ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 3月24日(土)晴れ
 子どものそのBaby子育て支援センターの落成祝賀会がにぎやかに行われた。
 国の交付金が内示され、昨年9月入札をしたとき、どの業者の入札額も予定価格を大幅に上回って落札できなかったときは、目の前が真っ白だった。近藤建設契約が成立するまでの一週間は、生きた心地もしなかったが、完成してみればそれも懐かしい思い出ではある。
 感慨をこめて、竹内設計士と近藤建設に感謝状を贈った。
 富士見市の子育て支援課長、富士見市議会議長の代理の市議らから祝辞をいただいた。Babyやそのの父母・職員も喜びに満ちて参列してくれたと思う。
 仏は出来たが魂を入れるのはこれからだ。閉会のあいさつで南園長は、2歳児でBabyを卒園した子が、希望すれば子育て支援センターの一時保育室で朝夕の保育を受け、ふじみ野市の子どものそのへ通園できるシステムが出来たことは、Babyの乳児保育にとっても新しい第一歩となるとのべた。
 来賓の祝辞で子どものそのの深野園長も、「そのとBabyの結びつきは、さらに一歩前進した。さらに交流を深めていきたい」と述べていた。
 和やかながら前向きの素敵な祝賀会だった。

 祝賀会を終わって、午後「その」に行くと、お父さんたちがアスレチックの修理作業をしていた。
 今回は理事さんだけでなく一般のお父さんのボランティアを募集して、7人の新しいお父さんが加わっていた。高いところの作業だが、慎重に、しかも巧みに仕事が進んでいた。
 ボクはと言えば、落成祝賀会の残り物を差し入れただけで、背広姿をいいことに手伝いもせずに見学させてもらった。作業はもちろん一日では終わらず、次回は3月31日、予備日として4月1日を予定している。
 子どもを遊ばせながらできるので、お父さんと子どもの結びつきも強まるようだ。


 3月22日(木)晴れ
 きのうは第41回卒園のお祝い。お祝いが終わって、理事・職員の会食があり、さらに理事さんたちがアスレチック大修理の準備をしていたので、それをぼんやり眺めていた。疲れとお祝いの満足感で、手伝う気力がなかった。スイマセン。

 お祝いのあと、園庭で三々五々記念写真を撮っていると、ぞう組のこうへい君が「おじさん、いっしょに写真撮って」と言って来た。たいていは親から申し込まれるのに…。「いいよ」と答えて、「こうへい、今日は泣いたかい?」と聞いた。
 「泣いちゃった。練習のときも泣いたけど…」
 「どの歌のとき泣いたの? ”ありがとう出お別れ”のとき?」
 でも、こうへい君はどこで思いがこみ上げたかは覚えていなかった。後でスライド係りの神田さんに聞くと、その歌のときは泣くまいと必死にこらえながら歌っていたそうな。こうへい君のほかにも涙ぐむ子はいた。別れを惜しむ感情がしっかり育っているのは嬉しいことだ。

 前後するが、お祝いの始まり、卒園児の入場のとき、きりん組の由美先生が一礼すると、会場中の親たちから「ウオーッ」という歓声があがった。

 はかま姿もさることながら、美しくセットされた髪型が”おどろき”を呼んだのだろうか。普段は3児の母として、年長の担任として、なりふり構わず動いているが、もともと美しい人なのだ。「由美先生、写真撮ろう。髪が見えるように立って」と、ボクはこうへい君のように少しはにかんで申し込んだ。

 お昼は恒例の理事・職員の会食が予定されていたが、春の日差しは暖かく、昨日までの強風も収まっていて、心地よい園庭にはいつまでも別れを惜しむ親子が去らなかった。感動的な卒園のお祝いではあったが、日々積み上げられた「その」への思いが、”おわり”を承服できない気持ちに駆り立てているのだろうか。親たちのその思いがボクたちの背中を押してくれる。また来年もがんばろうと。

 今日は午前中、石原主任と県の子育て支援課へ行った。認定こども園の担当者とゆっくり話し合ったが、現場と行政との隔たりの大きいことを感じた。
 午後、近藤建設から、そのBaby子育て支援センター増築工事の引渡しを受けた。書類やカギの引渡しが終わって、お茶を飲みながら談笑した。宇佐美社長の奥さんは「その」の第2回卒園生だし、お子さんも二人とも卒園生なので、そのの運動会で騎馬戦や綱引きを戦って痛い思いをしたことなど、話が弾んだ。立派な建物は建ったが、これから未経験の子育て支援事業をどう展開するか、楽しみもあれば苦労もあるだろう。


