ときめいて子育てを

2007年版
 

 
                                   
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 11月28日(水)曇り
 きょうは「うさぎの広場」のやきいも大会だ。朝、園庭で準備していると、くま組のかいと君たちが来て、
 「来て、来て。チョコの箱があるの。振ったらカタカタ言うから、きっと中に入ってると思うよ」
 「チョコ? おじさん大好き。頂戴」
 「来てよ。来てよ」
 くま組に行くと、10人余りの子が寄ってきて、「おじさん、お菓子を持ってきちゃダメって言ったんだよ。やら(先生)も分かった、もう持って来ないって約束したのに、見て! ほら、チョコレートだよ」
 「おじさん、食べちゃえば?」

 「そうだよ。やらは、もう忘れているかもしれないから、平気だよ」
 見れば、昨日クラス会に来るお母さんに売ったCOOPのチョコだった。「だって、やら先生が覚えていたら、怒ると思うよ。…じゃ、こうしよう。チョコをどこかに隠しておきな。明日の朝までやら先生が何も言わなかったら、忘れた証拠だから、みんなで食べちゃおうよ」
 「うん。明日のあさね」。子どもたちは大喜びでチョコを押し入れのあたりに隠した。「だけど、12個入りだから、みんなでは食べられないな」。すると、きららちゃんが「半分に割れば大丈夫だよ」と言った。
 やっぱり、みんなチョコが食べたいんだ。ボクを仲間に引き込めば、先生に怒られはしなと計算が働いている。くま組の連中はアタマの回転がいいのだ。
 ところで、明日の朝どうするか。先生に隠れて、子どもたちと一緒に食べるわけにもいくまい。やら先生が思い出して、チョコを見つければいいわけだ。

 やきいもは、年少組でやったときより時間がかかった。落ち葉がゴミ袋詰めで倉庫に入れておいたら、湿気て燃えが悪かった。県の子育て事業の「お父さんのヤキイモタイム」で提供されたサツマイモが大きすぎて扱いにくかった。八百屋から買ったベニアズマがおいしかったから救われた。お母さんたちも「おいしい、おいしい」ととても喜んでくれた。
 きょうは大人90人、子ども104人の参加で、ずうっと火のそばで、中腰で動いて、いささか疲れた。
 昼食後、そのBabyに行く。一時保育のりく君がすぐにボクを見つけて寄ってくる。一緒に遊んで、一緒にヨーグルトとビスケットのおやつを食べた。離れると泣くので、隙をみて逃げ出すのに1時間かかった。


 11月24日(土)晴れ
 日本きりえ美術展に行く。上野公園には「ハトに餌をあげないで」という都の看板がやたら目立つ。
 都立美術館はいくつもの展覧会が重複してにぎやかだ。今年は一階の会場でわかりやすい。数十点がならぶ小部屋が9室あって、ボクの作品は8っつ目の部屋の一番奥だった。出品は早々としたのに、どうしてこんな後ろになってしまうのか、理解できない。500点近い作品に見飽きたころ、やっとお目にかかれた。
 きりえを始めたばかりという作品もあるが、息をのむような大作、力作も多くて、勉強になった。
 いま、盛岡の保育園に頼まれた作品

に取り組んでいて、背景に岩手山と連なる山を描くつもりだが、山を描くのは初めてなので、山を描いた作品を許可を得て何枚かデジカメに収めた。
 事務所の井出さんと給食室の斎藤さんが見に来てくれたのに偶然出会って、昼食をともにした。二人はアメヨコをぶらついてから帰るという。こっちはまっすぐ家に帰ると、きりえの続きに、じきに夢中になった。


 11月23日(祝日)晴れ
 18日に大バザール、22日(昨夜)その反省会、疲れもとれない今日から園庭の花壇づくりが始まった。
 園庭南側の垣根は以前は竹垣だった。和風のただずまいが素敵だった。植木屋さんにやってもらったこともあるが、当時は街に竹屋さんがあったし、竹と棕櫚縄を買ってきて、自分たちで作ったこともある。長持ちしないので、メンテナンスが結構大変だった。
 竹垣では子どもが乗り越えたとき危険なので、生垣に沿ってベニカナメを植えた。手入れが悪いこともあって上へ上へと伸びて、園庭の日当たりが悪い。いつか生垣はやめてフェンスにしたので樹木の必要もない。

