。ちょっとくらいいいか。どうせ濡れるんだから、というわけで、浅目の水に飛び込んだ。
 そのに通園するめろん組は、そのが夏休みの間は一日保育だ。新しい担任がきまって活動が楽しくなったせいか、事務所へ遊びにきて仕事のざまをする子が少なくなったそうな。

 午後、そのへ行くと、オレンジがおやつの時間だった。砂場のブドウを少し切って、子どもたちに食べさせた。すごく甘く、今年は大粒だ。

 8月2,3,4日と東京で全国保育団体合同研究集会が開かれた。40回目の記念大会で、東京では初開催とあって、熱気のこもった集会だった。参加者は12000人と発表された。若い保育者が圧倒的に多かった。保育行政は補助金のカット、民営化の強行で揺れているが、子どもたちの成長、発達を願い、それゆえに保護者と保育者の連帯の中で、現状を変えようと指向する大きなうねりを感じた。 ボク自身は3日、基礎講座で、桜美林大学の茂木俊彦教授の「保育実践に共感と科学を―今、保育者に求められているもの」に参加した。深野園長、Babyの寺田先生と偶然一緒になった。茂木先生は北野2丁目に住んでおられて名前は承知していたが、講義を聴くのは初めてだった。障害児保育の専門家だけあって、一人ひとりの子どもと向かい合う保育者のあるべき姿勢について厳しい内容を、穏やかな口調で話された。
 子どもが安心して身を任される人間関係のなかで、言葉のやりとりを重ねながら共通認識を作り、コミュニケーション力を育てることの重要性を語られた。それとともに、安心な人間関係だけでは子どもは発達できない、自然や文化との交わりが豊かな成長をもたらす。…そんな講義の中で、「しかし自然そのものは教材にならない。自然への興味や関心を引き出すためには、まず保育者が自然を研究してこそ教材になる」という指摘が印象深かった。

 4日の有明コロシアムでの閉会総会の記念講演、辛淑玉(しんすごう)さんの「勇気を出して声にしてみよう!―あなたも私も大切にされる社会を―」は、すごい話だった。数千名の参加者、若い保育士さんたちはその激しい社会告発をどのように聞いただろうか。会場では会えなかったが、Babyから参加した高橋、朽木、小林先生は、翌日「すごいバイタリティ!」「物事を反対側からも見る味方に、初めて出会った」「すごく勉強になった」と、強い印象を受けたようだった。ボクはと言えば、これは一杯飲みながら熱弁をふるいたい思いだ。…いずれにせよ、7月の全幼協でも、8月の合研集会でも勉強するのは楽しい。それとともに、長い人生を無為に過ごしてきた悔いを感じてしまうのは情けない。


 7月27日(日)晴れ・にわか雨
 26日と27日の2日間、全国幼年教育研究会の全国大会が伊豆長岡で開かれた。
 去年の3歳児・吉田先生、4歳児の谷合先生、5歳児の沓間先生の3人が、子どもたちに寄り添った「対話的保育」の実践発表をした。
 ボク自身は26日午後、そのへの入園を希望しているBaby父母との話し合いを済ませて長岡に駆けつけたのは夕食の時間で、発表は聞けなかったが、石原先生が「ちゃんとやりましたよ」と笑顔だった。去年も屋良先生が「ねずみばあさん」の実践報告をしているし、前には

嶋田先生の運動会のとりくみ、石原先生・内山先生の人形劇のとりくみなどを研究発表しているので、この研究会の参加者には子どものそのは馴染みの園なのだ。以前会長をしていた最古参の豊丹生先生から「そのも若い先生たちが育ってきて素晴らしいですね」と褒められた。「若くない先生も含まれていますけど…」と、軽口をたたきながら、嬉しかった。
 この会は故羽仁説子さんが小学校低学年までを幼児期ととらえ、幼稚園・保育園と小学校の一貫した教育の在り方を探求してきている。小学校の先生たちも加わっていて、第二日目の「幼保小にふさわしい知的教育」の分科会では「命の輝き」と題する素晴らしい授業の実践報告を聞いた。
 幼稚園教育要領や保育所保育指針を改正し、小学校の管理教育、規範に縛られた教育が乳幼児の世界にまで下ろされようとしているとき、豊かな体験の中から自分なりの意味を見出しながら、友だちと共感し、協力して遊ぶ力を育てる「その」の保育は、いま強調されている”協同的保育”の典型的実践としてますます評価されるだろうと思う。


