ときめいて子育てを

 

 
                                   
4月
5月
6月
7月
9月
10月
11月
12月
1月
2月
3月
トップへ

 5月29日(木)
 昨日の快晴がどこへ行ったか不思議な雨。年長組の山登りが昨日でラッキーだった。
 沼の主にはやられないで全員無事だった。走って逃げた先で、ボクが最後に到着するのを待っていてくれた。ホッとした表情の子もいれば、まだ泣いている子もいる。
 そのとき、きりん組のまおちゃんが、「園長がいない」と叫んだ。この混乱の中で、よく気がついたものだ。「ほんとだ。大変だ。助けに行こうか」とボクは提案したが、誰も同行するとは言ってくれなかった。
 その後の登山道は急坂がどこまでも続いて、汗が噴き出してくる。子どもたちもバテた歩き方

で登って行くが、こっちは息苦しく、体力の限界を感じた。途中で休みたかったが、山頂で子どもの写真を撮らなくてはならないので、休むこともできなかった。「オレ死ぬゥ」と思いながら、ありがたや、すべては時間が解決する。どうにか山頂につき、眼下に見える箱庭のような集落に向かって、「おかあさーん」と叫ぶ子どもたちの姿を撮影した。最後にくま組と一緒に記念撮影。園長がシャッターを押す。
 山道で崖を降りては野イチゴを摘んだ。「おじさん、ちょうだい」と言うのへ、「ジャムにするんだ。焦げつかないで、うまく出来たら、明日食べさせてあげる」。赤い実を見つけて、崖に降りたとき、足がつった。脱水か、塩分不足か。痛くて身動きしないでいると、助手の小野先生が「もうやめなさいという天の声じゃないですか」「なに、ちょっと静かにしていれば治るよ」というような努力で摘んだ野イチゴだから、帰って大事にジャムにした。
 子どもたちが弁当を食べているのをバチバチ撮影して、それから自分も焼きおむすびを広げた。食後は子どもたちは赤鬼の池へ探検に行ったが、ボクはシートに横になって、たちまち眠った。
 帰り道でも木いちごや小さなグミを採って食べながら歩いた。

 さて、家に帰ってホーロー引きの鍋に洗った野イチゴを入れ、グラニュー糖をまぶして、弱火にかける。計りもしないで目見当で砂糖を入れたが、出来上がりはまずまずだった。今年はよく熟していて、酸味が足りなかったので、レモンの搾り汁を加えた。
 きょう、年長組が山登りの絵を描き終わる頃、ジャムをもって上がった。らいおん組は先生が子どもと摘んだ野イチゴをこれからジャムにするというので、このクラスはスキップ、となりのきりん組からスプーンのさきにちょっぴりずつ舐めさせる。舐めたらスプーンを洗ってくる約束で、一列の並んだ子に次々味見をしてもらった。「おいしい、おいしい」と好評だった。ジャムと言っても、素朴な野の味がするのだ。小さな瓶のジャム、ぞう組、くま組と3クラスにうまく配れた。
 お父さんと遊ぼうで官の倉山に行く方、一度野イチゴジャムに挑戦してみませんか。埼玉のサワガニは絶滅危惧種だとか。子どもと一緒に摘んで、ジャム作りに方向転換もいいと思うけれど…。


 5月27日(火)晴れ
 昨日のことだが、職員室前の植え込みに蛇の青大将が1匹迷い込んできた。誰が見つけたのか、ボクが気づいたときは黒山の人だかりだった。バスで登園して、鞄を下げたままこわごわのぞきこむ子もいる。
 「もしかして、おじさんの友だちの蛇さんかな」と言いながら、尻尾をつかむが、ヘビはウロコを逆立てて、ぜったい後ろには下がらない。1メートル位はありそうだ。人の声におびえて、木の枝の間を逃げるが、四方八方子どもたちに取り囲まれて「あっちだ、こっちへ来た」と騒がれては逃げ出すこともできないようだ。昔はヘビなんて珍しくもなかったが、この頃は滅多にお目にかかれない。
 タイザンボクの花が咲き始めた。年長らいおん組のベランダから見ると、田植えが終わったばかりの田んぼを背景に、はや4輪咲いていた。階段わきのタイザンボク…僕の還暦祝いに贈ったものだが、すっかり大木になり、新園舎の屋根の上に伸びた日あたりのいいてっぺんに、きょうは一度に4輪か、5輪の花が咲いているのが眺められた。この一本に蕾は100位ついている。夏空に芳香を漂わせてタイザンボクが咲き終わる頃、ビワの実が色づいてくる。今年は豊作だ。そのBabyのビワも植えて5年、今年はずいぶん実をつけている。園児全員に食べさすだけは成るだろう。楽しみなことだ。


