ときめいて子育てを

2007年版
 

 
                                   
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 10月29日(月)晴れ
 朝Babyに寄って、土曜日のバザーの最終結果を聞いた。台風接近の雨が終日降り続いたが、お客さんは開店前から入口で待っているほどで、雨にしてはよく来てくれたので、結果は予想以上のものがあった。
 それにしても土曜日は「その」は来年度入園児の一日入園だったし、Babyはバザーで、こんな日に何で台風が来るの、と言いたい。それも時速100キロ近いスピードで近づいて妨害するなんて、許せないなあ。
 翌日、疲れたからだを起こしてみれば、昨日の雨がうそのような快晴。ますます腹が立つ。それでもみんなが頑張って、いい結果が出たのだから良しとするか。それにしても、いい天気だったら、どれだけの人が来てくれたものか…とまた考えてしまう。子育て支援センターができて、広い部屋ができたので、雨でも決行できたのだが、そのセンターはこの半年で3045組の親子が来てくれて、Babyもずいぶん地域に根をおろしてきたので、昨年とは違うはずだった。
 でも、あの雨の中、お父さんたちが雨に濡れながらテントを張ってくれた。2歳児の親はもう勝手が分かっていて、黙って園庭に向かった重たいサッシュ戸を外して物置にしまう。後片付けまで、お母さんたちも職員もよくがんばった。こういうがんばりが収益以上の成果なのだ。一つにした心は物質的な力に転化する。


 10月26日(金)
 年長のらいおん組が花の木中の向かい側にできた「さくらの里」という特養ホームに行くというので、一緒に行ってみた。この特養ホームができたのは数年前だろうか。初めて見る施設なので興味津津だった。
 最近、年長組に老人施設からお呼びがかり、先日はきりん組が大井デイケアを慰問したが、ぞう組、くま組も近々どこかへ慰問に行くらしい。
 新しい施設だけあって内部はとてもきれいだった。二階の広いホールとも談話室とも思える空間には、もう10人余りのおじいさん、おばあさんが車いすで待っていた。一人で歩いてきて長椅子に座る人もいた。

 「ああ間に合った」と車いすを押す職員が次々とお年寄りを連れてくる。僕よりはいくらか高齢の人が多いように見える。
 子どもたちはカセットと園長の太鼓に合わせてソーラン節を踊った。手拍子を打ちながら穏やかな笑顔で見ている人もあれば、無表情な人もいる。踊り終えると、律儀な拍手が広がった。
 次は園長の作った「かっぱのまつり」を踊る。「かっぱかっぱ、かっぱのまつり」の繰り返しのところで、車いすのまま一緒に踊るおばあさんもいた。
 それから、「おさるのかごや」を歌った。一緒に口ずさむ人もいた。
 子どもたちは促されて、おじいさん・おばあさんに近づいて握手をした。全盲のおじいさんに、職員が「小さい手でしょ。小さい子なんですよ」と話しかけていた。
 帰りのバスで「泣いてる人がいたよ」「いた、いた、二人いた」と子どもたちが言った。「きっとみんなが来てくれて嬉しかったんだよ。人間は嬉しいときにも涙が出るんだよね」と先生。
 どんな人がここに入っているのだろう。建物はきれいだし、職員はよくしてくれるのだろう。でも、やっぱり家族と一緒にいられれば、それが一番幸せだろうに。
 でも、穏やかな笑顔で子どもと握手を交わす人たちは、この境遇の中で精いっぱいかしこく生きているようにも感じられる。
 自分もここにいて不思議ではない年齢になっただけに、人ごとではない。幼い子に触れて、子育てをした時代を懐かしみ、帰らぬ歳月に別れを告げる思いは切ないものだ。ああもできた、こうすればよかったと、やり直しの利かないことばかり思い浮かぶものなのだ。

 夕方、Babyへ行く。0歳児のななちゃんが布絵本を持ってきた。ボクのひざに後ろ向きに座って、何回も読んでというそぶり。3回目に、「こんにちは」のところでくまさんの頭を手で下げた。おじぎをさせる本なのだ。「ああそうか」ななちゃんに教えられた。


 10月25日(木)晴れ
 予報では曇り、のち雨となっていたが、運よく晴れ間もある好天となった。ひよこ組の遠足は例年の高坂自然動物公園をやめて、富士見市のビン沼公園に出かけた。
 バスに乗って、あっという間の到着だ。ビン沼と言っても広々とした草原の公園で、沼は見えなかった。
 一面の草原にはショウリョウバッタやいなご、アマガエルなどがいて、子どもたちはすぐに追い始める。
 「カエルほしい」ばったァ」というリクエストに応えて、付き添いの大人たちは草にしゃがみ込んで、夢中になっていた。「もう私は動態視力が悪くて…」と石原先生がぼやけば、井出さんは「エイッ、エイッ」と両手にバッタを捕まえていた。
 「あ、カマキリ!」「ちょうだい、ちょうだい」とうるさい声のなか、怖いものは嫌いなともや君は泣き出して、先生に抱かれていた。