 7月25日(金)晴れのち夕立
 朝から暑かったが、そのBabyの子育て支援センターは、屋上のプールを休んで、子育て講座を開いた。講師ということで、主に「自我の育つ道すじ」について話した。
 0歳から3歳までの子どもを持つ37人のお母さんが聴いてくれた。
 参加者は1歳、2歳のお母さんが多いだろうという予測だったが、実際は0歳、1歳の人が大部分で、「親の言うことを聞かなくて困っている」という時期までいっていない子が多くて、準備した内容を、修正しながら話した。
 即興の変奏ではうまくいかない感もした。でも、小さい子たちの騒がしい声をよそに、真剣に話を聞いてくれるお母さんたちのまなざしが眩しいほどだった。

 暑い日は子育て支援センターのプールは大賑わいだ。幼い子を連れて市民プールでは遠いし、お母さんが水着に着替えるのも容易ではない。その点、センターのプールは親は平服のままで簡単だ。0,1,2歳の子の水遊びは、この程度のプールで十分だし、安心でもある。というわけで、支援センターの前は自転車とバギーでいっぱいになる。
 昨年は子育てサロンを233回開いて、延べ7267人の親子が参加した。木馬のひろばは84回、2464人の参加だった。一年間でみる

と、延べ9731人の親子がそのBabyを利用したことになる。今年度に入ってからも、4〜6月の3ヶ月間に、子育てサロンに2572人、木馬のひろばに891人、合計3463人の参加を数える。7月、8月はプールの季節で、もっと参加親子が増えるかもしれない。

 6年前にそのBabyを建設した時も、2年前支援センターを増設した時も、子どものその保育生協の組合員、つまり父母のみなさんの寄付が大きな力になった。Babyを建設しても、そのの父母に特段のメリットがあるわけではなかった。「40年地域に支えられて”その”は存在してきた。その地域社会に出来る形で恩返しをしよう」という、崇高な理念の下で、Babyと支援センターは誕生したのだった。ふじみ野駅前の一等地を貸してくれたのも、そのの組合員の親御さんで、その善意が夢を現実にした。


       夏祭りでやきとりを焼くお父さんたち

 さて、夜はそのの夏まつりの反省会だった。すごい人出、模擬店もすごい売上だったが、部門別の反省を聞くと、それぞれに工夫し、班のみんなが心をひとつに取り組んだ様子が伝わってくる。焼き鳥は値上がりで利益は減ったが、4000本を焼き、売った。ビヤホールは生ビールを1100杯完売した…その他のどの部門も大活躍、大成功だった。子どもを抱えての大変さを、やり遂げて達成感に変えた素晴らしい親たちがいる。
 ボクは最後のお礼のあいさつで、班のお母さん・お父さんが心を一つにして夏まつりを成功させた力を、そのの保育の充実に発展させたい。また、その保育内容を他の園にも普及して、子どもを健やかに育てる運動を広げようと訴えた。


 7月19日(土)晴れ
 梅雨明けが発表されたのを、夏まつりの準備をしている間は知らなかったが、それにしても暑かった。「3時まで曇り空で、その後晴れればいいのに」と勝手なことを言い合ったが、雨の心配なく祭りの準備ができるのは無上の喜びだ。
 朝からお父さん、お母さんが集まって、そのには活気があふれていた。やきとりの下焼きは年少組裏のベランダに6枚の鉄板を並べて、大勢のお父さんが汗だくでやっていた。どの顔もにこやかで、楽しんでやってくれているのが見ていても心地よく、嬉しい。
 トウモロコシの皮をむいて茹でたり、枝豆をもいだり、野菜を刻んだりと、給食室周辺も朝から人の出入りが激しく、忙しそうだった。
 お昼頃、仕込みが一段落したのか、園庭は静かになった。ホースで水を撒く。流れるように撒いても後ろを振り返ってみると、もう半分乾いていた。
 5時、子どもたちの「かっぱのまつり」の踊りでオープン。それぞれの売り場、コーナーが、工夫をこらし、創造的に活動しているのが素晴らしい。苦労もあるだろうが、達成感は大きいだろう。「マニュアルのない”その”の行事」の真骨頂だと思う。
 オープニングの後、生ビールを飲んだ。うまい! 生きているっていいなあ、と思った。


