ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 6月25日(水)晴れ
 朝、登園すると、らいおん組のカメが卵を産んでいた。大きな立派な卵が7個、小さなのが1個たらいの中にあった。長年、新河岸川のカメを捕って飼育しているが、卵を産んだのは初めてだと思う。
 やら先生はすぐ、飼育ケースに土を入れて卵を1個埋めたが、やっぱり子どもたちに見せてからにしようと、残りはそのままにした。
 年中組の子もぞろぞろ階段を上がって2階まで見に来た。らいおん組の子たちは誰にも触らせないで卵を守っていた。
 「有精卵なの?」…聞いてみると、このカメはまだ捕まえたばかりなのだった。

 5月の末ころだったか、園庭南側の水路に田んぼの水がとうとうと流れ始めたとき、角の大きなマスのなかに、ドジョウがいっぱい泳いでいた。事務所の井出さんがそれを捕まえて、ちょうど金魚がいなくなった玄関の水槽に入れた。その時、そのマスにカメがいて、首を伸ばした。それも捕まえて、らいおん組が買うことになったのだという。
 新河岸川からどうやって100メートうも離れているこの水路まで来たのか、それはカメに聞くしかないだろう。やら情報によれば、いま生まれた卵は、来春孵るという。土の中での無事を祈りたい。


 6月15日(日)晴れ
 きょうは終日、パソコンの相手をしていた。「その」でとりくんでいる「用地購入募金」のニュースを作ったり、200人委員を受けてくれた人の宛名名簿を入力したりして過ごした。
 このところ連日、地域班会議や金融機関との借金の交渉やらで忙しくしていて、保育日誌を書く暇がなかった。暇はあっても、子どもと遊んで面白かったことや楽しかったことは、忙しさの中で忘れてしまい、夜日誌の書けるころは何も記憶が残っていないのだ。これは完全な老化現象だ。

 13日は年長組の120人と荒川河川敷へザリガニ釣りに行った。暑かった。ザリガニが小さかったが、大きなマカチンを釣り上げた一瞬を何枚か写真に撮った。撮っても肝心のザリガニが明るい背景の中にくっきりと浮かび上がるタイミングで撮れることはめったにない。これなどうまくいった方だ。
 11時半までで切り上げると聞いていたが、どうせ遅くなるよ、と思って自分の車で行き、帰りは11時過ぎには園に戻った。
 案の定、帰ってきた子どもたちは12時を過ぎていた。1匹も釣れない子がいて、全員釣れるまで頑張っていたのだという。そういうところが「その」の先生のいいところではあるが、他の仕事もあるボクは自家用車で正解だった。

 昨日14日は休園日だったが、仕事で「その」へ行った。8時半には出勤して、午後に開く「そのの新時代を拓く200人委員会」の発起人会の資料と、夜の理事会の準備で忙しかった。
 去年のきりん組が親睦会で集まっていた。お父さんたちも大勢来ていて、楽しそうに遊んでいた。しばらくして職員室の園長の机の上に、1年生になったはるかちゃんとボクが公務員住宅の梅の木の下で一緒に撮ったスナップが置いてあった。親睦会に来て置いて行ってくれたのだろう。卒園の保育証書にミスがあったので、書き直して届けに行ったとき、「卒園のお祝いのとき、他の人がいっぱいで、おじさんと写真を撮れなかったので…」ということで、ほころぶ梅の花の前で撮ってもらったのだった。

 午後、発起人会には久しぶりの人たちが結構集まってくれた。「そのはやっぱりいい」「親と子どもが一緒に遊んでいるのが素晴らしい」…みんな懐かしがって、話は盛り上がった。200人委員の仲間を増やして、7月5日午前に、同窓会のように語り合う楽しい200人委員会を開くことになった。

 夜の理事会も1名欠席だけで、集まりがよく、それだけ熱心な論議が行われた。10時過ぎに終わったときは、もう朦朧としていた。帰宅して風呂を浴びると、そのまま泥のように眠った。よく元気の秘訣を訊ねられるが、多分深く深く眠られるのが元気の素かもしれない。
 還暦記念に植えたタイザンボクがいま花盛りだ。新園舎の階段あたりは終日いい香りが漂っている。こんなにたくさんの花をつけたのは初めての気がする。


