ときめいて子育てを

2007年版
 

 
                                   
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 1月26日(火)晴れ
 卒園アルバムのための記念撮影をした。おしゃれをして、緊張して、真面目な顔で写真に納まった。
 撮影が終わって間もなく、くま組のれを君が事務所に来て、「さっき撮った写真だけどさ、いつかホームページに載るの?」と聞いた。
 「ホームページには載らないよ。みんなが卒園するとき、アルバムといって、大きな本をあげるんだけど、その中にさっきの写真を貼るんだよ」
 れを君は「わかった」と、納得のいった様子で帰って行った。この子は、感じたことをすぐ行動に移せる能動的なところが頼もしい。

 夜、山田洋次監督・吉永小百合主演の映画「母べえ」を大井サティに見に行った。暗い戦争中、治安維持法違反容疑で獄死する夫を支え、二人の娘を愛情深く育てる母親を、吉永小百合が熱演する。二人の娘はボクたちと同時代であるだけに、身につまされて見た。どうにもならない時代を精いっぱいに生きた一人の母親に、自分の親を重ねて、涙をぽろぽろこぼした。サティの劇場はしかし、10人余りの観客しかいなかった。もっと大勢の人に見てもらいたいと痛切に思った。


 1月24日(木)晴れ
 きのうの雪には子どもたちが大喜びだった。大雪で大変な北国の人には申し訳ないが、この笑顔だ。
 くま組のあおいちゃんが事務所のストーブにあたりにきた。手袋の用意がなくて、手が真っ赤だ。「ぬれた手を拭きな」と、ハンカチを貸してやった。
 「おじさん、あおね、初めて雪を見たよ」確かに赤ちゃんのときはみたかもしれないが、入園してからの3年間では園庭で雪遊びをするのは初めてかもしれない。手袋もない軽装の子が多かった。

 それでも素手で雪玉を作って、雪合戦をしている。カメラをのぞくボクを狙った雪玉も飛んで来る。「やったなァ、こいつめ」
 しまいにカメラのレンズに命中した。
 10時までは外で自由に遊んだが、雪に備えのない子が多かったせいか、いっせい保育は室内でつくえに向かって静かにやっていた。再び真っ先園庭に出てきたのは年少組やひよこ組だった。雪はまだ盛んに降っている。
 このまま夕方まで降り続けばいいのにと念じたが、やがて小雨になり、溶けていく。年中組や年長組は土手や田んぼへ出たらしいが、もうビショビショだったようだ。


 1月22日(火)晴れ
 外で写真を展示するパネルを作っていると、なのはな組のみうちゃんたちが来て、手伝ってくれた。釘のケースから釘を一本ずつ出して手渡してくれる。一本打って、次の釘を手渡されるまで待つようだから、およそ能率が上がらない。でも本人たちは楽しそうにやっているので、気長に待った。この仕事は午前で終わった。
 午後、郵便ポストを開ける。峠は越したのか、30通くらいしか入っていない。このうちらいおん組は16通だったが、そのうち6人が親子そのまつりの紙ひこうきコーナーのことに触れていた。

 「ももは、のとのおじさんのかみひこうきいったよ」と、ももちゃんはまずは報告。作ってくれたのか。
 「かみひこうきつくったよ。1と5をつくりました。のとさんもがんばったね」と、りゅうどう君。1は改良型三角ひこうき、5はジェット機だ。
 「ゆうた、かみひこうきいかなかった」と、あやかちゃんが報告してくれたのはお兄ちゃんのことだ。あやかちゃんへの手紙で「お兄ちゃんと一緒においで」と書いたので、その報告なのだった。
 紙ひこうきコーナーに行かなかった手紙では、はやて君の
 「のとのおじさんへ。おやこそのまつりで、どんじゃんとべいごまとたけうまがしていたからいけなかったよごめんね」というのもあった。ごめんねでも、りん君は、
 「ごめんねかみひこうきのところにいったけど、むずかしかったからふつうのひこうきをつくって、おしまいにしたからな」とある。また、さらちゃんは、
 「そのまつりのときのとのおじさんのかみひこうきちょっとむずかしかったけど、たのしかったよ」
 どの手紙も言いたいことがしっかりあって、それを言いきっていることに感動した。