 5月25日(日)雨のち晴れ
 予報通り雨が降っていた。総会が未成立になるとは思わなかったが、子ども連れの人ばかりだから、さぞかし出足が悪かろうと心配した。
 けれど、定刻の10時前から受付に列ができた。定刻には委任状による代理出席を含めて過半数を超え、総会は成立した。子ども連れが多くご夫妻での出席も多かった。
 昨年は1世帯1人の組合員で166人の出席だったが、今年は184人に達した。
 園の敷地の半ばを買収するという2号議案、定款の全部を改正するという4号議案が、例年にない大きな問題なので出席が多くなったのかもしれない。

 それにしても大事な議案があれば雨が降ろうと、幼い子どもが連れでも参加する熱心さ、どの先生の提案説明にも集中して耳を澄ます…本当に「その」の父母は素晴らしい。
 2号と4号の二つの議案はボクが提案説明をした。大きな議題なのに、質問や意見が出なかったのは、大筋では説明を納得してくれたということだろうか。文章に書けないことも、口頭では補足出来る。しかし、行政の担当者や、相手のある問題は、核心にまで触れることのできないものもある。説明の中で創業期の苦労話に触れたが、40年もたった今は、何でも素晴らしいこととして穏やかな気分で思い起こすことができる。「その」が新時代を拓こうとしている今の喜びや苦しみも、いつか楽しい過去として語るときが来るのだろうか。
 総会が終わってホッとした。理事さんたちは残って、翌週のお父さんと遊ぼうハイキングの打ち合わせをしていた。その声を遠くに聞いていた。
 その後、創業期の事務長だった新館さん、その後任の守山さん、前の主任の斉藤先生の三人と昼食を食べに行った。大病を患って退職した新館さんが、元気なころ、何度もやめようと退職届を懐に働いていたという話を初めて聞いた。若い頃のボクは、今よりずっとわがままな管理者だったのだろう。そのストレスで大病を患ったのかもしれない。「大勢の人に支えられて」と言えば聞こえはいいが、「大勢の人の犠牲で」が本当かもしれない。
 気心知った三人は、「議題はいいけれど、問題は能登さんが年を取り過ぎている」「もう誰かにまかせて、楽をしないと病気になるよ」と、さんざんだった。言うな、分かっているんだから。
 食べ終わったとき、園から電話で、計理士が税務書類の署名を待っているという。急いで帰って署名した。その後はゆっくり大相撲の千秋楽をテレビで見た。相撲は好きだが、貴乃花が引退してからは国技館には行っていないなあ、と疲れたアタマでぼんやり考えていた。…最後に行ったのは貴闘力の断髪式だったなあ。


 5月24日(土)曇り
 今日の午後から雨という予報で、明日の総会が心配だったが、お昼を過ぎても曇り空、時おり薄日が差している。
 先日、暑いくらいの一日、めろん組でプランタに苗植えをやった。子どもたちが「その」から帰ってくる前に、担任と園長と三人でプランタの土を出し、腐葉土などを混ぜて用意はしておいた。年長組の子も4人いるが、年中組、年少組の子が大部分なので、「その」の畑づくりのようにはいかない。
 「その」から帰って、まずおやつを食べて、さあ、苗を植えるよと声をかけても「やりたくない」と、別の遊びをしている子もいる。南園長が苗を植えれば大きくなってナスやキュウリがなるんだよ、というと、ようやく「なるの? なるんならやる」とその気になってくれた。去年みんなでプランタでナスやキュウリ、ミニトマトを育てて、なすの嫌いな子も「おいしい、おいしい」とよく食べたのに、半年経つとすっかり忘れてしまうものなのか。…それだけ、この時代は次々と新しい刺激的な体験が続くということなのかもしれない。
 年長組がなすの苗を、年中組はきゅうりとミニトマトを植えた。苗を逆さに持ってケースを外すのが難しかったが、どうにか無事に植え終えた。年少組の子が水やりをしてくれた。天候不順な今年、昨年ほどの収穫があるかどうか。

 めろん組の担任が「その」を知らないというので、昨日見学に来た。朝から「なのはな組」に入って一緒に生活し、午睡の時間は年長組を見て、「そのの子どもたちのエネルギーって、すごいですねえ」と感嘆していた。後でゆっくり感想を聞いてみたい。

