ときめいて子育てを

2007年版
 

 
                                   
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 2月26日(火)晴れ
 年中組は散歩に行って、給食の時間を過ぎて帰ってきた。きょうは午睡のない日なのだろう。ずいぶん遠くまで歩けるようになったので、ゆっくり遊んできたらしい。
 年長組はひな人形づくりに精を出していた。やはり給食の時間までにやっと完成したが、難しい作業をよくがんばってやり遂げたものだ。集中力や根気は大したものである。ロッカーの上にきらびやかなお雛様が並んでいる。壁に飾られた鬼の面と仲よく同居だ。
 給食が終わったころ、事務所を出ると、きりん組のはると君から声をかけられた。

 「おじさん、いま仕事してるの?」。この子はトルコから帰国して9月に年長組に途中入園した。この子と個人的に口を利いたのは初めてかもしれない。
 何年か前、お兄ちゃんが在園中、お父さんの海外赴任のために一家でトルコに移住した。イスタンブールのアヤソフィア宮殿の登ってはいけない(?)大きな石の上に登っている写真を送ってもらったことがある。そういえば、お兄ちゃんはどうしているんだろう。
 「仕事しているけど…どうして?」と、ボクははると君に訊ねた。
 「ぼく、ひとりでリレーの練習しようと思ったんだけど、もし仕事が忙しくなかったら、白い線をひいてもらえないかと思って…」
 はると君はバトンを手にしていた。「いいよ。いま、靴を履き替えてくるから」
 倉庫から白線引きを出すと、「この辺に、大きくね」と、はると君は嬉しそうだった。でも、大きな円を描き終わらないうちに、物見高い子どもたちが集まってきて、一人で練習するのはできなくて、みんなでリレーごっこになってしまった。
 これではると君は満足だったのかどうか、ボクには分らなかった。しかし、ボクの仕事の有無を確かめ、もし時間があるなら、という頼み方、状況を知って行動しようとする賢さに感動した。心配りをしながらも、臆することなく要求をぶっつけられるのも素晴らしい。年長組ともなれば、しっかりしてくるんだなあと、改めて思った。


 2月17日(日)晴れ
 作品展に「きりえ」を飾った。今年度になって作った作品のうち、盛岡のわかば保育園に飾られている「里山にあそぶ」をのぞいて11点を並べた。
 子どもたちの作品を見て歩く中間地点のオレンジの部屋なので、ひと休みには地の利があるのだろう。大勢の人が立ち寄ってくれた。給食室の山中さんがお茶当番をしてくれたが、時間目いっぱい紅茶を入れ、カップを洗い続ける程の人で感激した。

 たまにはきりえの手法について質問に答えたり、おしゃべりもしたが、画集「君たちの日時計」サインセールをしたりして忙しかった。
 肝心の子どもたちの作品は、終了後、先生たちが一緒に各保育室を回って担任の解説を聞いたり、感想を述べ合ったりするツアーに参加したが、全体として年齢とともに飛躍的に表現力を伸ばす子どもたちの素晴らしさと、クラスによる画風の違いを感じた。早生まれの幼い子が多いクラス、下の子が多く兄姉の影響が濃いクラスと子どもたちの違いもあるだろうが、先生の個性と言うか、指導の仕方にもあるかもしれない。年度ごとに絶えず話し合って保育してはいるのだが、人間のやることだから、何事も同じということはあり得ない。難しい問題だ。
 きりえ展では画集が15冊、ポストカードが18セット売れた。売上の57000円は、約束通り園舎整備基金に寄付することとし、その日のうちに会計に納めた。


 2月15日(金)晴れ
 ドイツへ転居して1カ月の、のあ君から手紙が「その」に届いた。のあ君とボクが並んでいる絵を、大きな書類封筒に大事に入れて、平仮名の手紙も入っていた。お母さんの添え書きだと、ドイツの幼稚園に編入されるのは2月18日からで、それまでは家で遊んでいるらしい。閑なせいか「のとおじさんに手紙をかく」と自分から言い出したそうな。年少ちゅうりっぷ組から年中ばった組に進んで、2学期まで1年半あまり、これという程面倒を見たわけでもないのに、のあ君の心の中にボクが存在していたとすれば、逆にボクは何という冷淡な大人だったのだろうと後ろめたい。
 家に帰ると、またのあ君の手紙が届いていた。実はのあ君との別れの日、餅つきを手伝ってくださったお父さんの写真があるからとドイツの住所を聞き、数日前エアメールで送ったばかりだった。その手紙が届く前日、のあ君がボクあての手紙を出したらしい。行き違いに写真とのあ君あてのボクの手紙が着いたので、急いで二度目の手紙を書いてくれたようだ。それが日本へは同じ日に到着したのだった。のあ君がボクの手紙を見ている写真が同封されていた。