 というわけで、伸びすぎたベニカナメを撤去して、フェンス沿いに花壇を整備しようということになったものだ。初日の今日は13人のお父さんと、まわりに7人の子ども。

 朝からがむしゃらに働いて、20数本のベニカナメと自生したケヤキの若木(と言っても根本で直径10センチはあったが)などを根っこから抜き取った。それをジグソーや手ノコで伐って、ごみ焼却所へ運んだ。6千円以上とられたというから、抜いた木の枝や根の重さは600キロ以上あったことになる。
 いやはやみんなよく働く。左は深野園長と事務所の山中さんだ。お父さんたちに交じって終日汗を流した。
 夕方には園庭の南側はスッキリと明るく、見通しが良くなった。夕方、松田専務理事・有吉理事とホームセンターで資材を見聞した。これからの作業が楽しみである。


 11月18日(日)晴れ
 一週間雨で延びて、その間ずうっと気持ちを切らさずにいるというのは、誰にとっても重荷であったろう。
 でも、そのの大バザールには笑顔が絶えない。どの売り場、コーナーに行っても、班の仲間と力を合わせて準備してきたお店を何としても成功させたいという熱気が感じられる。それが必至というのでなく、笑顔でできるのはなぜだろう。
 班の会計責任者のお母さんが売り上げを本部に届けに来て、
 「がんばりました。楽しかったわ。…班のみんながとっても仲良くなったし…」
 と、重たい袋といっしょに笑顔を残して行ってくれた。ほんとにみんな、お疲れ様でした。

 すごいのは前日の準備と当日の後片付けに参加してくれた100人余りのお父さんたちの働きである。前日、11時前にはテントを張り終え、機材や荷物をトラックで運び込んで、2時半には作業を終えた。当日は2時の閉店を待って、撤収作業を開始し、4時半には終了した。その間、肉体労働には縁遠い人も多かったろうに、休みなくからだを使ってくれて、見ていてもさわやかだった。

 こういう力はどこから出てくるのだろう。
 お母さんたちは日常の園での様子を知った上で、経営を支えることで「その」の保育を守ろうと分かってのがんばりだと思う。
 それはお父さんたちにも共通しているが、世間では幼稚園のことはお母さん任せが不通だ。そこを「その」は、お父さんと遊ぼうハイキングを皮切りに、多面的なお父さん参加を進めてきたことも力になっていると思う。

 理事も職員もみんな頑張った。台バザールをやるたびに「その」の組織への誇りを感じるのはボク一人ではあるまい。


 11月17日(土)晴れ
 きょうは1週間延期した「その」の大バザールの準備と、環境フェアの催しが重なって、大変な一日だった。
 ボクは順番で今年は環境フェアの実行委員長だったので、朝からそっちに出向いた。理事5人とモスクワから帰国したばかりの前専務の内山さん、退職した斎藤先生、守山さんが環境フェアを担当してくれた。
 会場はサティ隣の公園、「その」Babyのテントを借り、看板を掲げて「やきそば屋」とバルーン風船作りをやった。
 バルーンは大人気で、子どもたちが終日詰めかけ、「ここが一番人気だなあ」とつぶやく少年もいたそうな。
 ボクは開会のあいさつで、「荒廃からいのちにやさしい地球環境を守るために、市民にできる地道な草の根の運動を広げよう。子ども服一枚のリサイクルも、綿花を栽培した農家、糸をつむぎ布を織り、縫製した人々、そのための機械を作り、さらに鉄鉱石や石炭を試掘した人など、幾万人の手をへた物を大事にし、費やされたエネルギーを大事にすることにつながる。