 雨が降らないので、昼前「その」に行って、明日の総会のために古い書類を調べた。31年前に社会福祉法人化をめざした方針や、新園舎を建設したときの組合員の底力…43年の歴史を振り返ると、やはり「その」は比類ない素晴らしい組織だと実感する。


 5月17日(土)晴れのち雨
 一年生の集いは久しぶりの快晴だった。一番にお母さんときた元ぞう組のゆめこちゃんが手紙をくれた。1月の手紙ごっこのマス目用紙が残っていたらしく、きちんとした文字で、裏表に近況がつづられている。
 バスから降りて、2階の保育室へ駆け上がる子が多かったのは意外だった。ヤギのメリーに気づいた子は草やりに夢中になる。子どもたちが来る直前に、休耕田で刈ってきておいて正解だった。最初はおっかなびっくりだったが、そのうちおとなしいヤギと分かったようだ。男の子が「どうして突進しないの?」と訊く。訊かれたときは意味が分らなかった。
 年長のとき世話をしためーちゃんは、身体が大きく、獰猛でよく子どもに頭突きをした。吹っ飛ばされる子もいた。「メリーはまだ赤ちゃんだし、女の子だからやさしいかもしてない」。

 クラスごとに集まって出欠をとる。急に熱が出たなどの事情で、どのクラスも1名〜3名来られない子がいたが、ほとんどの子が顔を見せてくれた。裸足の子より靴下をはいている子の方が多いのには驚いた。この暑いのに!
 少なくとも低学年では裸足・薄着の方が感覚を刺激して脳の働きを促し、学習にもいい影響をもたらすと思うのだが、学校と言う世界はまた別の考えのようだ。

 運動公園への懐かしい道を散歩した。南の運動公園、北の蓮光寺…この新河岸川の土手を、年少組のときから何回歩いたことだろう。勝手知った道、適当に仲間同士で行動しているが、全体としては一つの塊が動いて行く。さすが一年生だ。
 水路で笹舟を流す。花を乗せて流すのだが、揺れて花は船から落ちてしまう。ボクがアカイロユウゲショウの可憐な花を乗せると、女の子が「おじさん、その花、切り絵に描いたでしょう」という。そういえば「新河岸川野の花シリーズ」のひとつはこの花だった。女の子は「うちのお母さん、その花が大好きなんだよ」と言った。「では、赤い花さん、幸せな旅を…」でも、笹舟からすぐ落ちてしまった。
 丈の長い草を水路に浸し、その草でボクのズボンを叩く。「つめてぇ」…見ると、ゆきちゃんだった。やめてよね、と言っても、ゆきちゃんは笑いながら何度もやった。
 「見て、見て」アカツメグサの花をいっぱい積んでいる女の子が二人、「この花もいかがですか?」黄色、ピンク、色も形も様々な野の花を摘んで、その花束に加えてもらった。見たこともない可憐な花がいっぱいある。深野園長が「なんか生態系が変わってしまったかなあ」と、見慣れない野の花に驚いている。新河岸川の土手の改修が、伝統的な植生を変えてしまったのかもしれない。

 運動公園に、給食室からおやつのドーナツと牛乳が運び込まれていた。元のクラスごとに輪になって食べた。さっき水でボクのズボンをぬらしたゆきちゃんが、ドーナツを分けてくれた。
 ひとあそびしての帰り道、土手の上にあがってみると、砂利が一面に分厚く敷き詰められていた。まるで情緒がない。土の道、輪だちの間から草が芽を出す、そんな田舎道の風情はかけらもなかった。先生たちが土手下の農道を通る意味がよく分かった。
 その土手下の道に戻って、草笛を鳴らす園長や子どもたちに交じって、ボクはススキ様の長い葉を飛ばす”草でっぽう”をやった。教えて、教えて、というが、草を軽く持って、別の手で強く引くという手加減が難しかった。女の子が一人、最後には飛ばせた。
 楽しい楽しい、余裕のある散歩だった。いつかまた、こんな散歩ができるとしても、それは別の子たちとだろう。伸びていく子どもたちは、ボクの目の前を束の間に通り過ぎていく。


 5月15日(木)晴れ
 きょうは年少組のクラス会、午前も午後も担任が二人そちらに回るので手薄ではあったが、久しぶりの上天気、次々散歩に出かけて行く。 年長組は権現山に行くというが、それは敬遠して、ひよこ組についていった。門を出て、100メートル先の休耕田までの散歩だ。
 4月23日に初めての散歩で同じ休耕田まで行ったが、わずか2週間でずいぶん変わるものだと驚いた。足取りがしっかりしたし、何人かは草むらでたんぽぽの綿毛を見つけ、自分で吹こうとしていた。いい方向で自分を出せるようになった感じがした。
 カエルはあまりいなかったが、テントウムシは何匹か捕まえられた。むろんまだ見つけるのも捕るのも先生だが。
 ヤギさんに草を取っていってあげよう、と先生が言って、草を手に帰った。帰りも忙しく声かけのいる子が2,3人いるが、まあ前に比べれば楽に園に戻ることができた。