 3月17日(土)晴れ
 子どものそのBabyの第4回卒園のお祝いだった。
 2歳児で卒園する12名のうち、0歳児クラスから3年間いた子が5人、1歳児クラスに進級したとき、一時保育から来た子(ほぼ3年在籍)が2人、新たに1歳児で入園した子が4人、2歳児で入園した子が1人である。みんな自由で闊達、それでいて生活面の自立はかなりのものだった。
 0歳児の新学期、四月生まれのしゅんすけ君がただ一人、伝い歩きをしていたが、あとはみんなハイハイだった。産休明けで寝返りさえ出来ない子もいた。それを思えば夢のような成長ぶりである。

 保育証書は、お母さんと手をつないでボクの前に立ち、一人ひとりしっかりと受け取った。緊張している子、笑顔がこぼれる子、さまざまだが、受け取って自然に「ありがとう」と言える子が多かった。
 赤ちゃんのときから3年間もつきあっていると、情が移るというか、どの子も孫かひ孫のようで、別れは悲しい。
 幸い保育園というのは卒園しても子どもたちは3月31日まで登園する。しばらくはお預けだ。
 それに今年は12名中9名がそのの3歳児に入園するので就学まで様子を見続けられるのは嬉しい。
 昨年も0歳からいた子が1人そのに来たが、今年はぐんと増えて楽しみだ。
 それにBabyからそのに進む子を中心に子育て支援センターで朝夕の保育を行なう体制もとれて、新しい展望が開けたのはよかった。

 卒園のお祝いのあと、保護者会主催の茶話会が開かれ、そこで職員一人ひとりが保護者の作った記念誌をもらった。ボクのは「のとのおじさん、ありがとう」と表題がついている。ほかの職員のもそれぞれ宛の表紙がついていて、遅番・早番のパートの先生にも等しく用意されていた。お母さんたちの気配りが嬉しい。

 ボクの記念誌には、そのに行きたかったのに家庭や勤務の都合でかなわなかった方のこんなメッセージが書かれていた。「能登先生へ。先生の子育ての考え方、大変勉強になりました。違う園に行っても、大事にしていきたいです。お世話になりました」。

 また、そのへ来る方のページにはこんな言葉がつづられていた。「入園当初、まだ歩くことも話すこともままならなかったわが子が、こうして卒園の日を迎え、もうこんなに成長したのかと思うと目頭が熱くなります。
 当時まだ赤ちゃんで、不安な気持ちを抱えて始まった園生活でしたが、先生方の細やかな愛情と子どもの気持ちに寄り添う姿勢に触れるうちに、こんな素晴らしい園にめぐり合えて本当に良かった!と心から感じました。子どものそのBabyは子どもたちの母校であるとともに、私たち保護者の母校(親としてたくさん学ばせていただいた場所、心を救っていただいた場所)にもなりました。
 能登理事長は、私たちの知らないたくさんのご苦労を内に抱えながらも「ノトノオジサン」として、いつも柔らかな笑顔で子どもたちを抱き、慈しんで下さいました。3年間、親子ともども育てていただき、ありがとうございました」。
 身に余る言葉だ。でも正直嬉しい。そのBabyを希望しても審査は

市役所が行なうので、入園できるとは限らない。Babyを希望して入園できた人もいるが、市役所から指定されて入園する人も多い。そこが姉妹園の子どものそのと違うところだ。育児観はそれぞれだ。開園して4年間、そのに学んで新学期の「合同クラス会」に当たる「子育て勉強会」や絵本の勉強会を開いたり、クラス会でのお母さん同士の話し合いを大切にし、お母さんの感想は匿名ながら全員の分を園だよりに載せて、保育理念の一致に努めてきた。
 3年たって、違和感なく父母と向かい合えるのは嬉しい。老骨に鞭打ってがんばるべし。


 3月16日(金)晴れ
 たんぽぽ組で泣き声がした。朝の自由あそびの時間だった。
 大きなブロックを並べて飛行機を作り何人か乗っていた。れつ君がその外で大声で泣いていた。「りんたろうがぶった」と言っている。飛行機に乗っているりんたろう君に「どうしてぶったの?」と聞いてみると、「オレ、乗りたかったんだもん」と大きな身体に似合わず小さい声だ。彼の気持ちを認めた上で、「入れて