 12人の2歳児に、担任2人を含めて7人の大人が一緒だった。一応担当する子どもが割り当てられていたが、ボクの担当するりょうせい君はかわいそうに熱が高くてお休み。もう一人のけんご君は、いつもボクのそばがいいのに、きょうは広々とした周りが心地よいのか、全然寄りつかなかった。そのうちドングリ拾いになった。かい君はまん丸のドングリをひとつ手にして、「どんぐり、どんぐり」と覚えたての言葉を嬉しそうに繰り返していた。
 土手の道と違って、どこへも、どっちへも行ける広がりは、子どもの心をゆったりさせるように思えた。

 お弁当の時間、手の込んだおいしそうな弁当ばかりだ。はる君のお弁当もおいしそうなのに、隣のボクの弁当箱から「ちょうだい」と無邪気にブドウをつまんで、食べてしまった。ボクが皮をむこうとすると、「そのままで食べられるよ。タネがあったら、ペッと出しな」と教えてくれた。
 この年齢はこだわりなく自我の命ずるままに行動する。それが出来るような人間関係の中で育つことが成長にとって大事なことなのだろう。
 土手の散歩で鍛えた四肢が広々とした草原の初体験に生きている。けれど、野外保育は日常の延長線上にありながら、ひとつ飛躍を求める活動でありたい。日常の散歩に近い形でいいものか考えさせられた。


 10月19日(金)曇り
 年少組の遠足に同道した。上尾でも上福岡よりの丸山公園は、近くていい。園バスですぐに着く分、ゆっくり遊べる。
 小動物園をみて、ドングリを拾って、もうお弁当だ。おいしそうな手の込んだのが多い。前日年長のお母さんが「お弁当が一度で済んでよかった」と言っていたそうだけれど、その気持ちがわかる力の入れようだ。
 弁当が終われば、目の前がアスレチック。すぐに遊び始める。
 さすが半年とはいえ「その」で鍛えた子どもたちだから、ちょっと難しそうな課題に挑戦する子が多い。急な丸太の坂を、上る途中で滑落を繰り返しながら、懲りもせず「おじさん、これどうやって登るの?」と聞く。教えてもすぐ出来るというわけではないが、ロープの引き方を伝えて、ちょっとお尻を押してあげる。自分で登れる子も結構いた。
 少し遊んだところでリュックに戻り、おやつを食べている子がいる。「ほら、ターザンが面白そうだよ。やる?」と先生が誘っても、「ヤダ」と、おやつから離れられない。
 「滑り台、やってもいい?」と聞きに来た女の子。「いいとも」。走って行って、長い長いローラー滑り台を終えて、「面白かった。またやる」と笑顔いっぱいで戻っていく。
 遠足は“野外保育”とも呼ぶが、ふだん散歩などで鍛えた力がものをいう。と同時に日常的な散歩とは違う目新しさが、活動意欲を引き出す役割をはたすのを感じた。


 10月17日(水)曇り
 15日と16日、盛岡市郊外の「わかば保育園」を訪ねた。
 むかし、岩手大学生協の職員のための無認可保育園だったが、25年前に市の用地提供を受けて、認可保育園となったという。盛岡駅からおよそ8キロの郊外、閑静な住宅地にあった。
 保守的な盛岡の地にあって、「その」と同じような自然の中で泥んこになって遊ぶという保育を続けていると聞いて、興味をもってはいた。この園がいま、大規模改修中で、新しくなる園舎の玄関にボクの切り絵を飾りたいと、画商を通じて注文を受けた。このホームページの切り絵を見て、気に入ってくださったようだ。
 そして、どうせなら「その」の子どもたちでなく、わかば保育園の子どもたちを描いてほしいということで、ボクで役に立つかどうか、見学がてら伺いましょうと、画商の社員、萩さんと一緒に新幹線で盛岡まで出向いたのだ。

