ときめいて子育てを

2007年版
 

 
                                   
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 12月26日(水)晴れ
 盛岡市のわかば保育園に依頼された切り絵は額装ができて、昨日現地に向けて発送された。気にかけて制作してきたのでホッと一安心と寂しさが半ばだ。園長からのメールで、「里山にあそぶ―わかばの子どもたち」と題名をつけてくれたらしい。

 久しぶりに朝のうちBabyに行く。1歳児が散歩に出るところだった。靴をはかせるだけで大騒ぎだ。そうた君がボクの靴を指さして何か叫んでいるのは、「はいて」と言っているらしい。「おじさんも行くの?」。そうた君は喜んでボクと手をつなぐ。 

 すると、もうバギーに乗っていただいき君が声をあげて、降りるといっているらしい。「歩いていくの?」と先生がバギーからおろすと、だいき君はにっこり笑ってボクの手をとった。「三人で行こうか」
 中沢公園は近い。駅前の一時保育室の子どもたちが遊びに来ていた。「こんにちは」。公園に入っていくと、保育室の先生が「能登さんじゃありませんか」と声をかけてきた。顔を見て、すぐに分かった。だいぶん前の「その」のお母さんだった。
 「上の男の子はは大学4年で、理系に進みましたが、本当は保育士になりたかったそうです。下の娘も大学1年で、児童心理から入って、いずれ保育士になりたいとそうです。そして、今があるのは、そのでいっぱい遊んで育ったからだと、子どもたちがいつも言っているんですよ」
 下の娘さんが年長組のとき、「就学準備について考える」合同クラス会で、ボクは当時文部省が提起した「新学力観」について、これを批判する意見を述べた。基礎学力を身につけているかどうかでなく、関心、意欲、態度がどうかで評価するという「新学力観」は、子どもの力を信じておらず、学力低下につながりかねない、と警鐘を鳴らした。
 ボクの話が終わった後、公園であったお母さんの反応が的確だったのを、ボクは今も印象深く覚えている。してみれば、兄と妹が賢い若者に育っているとすれば、それは「その」のせいだけではなく、家庭の指導も適切だったのだろうと、ボクはお母さんの感謝の言葉を聞きながら思っていた。

 さて、日差しは暖かく、心地よかった。そうた君やだいき君と芝生のわずかな坂を使って、斜面を駆け降りるあそびをした。手をつなぐと、その手をあてにしてかえって転んでしまう。「転ばないでね」一人で上手に駆け下りられたときは拍手して、何回も昇ったり降りたりして遊んだ。そのうち転んで、「転ばないでよね」と言ってもらうのが嬉しくて、わざと転ぶあそびに移行した。楽しそうなので、3月生まれのはる君も仲間に入った。芝生の土は少し湿っていて、服は汚れそうだったが、キャッキャッ喜んで、立っては転び、転んでは立って遊んだ。そのたびにボクは「転ばないでよね」「転ばないでよね」と言いながら、時に押したり引っ張ったりして転がして遊んだ。
 遅番の先生が駆けつけたのをチャンスに、ボクは公園を去り、「その」に向かった。


 12月22日(土)曇り
 昨日はクリスマス・コンサートはあるし、サンタクロースは来るしで、「その」は一日あわただしかった。
 帰りのバスの時間が近づいたころ、きりん組のひまりちゃんとはるかちゃんが来て、
 「おじさん、サンタは誰がなったの?」
 「サンタさんには誰もなれないよ。フィンランドから来たって英語で言ってたじゃないの」
 「…おじさん、前にサンタさんになった?」
 そういえば、午前中男の子が事務所へ来て、「まるやま、サンタやるんだろ」と言っていた。それで運転手の丸山君は供給の仕事をさぼって