 「のとのおじさん。おてがみとしゃしんをありがとう。もうのあのところにも、あかおにがきたよ。のあはいいこだったから、おにはにげたよ。しゃしんみてね。のあより」とあった。
 ドイツ人のお父さんが赤鬼をやってくれたようだ。餅つきにも積極的に参加するなど、日本の文化に理解のあるお父さんに大事にされて、のあ君はお父さんの国の文化をも素直に吸収し、自分のものにしていくことができるだろうと、とても嬉しかった。

 手紙と言えば、年長組との手紙ごっこはまだ続いている。手紙が来れば、必ず翌日は返事を書く。120人もいるから、入れ替わり立ち替わりで、毎日返事を書かなければならない。
 きのうきたきりん組のいたる君の手紙は、ボクの「どんな果物が好きですか」という問いかけに答えたものだが、
 「ももがすきですよ。でもだいすきとゆうほどではありません」とあった。
 年長組になる頃は、大きくもなく、小さくもなく、ちゅうくらい、という概念をつかむ。大好きもあれば、嫌いじゃないけど、ちょっぴり好き、というグレーゾーンが分かってくる。

 けれども、三次元の認識をあいまいな形でつかむことと、それを文にして表わすことの間には大きな距離がある。いたる君の手紙に感動して、ボクは特別便せん2枚を使って、「これからも自分の心のなかを見つめて、すなおにそれを文で表わすように頑張ってね」という意味のことを書き送った。


 2月1日(金)晴れ
 冬は富士山がよく見える。今日も晴れて寒く、富士山日和だったが、如何にせんふもとに見苦しい下品なオレンジ色のハンバーグ屋ができて、台なしである。建てるのは勝手だろうが、周辺の自然環境の調和は、何らかの規制があって然るべきではないか。

 さて今日は早めの節分。
 10時過ぎ、不気味な太鼓の音を合図に、子鬼どもが次々と二階から下りてきて、小さい組を脅して回った。一番派手な鬼は先生たち。
 「いじわるする子はいないか」
 「給食の野菜を残す子はいないか」
 鬼には大義名分があるようだった。野菜を嫌いな子鬼もいるだろうに、堂々と金棒で机や床を叩いている。
 年中組から、年少組・ひよこ組と大暴れして戻ってくると、「よし、最後だ」と、また年中組に押し込んだ。
 いい気になって引き揚げた年長組だが、間もなく本物の鬼の親分たちに見舞われた。すごく怖い。ふだん威張っている子は親分に狙われて連れ去られそうになる。
 「まって。その子はいい子ですッ」と助け出すのが例年ボクの仕事だ。いいとこ取りでいささか気が引けるが…。
 鬼が去っても、子どもたちはまだ泣きじゃくっていた。現代に生きる子どもは暗闇を知らない。恐いものを知らないで育って、人としての謙虚さを失ったとも言われる。自分の力ではどうにもならない怖いものがあるのを知ることは大切なことらしい。
 くま組のあおいちゃんが抱きついて泣きじゃくりながら、屋良先生が鬼に連れ去られようとしたことを思い出し、「やらがいなければ、私、そのには来られないよ」とまた泣いた。
 ちょうちょう組のみはる君は、「おじさん、たんぽぽ組のときは豆を投げて助けてくれたのに、きょうはなぜ豆を投げなかったの?」という。
 「おじさん、投げたよ。豆を拾って投げていたから、ちょっとすくなかったかなあ」
 でも、みはる君は投げないボクを見ていたらしく、納得しないでしつこく食い下がった。

 どのクラスも興奮冷めやらぬ間に、鬼の絵を描いた。みんな生き生きと描くことができた。
 なのはな組のゆうた君は、画面いっぱいに鬼を描き、助手の先生に、「ここは何を描いたの?」と聞かれて、逐一説明していた。先生はそれを鉛筆で走り書きに書き留めている。表現力ある素敵な絵だった。
 子どもたちが部屋の中で震えているころ、鬼の親分たちは大暴れでくたびれたらしく、園庭を元気のない様子で引き上げていく。園庭には人っ子一人おらず、シーンと静まり返っていた。


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