 佐藤秀子園長が暖かく迎えてくれた。
 年長の「たいよう組」は17人で、うち3人がダウン症などで発達遅滞のある子だという。子どもたちの様子を写真に撮るにしても、まず仲良くならなくてはと、昼寝が終わる時間に保育室に行く。
 保育しながらの改修工事で、大きい組は園庭のプレハブで生活していた。蒲団をしまう押入れがないのか、子どもたちは寝袋で寝ていた。起き出した子に寝袋を借りて、「うわあ、あったかい、寝袋は初めて!」と喜ぶと、「おじさん、キャンプに行ったことないの?」「あるけど、毛布だもの」「買えばいいのに。売ってるよ」…そんなふうに人懐こい子どもたちとすぐ仲良しになった。
 ダウンの子が起きようとしていた。「その」で前に保育した2人のダウン症の子より軽度だろうか。まわりの子が声をかけ、暖かく支えているのが伝わってくる。この園の創立以来の障害児保育の積み重ねがわかる気がした。
 一緒におやつを食べてから外で竹馬を見た。今はまだ個人差が大きいが、やがて卒園する頃にはみんな高いのに乗れるようになるという。ゆうと君が2〜3歩、かろうじて乗れていたが、何度も挑戦するうち、しまいに20メートルほどのコースを踏破した。「やったね」と先生に褒められて嬉しそう。…翌日、ママに言ったかい?と聞いてみた。「言ったよ」「それでなんて言った?」「なんにも」。そうかなあ。何も言わなかったというのは怪しい。

 翌日、9時30分に散歩に出発した。市街地を抜け、ひょうたん池の公園の先に山道があった。園から3キロほどの山の中の休耕田が目的地だ。
 以前はあぜ道を気にして遊んだが、今はわずかに畔のあとが盛り上がって見えるだけの草むらで、イナゴやバッタが飛び交っている。細い用水路だけが草の茂みの中を流れて、子どもたちはカエルやあめんぼを追う。
 冬眠前のトノサマガエルや、ヒキガエルにしては小ぶりだが、子どもの手からははみ出すような獲物に笑みがあふれる。
 「あっ、タニシだ」と叫ぶ子に、駆け寄ったはると君が、「タニシじゃないよ。カワニナだよ」と言った。「ホタルに襲われる前に、助けてあげなくちゃ」と腹ばいになって獲った。この子は”虫博士”なことが公認らしく、バッタを捕まえた子が、「はると君、これはオス? メス?」と聞いている。
 同行した主任の山蔭先生が木立の中にアケビを見つけた。さっそくはると君が枝もないつるつるの樹に登って、蔓から実をゲット。探せばいくつもあった。割れて完熟の実を少しずつ手のひらに乗せてもらって食べる。「おいしい」という子も、食べる勇気の出ない子もいた。

 3キロ歩いてきたとは言え、身近なところにこんなに豊かな自然があるのはうらやましい。子どもたちの好奇心をくすぐるものがいっぱいだ。
 旺盛な好奇心と、赤ちゃんの時から育ててきたであろう友だち関係の深さが、この子たちを生き生きとさせている。いまの瞬間、この子たちは幸せがいっぱいだと感じた。多分、親にも先生にも大事にかわいがられて育っているのだろう。
 この園の子どもたちは、あれはダメ、これもダメとがんじがらめに縛られることなく、むしろ、その子らしく自由に遊び、対等な友だち関係を深めているのを、ボクは肌で感じた。

 遊んでいるとき、一人の女の子が、「先生、けいちゃんが跳んだよ!」と叫んだ。(多分、けいちゃんだったと思う)。
 ダウン症の男の子が両足をそろえて水路を跳び越えたのだ。「けいくん、すごい!」と先生。その子は褒められて、元気に二度、三度と跳んだ。
 初めに跳んだ時、それに驚き、それを素晴らしいことと評価できる友だちがいた。出来なかったことが出来るようになったのを、自分のことのように喜ぶ友だちがいた。それがけい君を二度、三度と跳ばせたに違いない。

 鈴木理事長や佐藤園長と保育のことや後退する福祉行政への懸念を話し合ったのも勉強になった。「おじさん、明日も来る? ・・・だめなの。また来てね」。子どもたちとハイタッチで別れた。
 紅葉は遅れていた。いつかまた、この園を訪ねることがあったとしても、多分この子たちとは会えないだろう。でも、ボクの絵でいいのなら、力をこめて作ろうかな、と思いながら新幹線に乗った。