年長組のクリスマス会にずうっと顔見世をしていた。一部の子は、あれ?と思ったに違いない。
 ボクはひまりちゃんたちに言った。「おじさんはサンタにはなれないんだ。サンタになるにはまだ若すぎるし。今日来たのは本物だよ。もし偽物のサンタが来たら、それは泥棒かも知れないから、おじさんは追っ払ってしまうよ」
 二人は疑い深い目でボクを見つめていた。「でもね、サンタが偽物かもしれないと思っていると、せっかくもらったプレゼントが煙になって消えてしまうかもしれない」

 二人は無言で帰って行ったが、まもなくはるかちゃんが一人で戻ってきた。
 「おじさん、あたし、信じる」ときっぱり言った。はるかちゃんが消えると、すぐにひまりちゃんが現れた。「おじさん。私も信じる」にっこり笑って言った。

 夜はBaby職員の忘年会に出た。アルコールは苦手なボクだが、若い先生たちとそれなりに楽しい時間を過ごした。家に帰って、切り絵を少しやった。

 明けてきょうは花壇づくりの最終日だ。先週までにほぼ整備されていたので、土のかさ上げが主な作業だった。消石灰をまき、黒土と腐葉土を大量に入れて、土の黒々とした立派な花壇の出来上がりだ。小さな草花を子どもたちに並べてもらって植えた。
 11月末から約1ヵ月、土曜日、日曜日に誰か彼か参加してくれて、お父さんボランティアの力で完成にこぎつけた。
 園庭に火を起こしてバーベキューでささやかな祝賀会を開いた。成果は子どもたちの活動に生かされる。今年はちゅうりっぷの球根植えには間に合わなかったが、来年は年長組の畑作り、全園児の球根植えと目いっぱい働いてくれるだろう。完成した花壇の前でさっそくベイゴマ勝負ときた。卒園生も在園児も加わって。


 12月20日(木)晴れ Babyでクリスマスコンサートが開かれた。演奏の桜井さんと斎藤さんは「その」のお母さんなので、「その」は明日の予定だ。
 クラシックの演奏会は普通学齢前の子は入場させてくれないので、生の演奏を聴く機会はほとんど絶無だ。ふだんの居場所でヴァイオリンやピアノの演奏を聴けるなんて、すごく幸せなことなのである。しかも、0歳児から2歳児の子どもがが!

 「とんぼのめがね」や「むすんでひらいて」、「あわてんぼうのサンタクロース」など知っている曲のときは声を合わせ、からだを揺すって喜んだ。誰一人立ち歩きもせず、最後まで静かに聴くことができたのには驚いた。やっぱり本物は違う。
 終わって先生が「きょうはパパやママに、きれいな音楽を聴いたよって話してあげようね」と言うと、1歳児のだいき君やきょうすけ君は身を乗り出して、何か言おうとしていた。まとまった言葉にはならなかっただろうが、ママに伝えたいことは、心にいっぱいなのだ。どんな思いがこの子たちを満たしているのだろうか。

 子どもたちの後は、子育て支援センターの親子の番だ。40人のお母さんと44人の子どもが階下の部屋で待っていた。
 お母さんと一緒とは言え、1歳前後の子が多いようだったが、泣きも騒ぎもせず、最後まで静かに集中して聴いてくれた。子どもと一緒に歌ったり手を打っていたお母さんたちが、ヴァイオリンが物悲しく「ユーモレスク」を奏で始めると、子どもを抱いているのを忘れたように真顔になった。まなざしを伏せて聴き入る人、表情硬く思いつめたような人、涙ぐんでいる人…思えばコンサートなんて何年ぶりだろうか。日々子育てに追われて自分を顧みることもないこの頃、あるいは、幸せな日常に甘んじて、何かを

どこかに忘れてきたのではないか…。ボクの勝手な想像にすぎないが、いまこの人たちは何かを深く考えようとしているように思える。感動とはそういうものかもしれない。
 コンサートをやってよかった。斎藤さん、桜井さん、ありがとう。そもそもみなさんの支援で「子育て支援センター」ができてよかった。