 6月6日(金)晴れ
 園児募集のちらしのデーターをもって鶴ヶ島のインターを出たのは8時半を過ぎていた。印刷屋が9時始業とは予想外で、道端で開門を待った。
 10時過ぎにそのに戻ると、きょうは好天の予報だったし、それも暑くなるとあったから、絶好のどろんこあそび日和だ。年少組がすみれ組もたんぽぽ組もちゅうりっぷ組もはだかになって泥あそびをしていた。まだ服の脱げない子もいるし、泥沼に立ってるだけの子が多い。年少組のこの時期としてはそんなものだろう。泥沼に座り込んで、たっぷり泥につかっているのはひよこ組あがりの2年目の子どもだった。

 アスレチックの船にひよこ組のほとんどの子が上がって遊んでいた。「あ、おじさん、お願いします」と先生が言った。誰かが船を降りようとしている。先生は階段の下に先に降りて、後ろ向きに降りるのを教えなければならない。
 促されて船に登った。子どもたちが喜んで近寄ってくる。ひろたか君と船室の内外で「ばあ」と笑い合っていると、一番小さいばんびちゃんも「ばあ」と笑った。かける君となぎさ君とはやと君は、甲板の上を走りまわる。手すりの隙間から勢いよく転げ落ちないか、ヒヤヒヤした。
 丸太の床が怖いりさこちゃんの手を引いて平らな床に着くとそっと微笑んだ。

 助手の先生が給食の支度ができたと呼びにきた。あまり手こずらせないで、じきに部屋に戻る。トイレに行き、手を洗い、服の汚れた子は着替える。一人ひとり思っていることも動き方も別々だから、先生は大変だ。ボクは一年間なんて、とても勤まらないだろう。
 献立はごはん、麻婆豆腐、野菜スープだった。久しぶりにひよこ組の給食を食べた。出来たてだから、ひよこ・年少組ころに食べると、一段とおいしい。
 スープやみそ汁の好きななぎさ君は、最初にスープのお代わりをする。ご飯も麻婆豆腐もお代わりをする。みんなしっかり座って、量もしっかり食べている。次々お代わりの声が飛ぶ。「他の物も食べてからお代わりね」と促されて、スープの野菜に手を伸ばす子もいる。けん君が2度立って僕のそばまで来た。「おみかん、おかわり」と言う。「おみかんはお代わりがないんだ」。けん君はまだ残っているみかんの入れ物を未練そうに見つめていた。
 子どもたちがほぼ食べ終わってから、先生は急いで残りをかき込むように食べる。食器を片づけ、テーブルの下を掃くと、意外に少ししかこぼしていなかった。新学期とは雲泥の差だ。

 午後は班長会議だった。夏まつりの班ごとの分担を決めた。希望の部門が重なるとジャンケンで決める。真剣勝負で役割が決まって行く。

 班長会議が終わって、外でぼんやりしていると、れんげ組のうきょう君が、アスレチックの方を指さして「あっちへ行きたい」と言う。「いいよ。…行けば」と、突き放したわけではないが、うきょう君の行動を促したが、納得いかない表情である。「おじさんも一緒に行ってあげようか?」
 二人で手をつないで行きかけると、「ちょっと、ここは通らないでください」と、れんげ組のみおうちゃんが遮った。手にバケツを持っている。「どうして?」訊くと、みおうちゃんは少しきつい口になって、「だっていま、仕事をしてるんだから」と言った。
 「なんの仕事?」「いま、チョコレート作ってるの」
 うきょう君とボクは、少し離れたコースを歩いてアスレチックへ向かった。通れたら、うきょう君はアスレチックへ行く気はなくなり、水たまりでバシャバシャやっていた。
 (みどりの写真はとんぼ組脇のメタセコイヤ)。何年前になるか、森林公園に行ったとき、メタセコイヤの種を何粒か拾ってきた。針葉樹だが、冬は赤く枯れて落葉する。太古の植物が中国の奥地に生き延びたものと聞いた。その種を鉢に植え、翌年大きめの鉢に植え替え、背丈が1メートルになったところで「その」に移植した。それがたちまち伸びて、今は2階の屋根の高さになった。育ち盛りにはかなわないということかも。


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