 1月20日(日)晴れ
 親子そのまつりで紙ひこうきづくりをやった。9時半から2時まで、お客さんが後を絶たなかった。卒園生が結構たくさん来てくれたのは予想通りだったが、園児も結構多く、少し難しい作品が多すぎたかもしれない。
 一番人気は三角後退翼のジェット機だった。写真の親子が手にしているのはそのジェット機だ。マニュアルを見ながら自力で作る人も結構いたが、子どもには「せみひこうき、作りたいひと」と呼びかけて、見本を折りながら教えた。意外と「かもめ」のリクエストが多かった。これや超音速ジェット機は手ほどきしないと、絵図だけで作るのは難しい。そんなわけで、一日声をからして、先生をやっていた。多彩なあそびを展開した親子そのまつりの全貌は見ずじまいに終わってしまったのは残念だ。以前ロケットを作ったときもそうだが、自分で何かをやるのは考えものだと思った。

 さて、年長組との手紙ごっこはその後も続いている。土曜日までに192通の返事を書いた。土曜日に13通、20日のまつりの時も3通の手紙が来ていたし、らいおん組は始まったばかりだから、当分この仕事は続くだろう。しかし、手紙ごっこは感動の連続でもある。
 金曜日、19日のことだが、朝年長のクラスへ返事を届けに行った。

 一日ずつずらしてスタートしたので、らいおん組には最初の返事だった。子どもたちは待ち構えていた。それを渡して、20分くらいたった時、りょうま君が事務所へ駆け込んできて、「おじさん、遊ぼう」という。「何して遊ぶの?」「うさぎの滑り台じゃないか」
 ああそうだった。この子は「すべりだいすき」と書いていたので、「こんどだいこんぬきしてあそぼう」と返事を書いたのだ。それにしても反応が早い。
 「いいよ。うさぎの滑り台しよう」とボクは言ったが、りょうま君はそれには答えず、「ぼくの手紙は?」と聞く。「おじさんがもらった手紙のこと? ここにあるよ」「じゃあ見せて」
 らいおん組の束からりょうま君の手紙を出して渡すと、りょうま君は彼の手紙とボクの返事を2通並べて、「こういうふうに、つながっているんだよ」と言った。
 すべり台好き・・・うん、すべり台しよう・・・確かにつながっている。りょうま君は、手紙は文章でコミュニケーションをとる手段だということを、いま体験を通じて感動的につかんだのだ。
 それから二人でうさぎのすべり台へ行った。あいにくらいおん組の担任が通りかかって、「やぎ当番だよ」と言った。りょうま君は、「おじさん、事務所で仕事していて。当番が終わったら行くから」というので、事務所へ戻って翌日のそのまつりの準備をしていると、りょうま君が来て、「もう始まりの時間になっちゃった。ぼく、遅バスだから、その時遊んで」ととび跳ねながら帰って行った。遅バスの時間、うさぎのすべり台やアスレチックで一緒に遊んだのは言うまでもない。


 1月17日(木)晴れ
 連休明けの15日から、年長組の手紙ごっこが始まった。しばらくは返事を書くので忙殺されることだろう。
 初日はくま組に「ポストができたよ。みんなの手紙を待っています」という手紙を出した。先生の誘導で、全員が手紙を書く。
 ポストに入れると、早く返事が貰いたくて、「おじさん、ポストがいっぱいだよ」と開封を催促する。ふだん事務所に来ない子まで顔を出す。
 「今日の手紙の返事は明日だよ」。
 夜、26通の手紙に返事を書いた。
 翌17日はぞう組に誘いの手紙を出す。

