ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 3月20日(金)雨のち晴れ
 保育証書を受け取っているのは、ぞう組のこうだい君だ。この子は6年前、Babyが開園した時、0歳児で入園した。兄と姉がそのの卒園児だったから、親は知っていた。
 こうだい君はBabyで3年、そので3年、学齢前の6年間保育した最初の子だ。Babyを2歳児で卒園した時も、保育証書はしっかり受け取った。今回はもちろんである。
 第2部で「♪友だち賛歌」を歌っているとき、こうだい君は別れの辛さが込み上げたのか、しゃっくりあげて泣いた。上着の袖で何度も涙をぬぐった。
 …手紙ごっこでも「もうすぐそつえんです。ぼくはこのそのにいたいです。だけどもう、こうだいはそつえんです」と書いていた。…
 こうだい君の思いがジーンときて、思わず目頭が熱くなる。このナイーブな感性を持ち続けて大きくなってほしい。

 お祝が終わった後、きりん組のまきのかい君が小さな袋に入れた手作りの手裏剣を10個、くれた。前日、「いつもしゃしんをとってくれて、ありがとう。おれいをしたいけど、なにがほしいですか」という手紙をもらった。 「おじさんは手裏剣の折り方を知らないから、折れたら手裏剣を一つ作って」と返事したのだ。もらった手裏剣は家に持ち帰った。しばらく飾っておこう。

 手紙といえば、高熱でそのを休んだらいおん組、ののかちゃんから、前日のきのう、「どんじゃんができなくてごめんね。もっとはやくやればよかった。ねつがあるから、あしたもいけるかいけないかわからない」と手紙が来た。
 「卒園のお祝で、おじさんの話を聞く約束だったじゃないか。休まないでおいで」と返事を書いた。休んでいるのに、担任がどうやって届けたかは聞いていない。でも、ののかちゃんは出席した。そして終わって帰り際、お母さんが来て、「最後まで手紙をありがとうございました。本人も約束だからって、がんばってきてくれました。本当にうれしいです」と涙ぐんで話された。

 様々なドラマをはらみながら、今年の卒園のお祝いは無事に終わった。天気が回復したこともあったが、お昼をすぎても、みんななかなか帰らなかった。別れを惜しむ思いは、みんな同じなのだろう。
 だが人は去っていく。人それぞれの道を歩んで行ってしまう。卒園の後の虚しさは耐え難い。


 3月17日(火)晴れ
 午前、卒園のお祝いの総練習をした。保育証書を受け取る練習もしたが、そういうことにはあまりこだわらない園だから、一応の手順を経験しておく程度だ。
 スライドで一年を振り返る場面では初めて見る映像だけに、ものすごい歓声が上がる。お祝いの歌を何曲かうたったが、これは聞き惚れるくらい素敵だった。多分、本番ではお母さんたちは涙、涙だろう。

 手紙ごっこは、かなり下火になったが、でもまだ続いている。昨日はきりん組のゆうきちゃんが、絵手紙を家で書いてきてくれた。

 ひょうたん鬼の絵は、ボクのきりえ画集「君たちの日時計」にある「ひょうたん鬼」を真似して描いたとある。でも、ボクのきりえよりもずっと味があるではないか。
 この子はいつも穏やかな表情で遊んでいる。黙って何かを感じとっているようなところがある。絵の中の先生と手を伸ばす女の子、登場人物すべての手の大きさが印象的だ。
 こんな力のこもった絵手紙をありがとう。手紙ごっこは子どもたちと心が通い合って楽しかった。
 今日までに年長組の子どもたちから926通の手紙をもらった。一日何通の手紙をもらっても、返事は一人一日一通に限らせてもらった。ただ何十通来ようと返事は必ず翌日に返すことを厳守した。 

 書いた返事は722通に達した。手紙ごっこはボクだけではない。いろんな先生にも、給食室や事務所の人にも、友だち同士でも出し合う。あるお母さんが書いてくれた。「先生や友だちの手紙は70通を超え、驚いています。娘はそれを大事そうにファイルに入れてから、机にしまっています」…この子にあげたボクの返事は21通だから、いかにたくさんの文通をしたかがわかる。このお母さんは、「どうしておじさんは字が上手なの?という質問に、能登さんの返事を読んだ娘は“人のことをよく考える(事な)んだー”と返事に書きました。そして能登さんの次の返事に”おじさんの手紙を読んで、いろいろ考えてくれて嬉しいよ”とあり、娘はニッコリとしていました。能登さんの思いが、娘にもちゃんと届いているようで、私も嬉しくなった手紙でした…」と知らせてくれた。