 帰ってみると、年中のとんぼ組、ばった組が泥あそびをしていた。まだ大胆と言うほどのあそびにはなっていないけれど、中にはカップで泥を頭にかけ、シャンプーしている子がいた。楽しそうなので、「目に泥を入れないようにね」と言うのが精いっぱいだった。水たまりに寝そべっている子もいた。今日の強い日差しで、水たまりの水は温かかった。

 事務所のメンバーが頑張ってくれて、今日総会の議案書と招集状、それに「そのだより」を班長さんたちに届けることができた。ボクはホッと一息で、気持が楽だった。そこで、Babyの先生に借りた「いつもちこくのおとこのこ―ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー」という長ったらしい題名の絵本を、ぞう組の帰りの時間に読んだ。
 「こわい本?」「怖くないよ」。長ったらしい男の子の名前が、音楽のように何回も繰り返されて、最後のどんでん返しが面白い話なので、ぞう組の子はみんな集中して聞いてくれた。


 5月11日(日)雨のち晴れ
 午前中は昨日からの雨が続いていた。朝のうちはパソコンで仕事をしたが、疲れて午後はぼんやりと時間をつぶした。
 新学期なのに天候が不順で、やりにくい。新緑のあふれる園庭で遊べば、子どもたちは機嫌よく活動できるのに。
 9日は好天だった。午後、所用でバイパスを車で帰ってくると、土手に大勢の子どもたちが出ているのが見えた。「花摘みだな」ピンときて急いでカメラを持って土手に走った。
 牛乳パックで花瓶を作り、野の花を摘んでお母さんに贈るのが、年長組の母の日を前にしたとりくみだ。

 それなのに10日は雨になった。朝9時半から「そのBaby」の子育て勉強会に出た。0歳児から2歳児までの全園児30人の保護者を対象に、保育方針を説明する。乳児期から幼児期へ、大好きなおとなに支えを求めながら、自立への道を歩き始める。人生は道草だ。一本道をまっしぐらに歩かせるのでなく、いろんなことに興味をもち、道草をしながら、さまざまな体験をして、まずは自分が大好きな子に育てたい。そして、自我の芽生えを暖かく見守っていきたい…といったことを話した。どこまで伝えられたか、出席率が高くご夫妻での出席も多かったので、自分では熱を入れて話すことができた。

 終わって保護者会の総会があり、午後は職員会議だった。前夜、夢見が悪くて3時に目覚めてしまって、疲労感が強かったが、冒頭絵本の勉強会をするというので、自分の得意分野でもあり、3時半過ぎまでつき合った。4時に帰宅し、目覚ましをかけて爆睡した。
 6時半、目覚ましに起こされて、7時からのそのの理事会に出かけた。総会の議案書を、園長が全文読み上げて、討論し、訂正すべき点は訂正して、4つの議題を全部終えたのは10時近かった。
 終わって「行くの?」と聞いたが、「雨が降ってるから、お茶だけにしよう」ということで、有志で駅近くのレストランへ行った。ドリンクバーだけの人が多かったが、ボクは空腹でシーサイドドリアを注文した。話が弾んで、家に帰ったときは12時を過ぎていた。年寄りにはきつい、長い一日ではあった。


 5月7日(水)晴れ
 やっと連休が終わった。子どもたちの歓声から離れて過ごすのは何ともやりきれない。
 例年、GWは保育生協通常総会の議案書づくりで忙しいと決まっているのだが、今年はいつもと違う議案の準備があって、自宅にこもって夜昼なく働いた。自分の受け持ち部分は5日には出来あがった。さあ、明日は子どもに会えると思ったのに、勘違いで、6日もこよみは赤い。なあんだ、もういやだ。仕方がないので切り絵の下絵描きを気乗りしないままやって、午後は巨人・阪神戦を寝転がって見た。
というわけで、GW明けを待っていたのだが、