って言えばよかったかなあ。泣いてるもんね」
 りんたろう君は振り向いて「ごめんね」と言った。「いいよ」とれつ君も言った。
 「ところで、この飛行機はどこへ行くの? ハワイかなあ? それとも宇宙かなあ?」
 みんな(仲直りしたばかりの二人も)ニコニコ顔でハワイに向かった。「さあ、海岸だよ。ハワイの海は広いぞ。さあ、泳ごうぜ」
 床に四つん這いになって、ハワイの海で泳いだ。それにしても大きくなった。れつ君もりんたろう君も、他の子も年少組のからだではない。幼さをいっぱい残しながら、まずからだから年中組になるのは、ある意味で

いい発達と言えよう。
 きょうは「卒園のお祝い」の総練習の日だ。10過ぎからホールで保育証書をもらう練習だ。初めてにしては長い時間に耐えてよくやったと思う。
 大きい木の歌も、金色の翼も上手に歌った。お母さんは涙、涙になってしまうだろう。「さよならの代わりにありがとうでお別れ」を歌ったとき、男の子が一人、涙ぐんでいた。心はもうおとな並みなのだ。友だちと腕を組んで歌う。信じきった仲間のぬくもりが伝わってくる。…どんな未来が待ち受けているにもせよ、いまの君たちが幸せなのは紛れもない真実だ。

 明日は子どものそのBabyの第4回卒園のお祝いである。午後から準備に加わった。赤ちゃんのときから3年間いた子を含め12人が卒園する。こちらは昨日総練習をした。


 3月13日(火)晴れ
 子どものそのBabyの子育て支援センターがおおむね完成した。
 昨日、施主の工事検査があり、設計士と南園長と三人ですみずみまで調べた。細かい手直しは指摘したが、大きい問題は一つもなかった。
 今日、そのでお別れ会がにぎやかに行なわれていた頃、Babyでは消防署の検査があり、これも無事パスした。
 4月からここで週5日、専任の職員を配置して、子育て支援活動が毎日展開される。”木馬のひろば”のほか、もっと自由な子育てサロンも開かれる。

 工事引渡し前だが、ちょっと子どもたちと覗いてみた。@は一階の一時保育室。Babyを卒園して「その」に通う子どもたちの朝夕の保育はここで行なう。「めろん組」ともう名前が決っていて、2歳児りんご組から「その」へ進む9人は、「その」へ行くことより「めろん組」になることを楽しみにしている。
 奥の部屋は「子育て相談室」である。めろん組が「その」で不在の間は木馬のひろばや子育てサロンで使う予定だ。
 Aは二階の子育て支援室。親子で遊んだり、話し合ったり、学んだりに使われる。その合い間には、園児がリズムあそびなどに使うだろう。Cは屋上の遊び場。

 「その」や「Baby」のみなさんの支援があってここまで来た。工事費の支払いはまだこれからで、募金は続いている。また、24日の落成祝賀会にもぜひ見学がてら、みなさんのおいでをお願いしたい。


 3月1日(木)晴れ
 年長組がリュックを背負ってお別れ遠足に出かけて行く。小さい組が玄関にそろって賑々しく見送った。
 ぞう組の由美ちゃんが新河岸川の土手を歩いているとき、近寄ってきて言った。「いまごろ小さい組は、私たちの部屋をきれいにしているよ」。
 「どうしてわかるの?」
 「だって、私たちも虫組みのとき、やったもの」。
 権現山で各組の写真を撮って、園に引返すと、壁に花の絵を飾る年少組やひよこ組の作業は終わっていたが年中組は床に雑巾がけをしていた。汚い雑巾で窓拭きをしているクラスもあった。

 年長組が蓮光寺の前の河川敷でお弁当を食べているころ、年中組はきれいに飾りつけた年長組の部屋でドキドキしながら給食を食べていた。
 壁には先生が書いた「そつえんおめでとう」の文字が、輪飾りのなかに浮かんでいる。毎年、このようにして年長組は見送られ、「その」の文化は次の子どもたちに引き継がれていく。…3月。あっという間に終わりの日がやってくる。


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