 別のお母さんは、「今回の手紙の取り組みは、私の想像をはるかに超えた量と内容でした。読み返してみると、たった1〜2枚の少ない言葉の中に、一番伝えたい思いがギュッと凝縮されたものばかりです。チャロやウサギの死を見てきて、普段から”死んだらどうなるの?”という疑問を抱えている娘ですが、能登さんの”思い出がいっぱいあって(死んだお母さんは)おじさんの心の中に生きています”という言葉に、すべての答えがあるように思いました。
 娘は小さいころからよく泣く子でした。…何で最近泣かなくなったのか聞いてみると、”大きい組で泣いたら恥ずかしいかと思って”だそうです。そのの年長組への憧れを高める方針、年長になった喜び、内山先生との出会い、様々なことが娘を一気に開花させた気がします」と書いて、子どもの成長の中で手紙ごっこを位置づけておられるのがよく分かった。

 また別のお母さんは、「娘はお返事が届くのを毎日楽しみにしていました。家でも”明日はどんな事を書こうか?””あっ、このこと能登おじさんに書こう”と、よく考えていました。そして園だけでなく、家でも空き箱でパパポスト、ママポスト、自分のポストを作り、手紙交換をしています。祖父母や私の妹(娘の叔母)にも出し、祖父母にはとても喜ばれ、かんしんされました」と伝えてくれた。手紙ごっこは子どもの世界を広げ、可能性を広げていると思う。今年は一段と力を入れてよかった。
 卒園が終わって一段落したら、この手紙ごっこの教訓をまとめてみたいと思っている。


 3月14日(土)
 きのうは「その」でお別れ会、きょうは「Baby」の卒園のお祝いだった。
 お別れ会では、年中組以下の230人が、卒園する120人を花吹雪で送った。先生たちは例年劇をやって会を盛り上げるのだが、今年は「おむすびころりん」だった。
 例年、小室先生の名演技が先生たちの劇を引っ張っていたが、先生はこの春定年退職されるので、今後はどうなる事かと心配していたが、世の中はよくできているというか、若い先生の熱演が光って、跡継ぎはいるもんだと安心した。とりわけ爺さま役の雅子先生と、となりの欲ふかばあさん役ののり子先生はなかなかの名演技で面白かった。

 Babyの卒園のお祝いはあいにくの雨だったが、親子ともどもおめかしでやってきた。
 保育証書は親といっしょにきて受け取る。3歳になったばかりでの卒園だから、普段と空気が違うだけに緊張や恥らいもあったろうが、それがまたかわいい。
 短時間にお祝が終わった後、茶話会があって、保護者を代表して,、はるかちゃんのママが挨拶された。聞いて、思わず涙がこぼれた。…0歳児で初めてBabyに入園した時、毎朝後を追って泣いた。それを振り切って後ろ髪をひかれる思いで出勤する。夕方は一分でも早くわが子に逢いたくて、駅から走るようにしてお迎えに行った。こんなにまでして働き続けなければならないのか…。
 今は人一倍活発で聡明なはるかちゃんだ。ここまで育った3年間、先生たちも愛情深くよりそって保育をしてきたことは言うまでもないが、お母さんも精いっぱい頑張ってきたのだ。その気持ちが伝わってきて、涙をぬぐった。
 心のこもった茶話会だった。子どものそのの姉妹園としてBabyが開園して6年目が終わった。開園の年、0歳児で入園したこうだい君はBabyで3年間を過ごし、そのに入園してさらに3年間を過ごし、3月にそのを卒園する。初めて6年間一緒だった子だ。一区切りではある。