 こうしたささやかな努力を積み重ね、運動を広げて、京都議定書を守らせ、温暖化ガスの削減によって子どもや年寄りのいのちを守れる環境を作るというグローバルな課題を推進しよう」という趣旨のことを述べた。
 一方で「その」の大バザール準備は、テント張り、機材や荷物の搬入など、すべて順調だった、たくさんのお父さんたちの献身的な働きは、ほんとうに「その」の誇りだ。
 環境フェアの後片付けが終わり、4時半過ぎに中央公園に着くと、まだ事務所の職員や理事たちが最後の準備をしていた。一度家に帰って一休みし、9時ころ、焼きたての餃子を仕入れて、公園の夜警てんとに向かった。何人かの理事はもち米研ぎに「その」に行っていたが、留守部隊が時折見回りをしながら、ビールや酒で暖をとっていた。徹夜で見張りをしてくれる人もいるのだろうが、11時前にボクはお先に失礼した。さあ、明日一日、大バザールで頑張らなくちゃ。


 11月14日(水)晴れ
 きょうは県民の日で「その」は休みなので、めろん組の子どもたちはお弁当を持ってBabyに登園してきた。Babyは焼きいもの日で、「その」へ入園しためろん組も参加することになっている。
 ちゅうりっぷ組のゆなちゃんが、「おじさん、焼きいもをしても、食べちゃダメだよ」と言った。
 「どうして?」
 「おじさんのおなか、ぽんぽこりんだもの」
 「焼きいもくらい、食べられるよ」
 「ダメ。おじさんはメタボだから」
 なんということだ。みんなで笑ってしまった。9時に薪を割って火をつけた。オキの上にアルミホイルで包んだイモを並べる。包んだのは2歳児と先生だ。近くの公園から拾ってきた落ち葉を燃やしていると、中から何本もタバコの吸殻が出てくる。公園で吸って、吸殻を捨てる自分勝手な大人たちにも困ったものだ。
 イモは40分くらいで焼けた。おいしいけれど、熱い。アチチ、1歳児や2歳児は食べたいけれど、熱くて手で持っては食べられない。お皿において、覚ましながらフォークで食べた。
 さすがめろん組の3歳以上の子は手づかみで食べている。焼きたてはおいしい。赤ちゃんたちも先生に小さくして口に入れてもらい、ぱくぱく食べている。餌をねだる小鳥のようによく食べていた。 

 一時保育のぶどう組の子も庭に出て焼きいもを食べた。でも1歳3カ月のりく君は、なれない光景に驚いてか、イモどころでなく南園長に抱かれて泣いていた。「おいで」とボクはお愛想のように言ったが、りく君は何を思ったか、ボクの腕に移ってきて、肩に顔をうずめた。しばらくは抱いていて、部屋に戻ってミニカーやブロックでなどで遊んだ。くまが飛び出すおもちゃにビックリしたふりをすると、キャッキャッ笑う。
 「りく君。おじさんは仕事だからね。後でまた遊んであげるからね」とよく言い聞かせても、意味は伝わらないようだった。離れようとすれば激しく泣く。
 仕方なく一緒に遊んで、給食も抱っこして食べさせた。味噌汁の大根も人参も、焼き魚もちゃんと食べた。ただ噛んで噛んで、なかなかゴックンができない。1歳過ぎではそんなものか。ゆっくりお相手をした。
 離れてくれないので、手をつないでめろん組に行った。きょうは普段は「その」の延長保育オレンジにいるかなちゃん、かこちゃん姉妹も来ていて、とくに年長組のかなちゃんが引っ張って、いつもと違う遊びが展開されていた。積み木で高い高いタワーを作った。17階もある。3歳児が積み木を取って渡し、協力して仕上げたものだ。壊さないように、壊されないように、健気にもみんなで守っていた。
 りく君は昼寝に誘いに来た先生に泣きながら連れ去られた。


 11月7日(水)晴れ
 午前眼科へ行った。2週間まじめに目薬をさした成果で、眼圧がかなり下がっていた。右目の緑内障はかなりひどく、「失明の恐れがある」と院長に警告されていたが、「よし。問題ない。目薬は忘れないように」とのご託宣にホッとした。
 とんぼ組の天井にイモザウルスがつり下がっていた。絵の具を模造紙に塗りたくるのは見て