 12月16日(日)晴れ
 きのうは「そのBaby」のもちつきだった。36名の園児だけでなく、子育て支援センターに来ている親子にも呼びかけたので、最初から込み合うのは予想されていた。狭い園庭はじきにお客さんでいっぱい。保育室を食堂にして、搗きたてのきなこもち、のり醤油もち、雑煮が大好評だった。
 3キロもちを9臼搗くというので、内山元理事をはじめ、何人かのお父さんにも手伝ってもらった。昔ならこの程度は一人でも搗いたが、体力の限界で、今はもう駄目だ。こうだい君のおじいちゃんの火守りがよくて、順調に進んだ。

 ボクの搗いているのを見て、若いお父さんが「全然軸がブレないですね」と褒めてくれた。ありがとうね。これは最高の賛辞だ。
 昔の男はハラを据えて仕事をした。いまは「ハラに据えかねてキレる」奴は多いが、ハラは座っていない。ハラとは下腹部のことだ。タンデンとも言った。ハラを据えて、腰のバネで仕事をする。それが出来るから「軸がブレない」のだ。それは身体の構えだけでなく、生き方の問題でもある。貧しい家庭で、労働しながら幼少の時期を過ごしたことを、いまは親に感謝したい。
 食べ放題のもちつきだが、満腹すればそれ以上は食べられない。9臼目は余裕だった。後片付けもそこそこにBabyを失礼する。きょうも「その」ではお父さんたちのボランティアが花壇づくりの作業をしているのだ。顔を出すと、煉瓦の枠づくりは完成していて、古い土の掘り起こしもほぼ済んでいた。

 そして今日はボクの当番だった。理事やお父さん、卒園生で赤玉土、黒土、腐葉土、牛フン肥料をまいて花壇らしく土壌改良をした。土は少な目だが、なかなかの花壇になった。来年からは秋に子どもたちがちゅうりっぷの球根を植え、新学期を楽しんだあと、5月か6月からは年長組の畑に変身するだろう。
 22日の作業が最終日になるでしょう。思ったより早く完成しました。お父さんたち、ありがとうございました。

 午後は東京芸術劇場に日本フィルの第9演奏会にいった。日本フィルが解散を決めた後、労組が自主再建を目指すのを、微力ながら支援

したりして、以前はよく聴きに行ったが、このところ機会がなかった。日本フィルは何年ぶりかだ。第一楽章が始まってすぐ、これがベートーヴェンだ、いや、こんなに激しい出だしだったか、と思っているうちに引き込まれて、オレはこんなに激しくは生きてこなかった、漫然と日々を過ごしてしまった、と悔恨の思いに駆られた。
 素晴らしい演奏だった。(沼尻竜典指揮) 右側に陣取ったビオラ、チェロ、コントラバスの弦の美しさが抜群だった。東京音楽大学の合唱は、若いだけ声量があり、いつの第9よりも美しく心に響いた。ソリストたちもテノールの錦織健、ソプラノの大岩千穂が素晴らしかった。
 風邪気味で、咳が出そうで、お茶を手放せなかったが、久しぶり感動して家路についた。


 12月13日(木)小雨
 人形劇と表現活動の参観が終わって、ベイゴマが解禁された。缶ゴマや鉄ゴマまわしは盛んだったが、解禁されたとたん、年長組の一部の子はベイゴマに燃えている。
 「おじさん、勝負しよう」と声をかけられたが、今日のメンバーを見ると、くま組のれい君がいる。れい君や、やはりくま組のりゅうと君たちがいては勝てっこない。
 れい君の回し方を見ると、ベイを投げる腕の動き、その速さは並のものではない。「れい君、ベイゴマを見せて」
 ベイゴマの底が菊の花弁のように、きれいに削られている。