 3月8日(日)曇り
 きのうは空が青く晴れ上がって、久しぶりに暖かかったが、今日はまた冬に逆戻りだ。おとといの金曜日、年長組の子どもたちが遊んで壊れたダンボールのお化け屋敷や迷路やお店を直していたと思ったら、土曜日の昨日は、部屋の中がすっかり片付けられて、跡形もなくなっていた。天気と同じで日替わりだ。
 その昨日は「そのBaby]の入園説明会だった。赤ちゃんを初めて集団保育に託する年若いお父さんやお母さんが緊張した様子で集まってきた。Babyは子どものそのの40余年の伝統を受け継いで、こどもたちを真ん中に、親と先生が子育ての喜びを分かち合うばだということを、理事長として強調した。
 午後は、そので長期計画検討委員会があって、埼玉県第1号の認定こども園の見学報告の後、そのの将来像をめぐって熱心な討議をおこなった。

 その後、池袋のホテルの懐石料理で、子や孫たちが金婚式のお祝いをしてくれた。
 私ごとだが、きょう3月8日が50回目の結婚記念日なのだ。50年というのは長い。お互いよく辛抱したものだ。
 孫たちが写真立てにそれぞれの写真とメッセージを寄せ書きして、お祝してくれた。「二人の孫で幸せでした」などと書かれたメッセージを読み上げて、不覚にも涙がこぼれた。
 3月8日、国際女性デーに結婚式を挙げたのは、女性の解放なくして、働く人々の解放も、人の人としての自由もないと、二人は確信していたからだと、ボクは22歳から19歳までの孫3人に話した。こんな席でもないと、いまの若者たちに、まともな話をすることは難しい。
 幸い3人ともしっかり聞いてくれたと思う。平塚らいてう女史が「原始女性は太陽であった」と女性解放のノロシをあげたとき、女性は参政権もない暗黒の時代だった。それを受け継いだ戦後の進歩は道半ばではあるが、君たちの未来には大きな可能性と光明があると、ボクは伝えたかった。


 3月3日(火)曇り
 寒い寒いひな祭りだった。文庫に飾られた壇飾りを見て、ひよこ組から年長組まで、その年齢にふさわしくお雛様を作って、今日を迎えた。
 ひな祭りは3月生まれの誕生会「つぼみのお祝い」を兼ねて、年度ごとに行われた。3月生まれの子にとっては、文字通り待ちに待った晴れ舞台である。やっと自分の番が来た。みんな嬉しそうだった。

 きょうは年長組の手紙はののかちゃんの1通だけだった。それも升目をお母さんかに書いてもらって、自宅で書いてきたものだった。ダンボール工作で部屋中足の踏み場もない状態なので、子どもたちも手紙を書くスペースも余裕もないのだろう。このまま下火になってくれればと思うが、なにかウワサが立ったらしく、「おじさん、ゆうびんぽすとはしめないで」という手紙が4通も来ているので、卒園までは一応対応しようと思っている。昨日、クラス別、個人別に整理してみたら、クラスによって多少のデコボコはあるが、全体で853通に達していた。
 2枚続き、3枚続きの手紙もあるので、使われた用紙はA4版で903枚だった。これに何通の返事を書いただろうか。

 数えるのは大変だが記録はしてあるので、後で数えてみよう。500通は上回ったと思う。
 先日、そのの先生たちも活躍している全幼協(全国幼年教育研究協議会)の集まりで、この手紙ごっこのことが話題になったらしい。他園の先生たちから理事長にぜひ実践をまとめてほしいと要望があったという。まあ、世間の理事長さんは経営に忙しくて手紙ごっこなんかしないだろうから、珍しさもあるのだろう。
 しかし、そのの手紙ごっこは園ぐるみの取り組みで、文字の書き方を教える授業としてではなく、また単に文字に対する関心を呼び覚ますという受動的なものでもない。これまで培ってきた人間関係を生かして、自分の気持ちを人に伝えたい、人と交わり、かかわりたい、そのコミュニケーション活動を文字を使ってしようという、能動的な取り組みなのだ。
 子どもたちは、教えられるのではなく、みずから覚えたくてかな文字に挑戦した。その活動は、確かに経験をまとめ、理論化する値打があるかもしれない。
 いま個人別のリストを見ると、(ボク宛ての手紙に限ってだが)、1通しか書かなかった子が2人、2通の子が9人、3通が8人と、活発に参加したとは言えない子が15%以上いる。まだまだ反省点は多い。その意味でもなんとか教訓をまとめたいと思っている。


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