いたが、いつの間に作ったのだろう。模造紙を何枚も貼り合わせて大きなイモをつくり、壁に貼るのは年中、年少でやっているが、立体化して天井にぶら下げたのは面白い。

 バザーで売ろうと幼児サイズの竹トンボを作っている。作りながら天候を気にしているが、こればかりは努力のしようもない。
 ほしいほしいと言ってくるので、一つ貸し出し用を作った。羽根に二つ穴をあけ、ひっかけが二つある発射台を勢いよく回して、羽根だけを飛ばす。これがよく飛ぶ。足がないだけ身軽で、跳び方も軽やかだ。静かに半円を描きながら、滞空時間を長く飛んでくれると、飛ばした人は心地よい。
 手をもって一緒にやれば、ひよこ組の子でもよく飛ぶ。たっちゃんも、ゆうさく君も、二度目には「自分で」と言った。あまり飛ばなかったが、自分で挑戦しようという気持ちが素晴らしい。
 「貸して、貸して」という年長組に、順番だぞ、終わったら責任もってかえすんだぞ、と言って渡すと、どの子も飽きると、事務所まで返しにくる。「ない、羽根が見つからない」と騒ぐ声がしたが、見つけたらしく無事帰ってきた。


 11月4日(日)晴れ
 今朝、陽だまりの訪問者が149,770人に達した。すぐに15万人だ。思えば2001年春にスタートして6年半、こんなに大勢の方に見ていただいてひたすら感謝である。スタートしたころは1日に数名ということが多かったが、いつからか、30人台になり、40人台になり、最近は6〜80人台、時おり100人を超える。15万人目を引き当てた人には何かを贈るようかなあ? まあ名乗り出た人があったら、その時考えよう。

 今日はBaby職員の高橋和子さんがかかわる劇団の公演があって、中板橋のスタジオで観劇をしてきた。けいこ場のように小さな劇場なので、役者は目の前にいる。下手なシバイだったら、観客もやりきれないだろうが、一応演技力もあり、脚本もテンポよく進んで、飽きさせなかった。殺人事件という題材がよかったかどうか。新劇というのはいつも挑戦だ。歌舞伎や文楽のように長い歳月に磨き上げられたものではないので、新しいものに挑戦しつづけるというのは大変なことだろう。

 中板橋から中根橋を渡ってしばらく行くと、今は本町と呼んでいるらしいが昔は板橋10丁目と言った一角がある。1949年から50年にかけて、ボクはそこに住んでいた。懐かしくて、観劇の後、少し歩いてみた。中学を卒業して上京し、兄嫁がやっていた下駄屋の一室に下宿していたのだ。駅からずいぶん歩いて、その辺まで行ったが、きれいな商店街になっていて、下駄屋がどのあたりだったか、もう分らなかった。

 さらに足を伸ばして、国道17号の10丁目の交差点を横切って旧道へでた。そのあたり一帯は「岩の坂」といって、都内有数の貧民くつだったが、高層マンションに姿を変えていた。坂の中腹にあった岩の坂交番でデモ隊に警官が発砲して若い労働者が死ぬという事件があり、そのデモ隊に若い日のボクもいたが、その交番は坂の下に移動して名前も「本町交番」に変わっていた。その交番脇の路地を入ったところに敬隣保育園が、今もあった。
 この保育園の谷田部園長はかっぷくのいい老人だったが、こまめに園舎を直したりしていた。美人の三人姉妹があって、ボクは中のお嬢さんが目当てで、用もないのによく通った。しまいには園庭がよく見えるアパートの一室を借りて住んだ。広さは2畳、トイレも水場も共有の粗末な部屋だったが、すべては保育園のそばであることで許された。今は、そのアパートは立派なマンションに姿を変えていた。そして、敬隣保育園も鉄筋コンクリート造2階建の立派な園舎に改築されていた。

 20歳前後のころ、ボクは「板橋新聞」というミニコミ紙を発行していた。そんな関係で板橋区の保育園長とは親しくしてもらっていた。和敬保育園の近藤先生には「その」を開くとき相談に乗ってもらった。敬隣保育園の谷田部先生、陽光保育園の平沢先生にも親しくしてもらった。
 「その」と「そのBaby」でリズム運動研究会の講師に呼んだ陽光保育園の男性保育士は、かつて平沢先生と一緒に働いたことがあるということで、先生の立派な一生に話題が盛り上がった。
 思えば、人の出会いは深い意味を持つ。その20歳前後にボクは保育の仕事に就くとは想像もしていなかった。けれども、園長の懇親会などに呼ばれて、戦後の問題意識旺盛な園長たちの話をきいたことは、今にして思えばボクの青春を豊かに彩り、何らかの形でそれは今も生きているに違いない。