 ぞう組から29通の手紙が来た。それにボクの返事を読んだくま組から19通が来た。計48通。夜半瞼が開かなくなるまで書いたが終わらず、今朝は5時起きで続きを書く。
 今日はきりん組に呼びかけるから、きりん、くま、ぞうの各クラスから手紙の山がポストに入るだろ。そして、明日はらいおん組が加わる。
 去年、しまいに腕が痛くなったので、今年は2Bの鉛筆を4Bに変えてみた。いくらか楽なようだが、かな文字を覚え始めの子どもが対象だから、一字一画、止める、跳ねる、払うをきちんと書こうとすると、やはり力が入り過ぎてしまう。
 子どもの返事用紙は10字詰め6行だが、
 1行目は「のとのおじさんえ」
 2行目は「べいごましよう」
 そして、最後の行に自分の名前。…この手紙にどんな返事を書くか。かな文字が読めて、書けても、文をつづるのは初めての子が多い。先生に「何を書けばいいの?」と聞いたり、友だちの書くのをのぞいて真似っこしたりと、それなりに苦心しているようだ。
 その子をイメージしながら、「べいごまして、そのあとたかおにしようよ」などと付け足していく。判読に時間のかかる子もいる。というわけで、1時間根をつめても10人こなせば、いい方だ。
 でも、子どもの成長が別の角度からも見えてきて、感動の毎日ではある。
 ぞう組のゆうせい君は、さんざん悩んだ末に書いたらしいが、
 「のとおじさん。いつもそのべーびーでかわいがってくれてありがとう」とあった。一読して、思わず目頭が熱くなった。この子はそのBabyで1歳児と2歳児を過ごした。ちょっと難しい気性の子だったので、お母さんに「そのがいいよ」と勧めた。年少の入園のお祝い前から登園して、クラスに入る前にオレンジに来た。ホールでの昼寝は泣くばかりで、はじめは毎日ボクが添い寝をした。年中のとき、いち早くコマが回せた。それも水平に投げられて、きれいに回った。そのころから友だち関係も良くなってきたかも知れない。お父さんと遊ぼうのコマ大会では缶ゴマの長生き競争で優勝した。…そんな成長の道筋を思い出しながら返事を書く。どの子にも、なんにもしてやれなかった気がする。どの子も自分の力で伸びていくようにも思える。それでもボクは、一人ひとりの名前と住所を名簿で確かめながら、今夜も精いっぱい鉛筆を握るだろう。


 1月11日(金)晴れ
 6日のお父さんと遊ぼう「たこ・こま大会」を皮切りに、7日の新入園児個人面接、8日新学期初日と、あわただしく3学期が始まった。
 ボクは格別忙しいわけではないが、忙しそうなふりで、日誌をさぼってしまった。言いたいこと、書きたいことはいっぱいあったのに…・

 事務所の入り口に、赤い「おじさんのゆうびんぽすと」を作った。年長組との手紙ごっこに備えたものだ。年長組は正月遊びが忙しくて、手紙ごっこには手がついていないが、くま組の子がポストを見て、手紙を入れ始めた。
 ちゃんとした取り組みではないので、鉛筆ではなくフェルトペンでなぐり書きの便りだ。

 すずかちゃん、まなちゃんの手紙は、「おじさん、どんなごはんがすき?」「どうぶつではなにがすきですか」などと尋ねて、答えのマスが書き込まれてある。ベイゴマ好きなぎん君、りょう君、れを君たちは「おじさん、べーごまやろう」の一色だ。非公式な手紙だが、一応正式の返信用紙で答えを書く。