 7月12日(土)晴れ
 梅雨の晴れ間にしてはすごい真夏日だった。保育園では「夕涼み会」と呼ぶようだが、子どものそのBabyの場合は「夏まつり」と呼ぶのがふさわしい賑わいだった。
 午後3時、2台のおみこしが園庭を出て、園のまわりを一周する。2歳児りんご組のおみこしは先生が持ち、子どもたちが綱を引く。
 朝夕をBabyで過ごし「その」へ通園するめろん組(3〜5歳児)のみこしは年長児が担いで、小さい子は綱を引く。
 その後から子育て支援センターに遊びに来る親子が鳴り物を振りながらにぎやかについていった。
 遊びにきたそのの深野園長がめろん組のみこしの後から「ワッショイ!」と気合を入れると、子どもたちも「ワッショイ!」と応えて、威勢がよかった。
 暑かった分、生ビールの売れ行きが良かった。あわてて追加を酒屋に届けてもらった。白玉だんご入りのフルーツポンチも、カレーライスも、焼きそばも完売した。それだけお客さんが多かった。子育て支援センターを増設して1年半、地域の子育て世代との交流が盛んになっている。卒園生や他の保育園へ転園した親子もずいぶん遊びに来てくれた。
 3月末に転園した0歳児だったななみちゃんも両親と一緒に遊びに来てくれた。

 赤ちゃんの時からボクになついて、顔を出すと這い寄って手を出す。歩けるようになると、転びそうに早足で来た。そのからBabyに向かうときはななみちゃんに会いに行く気分だったのに、家庭の事情とはいえ、勝手に転園するとは酷いじゃないか、と腹が立ったものだ。
 ななみちゃんはパパに抱かれていた。「おじさんに行く?」と促されて、おずおずと手を出した。3ヶ月半の空白があった。「ななみちゃん、いちご組に行ってみようか」パパと離れても泣かなかった。今夜は物置に変身しているいちご組の部屋を、ななみちゃんは無言で眺めまわした。
 祭りのあいだに、何度かななみちゃんに会った。2度目はためらわずに手を出した。パパが「先生は忙しいんだから、おいで」と手を伸べると、その手を振り払った。「居心地がいいんだよなあ」とパパがママに言った。
 やはりこの春、2歳児で卒園した子と赤ちゃん組にいた弟が転園した兄弟のお母さんが、「Babyで絵本をいっぱい読んでもらったり貸し出してももらって、本当に絵本好きの子になってよかったです。転園した子の親はみんなそう言っています。新しい園にはあんまり絵本がないし…」と一生懸命な口調で話してくれた。絵本の大好きだったさこちゃんの元気な顔も見られてよかった。


 7月9日(水)曇り
 きのう、七夕飾りと竹を燃やした。竹の節の間で膨張した空気が派手に爆発音をあげる。
 「テニスのチャンピオンになりたい」
 「かぶとむしやくわがた捕りの名人になりたい」
 「ピアノがじょうずになりたい」…さまざまな願いごとが燃え、煙になって天まで届いたかどうか。
 燃え残った竹を、唇にタテにあてて吹く。手加減、息加減で鳴る。園長が作り始めて、みんなに取り囲まれていた。
 ボクは篠笛風の笛を作った。鳴らすのは簡単なので、「作って作って」と寄ってくる。でも、拾ってくる竹が太すぎたり、短すぎたりして、いい具合のが少ない。何人かに作ってやった後、らいおん組のかおりちゃんに作った笛を、茶碗の中の水につけて吹くと、水を撥ねながら小鳥のような抑揚のある音で鳴った。水笛というのは子どもの頃、よく作って遊んだものだ。
 自分用の水笛も作って鳴らしていると、子どもたちもやりたがる。次々に不思議な小鳥の鳴き声を楽しんだ。
 友だちに見せに行ったかおりちゃんが戻ってきて、「おじさん、ゆかにも作って」という。「だめだよ。もう竹がないよ」
 「それをあげれば?」と、かおりはボク用を指さす。「ま、いいか」。ゆかちゃんもにこにこで帰っていった。
 きょう、またかおりちゃんに会った。「あの笛、ど

うした?」「きょうも持ってきたよ」「家でも鳴らしてみた?」「うん、ママが凄いってびっくりした」
 こんなに喜んでいるが、新しい生竹だから、乾燥するとイビツにちぢんで、やがて音が出なくなる。どうせ作るなら、よく乾いた篠竹で作るほうがいいかもしれない。 