 10月8日(月)曇り
 朝、小雨がぱらついた。昨日、空模様を気にしないで運動会ができた幸せを、改めて噛みしめる。秋晴れのもとで爽快な運動会だった。
 昨年は雨で午後の大人の競技を省略したので、今年は参加者が2年分というほど多かった。午前の子どもたちの演技・競技が素晴らしかったので、おとなも気分よく参加してくれたのだろう。
 「その」では子どもたちを締めつけて、訓練を重ねるような稽古はしない。しかし、課題に自分の気持ちで挑戦できるように、先生たちは緻密な努力を積み重ねてきた。
 当日は、朝から詰めかける観客に驚き、小さい組では泣いたりぐずったりもしたが、始まれば自由に自発的に取り組んできた成果をしっかりとあらわすことができた。
 どの子の表情も生き生きと素晴らしい。年長組のリレーを見て、年少のときには立ち尽くして何も出来なかった子が、真剣なまなざしで全力疾走する姿を見て、かつての担任は涙ぐむ。
 年中のリズム運動のとき、ももちゃんが担任の背中から降りないのを、無理やりおろして一緒にやった。ひよこ組の時からの仲良しだから、嫌がらなかったが、「なべなべ底抜け」になったら、ボクはそれはやったことがなく、ひっくりかえることができない。ももちゃんは困惑して笑っていたが、後ろの客席からも笑声が聞こえてきて、焦った。じきに「お舟はぎっちらこ」になって、救われた。「その」にいるからには「なべなべ底抜け」くらいできるようにしないとまずいかなあ。
 年長組のソーラン節はよかった。退場する子どもたちに贈る拍手にも心がこもる。午後は卒園生やおとなの競技も最高に盛り上がった。

 夕方から理事・職員合同の反省会が開かれた。53人の参加者全員が感想を語った。子どもたちの成長、その感動を親たちと共有できる喜び、誇りに満ちた発言が相次いだ。

 最後にボクも発言した。
 「運動会のあと、私たちは満ち足りて幸せだ。それは「その」の保育への確信に裏づけられている。
 そのが開園した直前の1969年、幼稚園教育要領が改正され、国は幼児教育の国家統制へ一歩進んだ。教育要領には123項目の教育課題が明示され、がんじがらめの押しつけ教育が推進された。ところが1989年には幼稚園教育要領は、子どもには押しつけの指導は好ましくないと放任教育へ方向変換した。この方針は「自由保育」と呼ばれた。
 「その」は、幼稚園教育要領の動揺に惑わされず、子どもの思いに寄り添い、子どもの気持ちを受け入れると同時に、それにおもねず、「でも、こうすることもできるんじゃない?」と別の視点を示して、一緒に課題に取り組んできた。とくに年長組には、今はできない難しい課題を投げかける。年長組は挑戦し、それを乗り越える力を持っている。そうした保育理念の正しさを、運動会は立証しているのではなかろうか」。


 10月5日(金)晴れ
 製作を依頼していた業者から平均台4台が届いた。早速午後からペンキを塗った。
 古い平均台はぼくの手作りだった。何年使っただろう。10年か、15年か。運動会で子どもの座席になったり、クラス対抗リレーの障害物になったりした、普段は子どもたちの泥料理の調理台替わりに活躍した。
 4台のうち1台は足もとが腐って廃棄した。残りもだんだん古くなり、つかの部分に腐りがきて、運動会のヒノキ舞台には似つかわしくない。かつて3回ペンキを塗りなおしたが、それも限界にきた。

 業者に作ってもらえば、さすが手作りよりは立派だ。多分、ボクが死んだ後も使われているだろう。むかし、「暮らしの手帖」に日曜大工の塗装が特集されたことがある。白を基調に好みの色を加え、深みを出すために少量の黒を入れる。平均台の塗装変えのときは、いつもそのようにして落ち着いた中間色を出すようにした。
 今は素敵な中間色が製品になって売られている。今回は、さくら色(実際は濃い桃色だった)、ラベンダー色、オリーブゴールドという三色を仕入れた。塗るのも刷毛ではなくローラーだ。ずいぶん仕事が楽になった。子どもたちに見守られ、というか、「触るなよ、触るなよ」と神経を使わされる。
 ひよこ組のりょうせい君が来た。「おじさん、なにしてるの?」
 「ペンキ塗って、きれいにしてるんだ。…ペンキでほっぺに丸を描いてあげようか?」
 りょうせい君は一瞬考えて、「そんなことしたら、パパがおじさんのこと、やっつけにくるよ」と言った。
 パパって絶対の権威なんだなあ。
 ところで今日の暑さは何なのだ? ボクは一日で真っ黒に日焼けしてしまった。この後、老人性のシミが恐ろしい。