 べいごまと言えば、同じくま組のかいと君に「おじさん、勝負しよう」と誘われた。
 「くま組は強いからなあ」
 「ぼく、そんなに強くないから」と、かいと君はニコニコしている。この子は勝っても負けても、いつも笑顔が絶えない。勝負にはこだわらずに、コマ回しを楽しんでいる。「忙しいからちょっとだけだよ」
 ボクはポケットから加工したウサギベイを出そうとして、未加工のベイゴマと取り換えた。
 実は、コマ大会のとき、川越の愛好会の人にウサギベイを加工してもらった。手が切れそうなくらい立派になった。その日は使わなかったが、翌日深野園長とやってみた。一発で園長のベイゴマを外へはじきだした。「ヤッタァ!」。深野園長に勝ったのは2年ぶりくらいだ。以前は同等だったが、むこうが上達したのか、こっちが退化したのか、もう勝負にならなくなっていたのだ。
 その後は気合を入れなおした園長に連敗したが、負けてもいいところまで行く。加工したコマの強さを実感した。
 そのウサギベイを取り出そうとして、ポケットにしまい直したのは、かいと君に対して、自分が汚い手を使おうとしているのを恥じたからだ。子ども同士でも、おとなと子どもの勝負でも、加工は大きなハンディを持ち込むと思う。かいと君たちとボクは未加工のベイゴマで勝ったり負けたりで楽しんだ。

 そのでのベイゴマの在り方について、そのHP掲示板で熱い論議が行われているが、それとは別に、三学期というか冬の季節、以前は子どもたちは縄跳びに熱中していた。ずっと以前は年中組は長縄跳び、年長は一人縄跳びで、目標を掲げて挑戦した。その後、子どもの運動能力の低下もあって、長縄跳びを年長で取り組んだこともある。
 去年の冬、年長組はドッジボールでよく遊んでいた。サッカー遊びに夢中だった時期もある。コマを回せる指先の働きや腕の振り、その集中力や瞬発力は、子どもの発達にとって意義深い活動ではあるが、個々の能力の高い峰を築くことだけでなく、幼児の「全面発達」を目指す保育の立場で、重点をおいて取り組むべき課題については見直す時期に来ているかもしれない。


 1月2日(水)晴れ
 明けましておめでとうございます。陽だまり読者のみなさんにはご機嫌よく新春を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 昨年11月には訪問者が15万人を超えました。昨年1年間だけでも訪問者数は27,801人、1日平均76人に達しました。日誌はサボりサボりなのに、懲りずに来て下さって、とても嬉しくありがたく思っております。

 今年もたくさんの年賀状を頂きましたが、印象的だったのは盛岡市わかば保育園からの1通です。そこにはボクの切り絵が印刷されていました。

 なにかとても変な気持ちです。切り絵の下には「きりえ『里山にあそぶ―わかばの子どもたち』作・能登真作」と添え書きされています。なんだか、変な気持だなあ。

 今年は紅白歌合戦はほとんど見ませんでした。事前のNHKの宣伝を見ると、司会の顔触れと言い、いかにも騒々しい番組に思われて、見たくありませんでした。この頃、民放顔負けの、安っぽいタレントがばか騒ぎをする場面が多く、そういうやり方が若い世代を惹きつけるやり方と思っているのか、国民を愚弄しているのか、いやですね。
 似たもの夫婦なのか、かみさんも見たくないと言って、いつもの勉強をするというし、ボクはかみさんが机のスタンドをつけるのを見て、工作室に入り、切り絵の続きをしました。

 11時を過ぎて、除夜の鐘でも聞こうかとテレビをつけると、とり、おおとりの4人が歌うところでした。紅白の最後を聞いて、これは赤組の勝ちと思っていると、結果は逆だったので、きっとその前は白組がよかったのでしょう。
 除夜の鐘は、ボクの郷里・飛騨高山と隣り合う雪深い白川郷からでした。

 明けて正月、雑煮を食べた後、工作室に入ると、「正月くらいやめなさいよ」とかみさんに言われながらも、正月くらい好きなことさせてよと思って、切り絵を続けました。
 途中で娘や孫たちが来て、夕方まで歓談しましたが、帰った後は切り絵。

 ようやく2年越しに完成したのが「夏―つゆくさ」です。この川遊びをしているのは、おととしの「その」のキャンプセミナーのときの子どもたちがモデルです。
 次は冬。花はサザンカにするか、寒椿がいいか、それとも南天の実がいいか、考えまどうのもまた楽しい。


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