 「誰が削ったの?」「ボクのお兄さんだよ」「お兄さんは何年生なの?」「6年だよ」…なるほど。
 感心していると、とんぼ組のあける君が缶ゴマを手に、「おじさん、回せたよ」という。そういえば、この子が「おじさん、どうやって回すの?」と聞かれたのはいつだったろう。いや、ごく最近のことなのだが。その時は紐の巻き方を教え、一緒に投げて一応回った。「貸してあげるから練習してごらん」と言って別れた。それが回せたと言う。
 「見て、見て」とあける君はコマを投げる。よぼよぼとだが確かにまわっている。「まわった!」ボクは感動して、笑顔のあける君を抱きしめた。「やったね」

 10時から「そのBaby」子育て支援センターのクリスマス会だった。小雨の中を赤ちゃん連れのお母さんたちが集まってくる。親子の厚着が脱がれて部屋の隅は荷物の山だ。
 いつも木馬のひろばや子育てサロンに遊びに来ている人たちなので、友だちもでき、孤独に子育てをしている人は少ないようだ。リラックスしてクリスマス会に参加出来ていると見受けられた。 そののお母さんで初めてBabyに来たという人が「きれいなんですね」とびっくりしていた。どこに比べてきれいと言うのか。そのもきれいに建て替えなくちゃなるまい。

 同じころ、ふじみ野市の保健センターで「給食を作ってみよう会」で開かれていた。山中栄養士が育児休暇から復帰して9か月、久しぶりの会なので、卒園間近の年長組のお母さん30人余りが参加した。
 ひじきご飯、呉汁、さんまの筒煮、キャベツともやしの三杯酢、昆布の佃煮、煮豆。盛りだくさんの献立を、レシピを見ながら、協力して楽しそうに作っていた。お味はどうだったか、残念ながら出来上がりまではいられなかった。

 午後は石原先生と県子育て支援課へ。例の認定こども園の問題で、こちらの意見を言い、そのを視察してくれた担当者も積極的な意見を聞かせてくれた。いろいろ考えねばなるまい。

 あれやこれやと忙しい毎日で、保育日誌はサボりがちだ。それでも、1ヵ月以上苦しみながら頑張っていた盛岡の保育園あてのきりえが、今朝ようやく完成したので、少しは余裕ができるかもしれない。


 12月1日(土)晴れ
 花壇づくりの第二日目。9時にはお父さんたちが姿を見せる。今日は登園の土曜日なので、花壇づくりに来てくれたお父さんにしがみついて離れない子もいた。
 それに、ばった組とくま組が親睦会ということで、昼前からお父さん、お母さんが続々集まってきて、くま組はすいとんの、ばった組はカレーライスの準備を始めた。作業現場にロープを張って、立ち入り禁止にしたが、面白そうなので子どもたちの見学に来る。神経を使った。

 花壇づくりは、ちょっと邪魔になる雲梯2台の移動か

ら始めた。人海戦術で、あっという間に移動が完了した。
 別動隊は、飾りブロックを並べて、花壇のヘリを作る仕事を始めていた。浅い穴を掘り、モルタルを流しこんで、ブロックを並べていく。水糸は張ったが、まあ本職のやり方から見れば驚くべき簡便さで作業が進められていく。形が目に見える仕事は楽しい。雲梯の移動が終わった人も加わって、急ピッチでブロックが並べられていった。一応、直線部分はは一直線にできた。明日の課題を確認して3時過ぎ終了。
 今日は弁当を買いに行って数を間違え自分の分がなかった。ばった組のすいとんのおかげで午後も

仕事ができた。具だくさんで、実においしいすいとんだった。
 途中でばった組のしおりちゃんが「きょうで終わりだよ」と言いにきた。パパの転勤で引っ越しすることになったようだ。園長と3人で記念写真を撮った。「埼玉に帰ってきたら、そのへ遊びにおいでよ」と言うと、しおりちゃんは屈託ない笑顔で、「うん、くるよ」と答えたが、ボクは多分もう一生会えない気がした。


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