 10月3日(水)晴れ
 運動会の総練習は突然晴れあがって暑いくらいだった。午前中に無事終わって、午後は園長が物置から大きい跳び箱を出してきた。
 模範演技で“活”を入れようというわけで、老人のボクは遠慮して園長や若い屋良先生に跳んでもらう計画だったが、見れば血が騒いで、写真にもう一段加えた6段に挑戦した。踏み板を60センチ離して跳ぶ。「すげえ!」と子どもたちが拍手してくれた。園長は90センチにして軽く跳ぶ。ボクはちょっと怖かったが、どうにか跳べた。
 すると、園長は150センチくらい離して、余裕で跳んだ。もちろんボクは降りた。

 子どもたちが「やりたい、やりたい」と言う。一段減らして、やりたい子に跳ばせてみた。上の写真はくま組のれい君、下はぞう組のゆうせい君。ほかにも10人近く跳べた子がいた。
 年長組は給食が終わったかどうかという時間帯で、みんなが園庭にいたわけではないので、この高い跳び箱に挑戦する意欲を持った子は、もっとたくさんいただろう。跳べなかった子も、初めての高い大きい跳び箱に挑戦する意欲はあったということだ。やはり昨日の嘆きは訂正しなければならないかもしれない。
 総練習のはんとう棒では自力で登れない子は数人で、こんなことは滅多にない。すごいことだ。


 10月3日(水)曇り
 8日の運動会が迫り、晴れ間は少ないが、一応雨がやんでいるので、園庭は年度ごとに時間割をして練習に余念がない。
 年長組は跳び箱の仕上げに入っている。指導方法もいろいろ工夫しているようだが、全体に勢いというものがない。園長とも話し合ったが、勢い余ってマットに顔から落ちるような、威勢のよい跳び方のできる子が少ない。ためらって、安全に尻をつく子が目立つ。
 どうしたらいいか。小学校用の大きい跳び箱が倉庫でほこりをかぶっていた。むかしはそれを使っていた。昔と言っても10年か20年前だ。

 運動能力の低下は全国的な問題だが、人間がそんなに短期間に退化していいはずはない。現状を安易に受け入れるのではなく、本来持っている力を引き出そうとするのが「その」の保育だ。
 「勢いよく跳ぶおとなの姿を見せたらどうだろう。肢体の能力ではなく、勇気が足りないのではないか」と園長と話し合った。明日の総練習が終わったら、大きい跳び箱を出そうか。
 …以前も同じ悩みで、模範演技をしたことがある。踏み板を跳び箱からだんだん離していく。10年ほど前は150センチくらいなら跳べた。2,3年前は90センチでもう怖くなって、園長に嘲笑された。怖いだけでなく、事務所の守山さんが両手をあげて×印を作り、「やめて」と合図していた。もう70を過ぎていたし、周りに心配をかけるようになったか、と90センチで止めた。さて、明日は何センチ離せるか。

 午後、Babyの関係で富士見市の部長・課長と話し合いがあった。
 富士見市の民間六園の理事長・園長が要望書を提出して、減額が相次ぐ補助金の回復と増額を要望した。
 国・県が「子育て支援」を口にしながら、保育園や障害者施設への補助金に大ナタをふるっている状況の中では、末端の市役所にできることには限度があるだろうが、そうは言っても認可を受けながら民間の保育園は生き延びられるかどうかという危機的な状況にある。
 公立保育園に比べ民間は60%しか収入がない。この官民格差の解消を具体的な数字をあげて要求した。


 10月2日(火)曇り
 文庫委員会主催のひだまり講演会が開かれた。講師の荒川薫さんは、去年日程が合わなくて断念した経過があっただけに、今年は文庫委員が力を入れて取り組んでくれたおかげで、お母さんたちが120人も集まって、文庫の勉強会としては画期的だった。
 「ここのお母さんは聞こうと思って聞いて下さるので、私の話が受け止められ、沁み渡っていくのが感じられました」と、荒川さんは終わって事務所で話されたが、聴衆の質も高いだろうが講演の内容自体が素晴らしいものだった。120人も集まってくれたのに、もっと大勢の人に聞かせたかったと残念なくらいだ。

 荒川さんは読み聞かせの意義を心をうつ言葉で、改めて語られた。そして、絵本の選び方についても具体的な心構えをわかりやすく話されて、ボク自身、本当に勉強になった。講演の前後には、「その文庫」創設のときお世話になった井の頭保育園の福地トシ先生が今もお元気らしいと消息も聞かせてもらえた。
 下の写真は講演のための臨時保育の様子だが、卒園生のお母さんがボランティアでやって下さった。例年のことではあるが、これでお母さんたちは静かに落ち着いて聞ける。こういうところが「その」の活動の厚みになっている。ボランティアのみなさん、ありがとう。


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