 5日付の保育日誌に紹介した吉川さんから封書が届いた。棕櫚の葉で作った本物そっくりのトノサマバッタが何匹も入っていた。200人委員会のとき、折ろうとしたができなくて、後で送ると約束していたらしい。精巧にできているので、年長組に1匹ずつ上げた。
 虫といえば、きょうなのはな組の外にあるクヌギの大木でクワガタが5匹も捕れたらしい。このごろ樹液をなめにやってくるようで、情報を伝え聞いた年長組の子たちが、朝登園すると真っ先駆けつけて、オオクワガタ、コクワガタ、合わせて5匹もゲットしたんだそうな。あの木は創業間もない頃にいた染野さんという用務員さんがどこかからもらってきた雑木だったのだが、ありがたや!


 7月5日(土)晴れ
 今日午前、200人委員会の初会合を開いた。卒園生のお父さん・お母さんが中心の委員会で、「会合には出られないかもしれない」という前提で承諾してくださった方が多く、保育日で職員の委員は出席できなかったので心配したが、66名が参加して下さり、大いに盛り上がったと思う。
 出席者の中から、43年前に設立委員として「その」の創業に加わり、初代理事も務めた吉川道子さんが、昔の話をしてくれた。
 「団地ができて人口が急増し、幼稚園はどこも満員だった。団地に幼児教室ができて、来年は幼稚園というので見学に行ったが、いつ募集かも教えてくれない。どうしても入りたいなら毎日聞きに来なさいと追い返された。そういう中で、みんなの気持ちが反映される園を作ろうと立ち上がった。それを生協という組織にしたのは成功だったと思う。
 当時霞ヶ丘団地の子どもは駅の跨線橋を渡って遠い二小まで危険な通学をしていた。”西側に小学校を”という大運動の

中心になったのも”その”の父母だった。この運動は今の西小を実現し、国の学校建設への補助の在り方をも変えさせる大きな成果を上げた。そのは自分たちが立ち上がり、道を拓いてきた。今度の募金もぜひ成功していただきたい」
 続いて、やはり設立委員だった豊丹生(ぶにゅう)さんが幼児期から低学年までを”幼年期”ととらえて一貫した幼年教育を探求してきた全国幼年教育研究協議会で、そのの先生たちとともに研鑚してきた歴史を振り返りながら、そのの保育を守り続けるためにも、この募金の成功のために協力したいと話された。豊丹生さんは、絵本「かっぱおやじ」の作者、卒園生の安曇幸子さんのお父さんでもある。
 「そのの新時代を拓く200人委員会」の活動はいよいよスタートする。


 7月3日(木)晴れ
 きのうは文庫の絵本勉強会。いつもの通りあまりうまくしゃべれなかった。仕方がない。そもそもは自分の中身が乏しいからだ。
 前々日、二人の娘としゃべり合う機会があって、子どものころの家庭での絵本の思い出で盛り上がった。そのとき「いやいやえん」という中川梨枝子さんの出世作となった童話のことが話題になって、二人が全然違う思い出を持っているのが面白かったので、そんな話も交えて話した。すぐれた絵本は大人が読んでも面白いし、感動する。ボクは大人になって初めて知った絵本の楽しさを伝えたかった。

 うまくはしゃべれなかったが、後で感想文を読むと、ボクの話をそのまま受け止めるのではなくて、自分自身の子どもとのかかわりに焦点を当てて、役立つものを吸収し、自分を変えようとしている。拙い話ではあったが、お母さんたちの賢さに救われた。そののお母さんたちはすごい、と思う。

 勉強会にタイザンボクの花を切って花瓶に挿した。そろそろこの花は終わる。今年は1本で100以上の大輪を開いた。園庭のビワも3回給食に出し、後は鳥たちのごちそうになって終わった。
 いよいよ夏の到来だ。プールを石原先生が洗っているので手伝った。立ち上がりの壁面は中腰で、タイル絵の底面は這いつくばって、たわしでこすった。暑かった。数時間で真っ黒に日焼けした。

 卒園生の親たちに呼びかけて、「そのの新時代を拓く200人委員会」の委員を募っていた。それが早くも今日200人を超えた。5日(土)午前10時から第1回の交流会を開く。ただ募金を集めるというだけでなく、「その」にかかわった人が世代を超えて親睦・交流を図れる集まりになれば嬉しい。ぜひそうしたいと思っている。


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