 保育園の岐路、幼少のころ守山さんが暮らしたという中根橋そばの”貧しい家”があったあたりを歩いたが、どの家もきれいになっていて、かつての面影はないようだった。
 板橋十丁目は一度行ってみたいと思っていた。これで気が済んだ。


 11月2日(金)曇り
 そのBabyりんご組(2歳児)の遠足で、高坂のこども自然動物公園に行った。
 空模様が怪しく、うすら寒いので、途中で持参した上着を重ね着させた。でも、帰りつくまでどうにか降らずにいてくれたのは幸運だった。
 今年はふれあい広場の予約の関係で、門をくぐり、トイレをすますと、そちらへ直行した。 都会の道を散歩して、友だちとしっかり手をつないで歩くのは習慣化している子どもたちだが、木立の坂道をみんなで横に手をつないで、道幅いっぱいに広がって登って行った。
 ふれあい広場でウサギを1羽、モルモットを5匹借りて、交互に抱いた。こわごわ抱いて緊張しているのがかわいい。「触れた」くらいで「触れあう」まではいかない。怖くて抱けない子も三人いた。
 Babyにはウサギが1羽とザリガニが2匹いるだけで、そのの子に比べると動物との接触は少ないので、2歳児では怖くても不思議はない。そういう体験の少ない子どもたちのためにこの「ふれあいコーナー」があるのだろう。怖い子も置かれたウサギの背中に、そっと手を触れたり、ウサギの小さな手と握手した。それなりに貴重な体験だったと思う。

 大きな鳥小屋に赤や青のきれいなオウムがいて、突然、「コンニチハ」と言った。びっくりして、みんなも「こんにちは」と叫ぶと、オウムは明瞭な発音で「コンニチハ」と繰り返しした。そのうち、ひときわ大きく「バイバイ」と叫ぶと、それっきり口をつぐんだ。何回もここにきているが、これはボクも初体験だ。天気もどうにかもち、ハラハラすることもない、楽しい遠足だった。


 11月1日(木)晴れのち小雨
 空模様が懸念されていたが、朝は予想外の晴れだった。園長は勇んで9時過ぎに軽トラで出かけて行った。今日はイモ掘り。子どもたちに先行して、畑の畝に2株ずつ石灰で白線を入れて、準備を整えておくためだ。
 ひよこ組から順番に、畝に沿って二株ずつを示して並べていく。大勢だし、ひよこ組などはすぐに動いてしまうから、掘り始めるまでが容易ではない。
 「周りの土を掘って、イモを引っ張りぬけるようにする」というのも、幼い手では難しい仕事だ。イモの頭が見えているのに、なかなか掘り出せない。手伝わずにできるのは年長組になってからだろうか。

 それだけに掘り上げたときは嬉しい。笑顔が素敵だ。収穫を掲げて、誰かに見てもらいたい。
 なのはな組のみくちゃんが浮かぬ顔をしていた。「おいも、採れたかい?」と聞くと、「四つしか採れなかった」と小声で言う。
 袋の中を見ると、四つと言っても結構大きいのばかり採れている。
 「いっぱいじゃないの?」
 「でも、お父さんでしょ、お母さんでしょ、みくでしょ、おばあさんでしょ…ね? おじいさんのが足りないの」
 なるほど。「でも大きいから、お父さんとお母さんは半分こでもいいと言うと思うよ」。
 みくちゃんは、「あ、そうか」というホッとした表情で納得したみたいだった。

 同じ二株でも出来不出来はある。しかし、子どもにすれば結構な収穫だから、「ぼくはいっぱい」と満足していて、他の子の数より少なくても全然気にしていない。先生たちも多少は調整してくれているようだが。

 午後はBabyで経理関係の仕事をした。夕方「その」に戻って、坂倉先生がひよこ組の遠足の様子をホームページにアップロードするのを見守った。このところホームページ委員になった先生たちに記事の更新を、ときどきやってもらっている。だんだん一人でできるようになってくれるだろう。


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