10日の土曜日にはBabyの子育て勉強会(そのの「合同クラス会」のような集まり)があるので、その準備で朝からBabyに行く。
 赤ちゃんの部屋で、さい君が腹ばったまま泣き出しそうにしていた。抱いてしばらくあやして遊んだ。この子を抱くのは初めてだったが、まだ人見知りは始まっていないらしく、じきに仲良くなって、あやせば反応の笑顔がかわいい。しばらく遊んで、座ってもすぐ倒れると聞いたので、畳の上に寝かした。表情が曇った気がして、顔を近づけてあやすと、口元がゆるむ。それから手を少し上げて、悲しげな声を上げた。傍らの先生が、「ちゃんと自分の気持ちを出せるようになって、さいちゃん、えらいよ」と言う。言葉は出せないけれど、「だっこして」というサインを感じとって、ボクはまた抱き上げた。
 10時前、離乳食の前に散歩に出た。散歩といっても誰も歩けないので、4人乗りのバギーに乗せる。寝ている子、休みの子もいて、散歩は4人だ。みんよん君は帽子を脱いで、興味深く外の世界を見ている。バギーが揺れて眠くなり、ぐずる子もいる。その辺を一回りして、30分で帰った。それから離乳食だ。4月以降、全員が1ランク上がった。準備食の子は初期食に、初期食の子は中期食に、後期食の子は完了食に。成長は早い。それをていねいに見守り、支え、手助けする。大変だが、保育士はいつも“若い母”でいられて幸せだ。

 午後は「その」に戻って、他の人が書いた部分とドッキングさせて総会議案の仕上げにかかった。根をつめて、息抜きに外へ出ると、ひよこ組のりょうた君が近づいてきて、何か一生懸命おしゃべりをする。部分的には分かるところもあるが、意味が聞きとれないところもあって、返事が難しい。「そうなの、りょう君」「へえ、そうなんだ」と、当たり障りなく相槌をうつ。Babyのぶどう組(一時保育)に来ていたころはほとんどしゃべれなかったが、ここで急激に言葉が増えてきた。人とのかかわりも深くなってきたように思う。これからが楽しみだ。
 パソコンに向かっていると、オレンジ(延長保育)のりょうこちゃんと、かこちゃんが来て、「これがちょうちょう組の……から出てきたの」と、赤い小さな竹トンボを見せた。どこにあったのか、それは竹を薄く削り、電子レンジで20〜30秒、チンして、熱いうちに羽をねじって角度をつける工法で作られたものだった。15年ほど前、どこかの市役所の課長をしているお父さんが教えてくれたことがある。そのときのものとは思えないが、誰がいつちょうちょう組に運んだものだろうか。
 「二人で飛ばして遊べば?」「わーい」と喜んで出て行ったが、間もなく棒を根元から折って帰ってきた。年中組のかこちゃんは、年長組のりょうこちゃんに負けず頑張るから取りっこになって、細い竹棒がへし折れてしまったのだろう。穴をあけ直して、修理した。「ボンドが乾くまで、ここに置いとくんだぞ。乾いたら、順番に使いな」。二人は神妙に帰って行った。


 5月1日(木)晴れ
 らいおん組のかなめ君がこのところ「あやとり」に凝っていて、難しい4段ばしごができるようになった。
 Babyでそのへ通う子の朝夕の保育をしているめろん組で、南園長が見てビックリするのへ、「おじさんに習ったんじゃないよ」と本人は言ったが、南園長にはその意味がわからなかった。

 そのの新学期が始まる前、めろん組であやとりの上手なこうだい君がやっていて、ちょっと流行した。他にも上手な子がいた。かなめ君も興味をもち、ボクが「魔法のほうき」を作ると、懸命に練習して出来るようになった。それで乗ってきて、4段ばしごをやりたがった。何回かいっしょにやったが、小指だけ放す、とか、放した指で次のをすくい取る、というのが、いくらやってもうまくいかない。
 本人は失敗しても失敗してもやりたがったが、教える方が根負けした。「かなめ、もう少し大きくなったら教えるよ」と逃げ出した。それから1ヵ月。
 「誰に習ったの?」「…教えない」
 そのの担任の話では、いつもあやとりの毛糸を手放さないという。その細い糸は何度も千切れて、結び目がいくつもあり、今日も「おじさん、切れちゃった」と持ってきた。道具の善し悪しではないなあ、やる気だなあ…もろくなった毛糸を結びながら、「かなめ、明日家からもうちょっと太い毛糸を持ってきてあげるよ」と約束した。かぎ針で編めれば編んでやりたいけれど、それはボクにはできない。
 何かに夢中になる。そして、遂にやり遂げる。それが子どもの自信になり、生きる力になっていくのだろうと、かなめ君から教えられた一日だった。


もどる