ときめいて子育てを

 

 
                                   
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 2月26日(月)晴れ
 きりえ展3日目も天候に恵まれて、午後5時、無事に終了した。平日は土・日と違って、市内のデイケア施設のお年寄りが職員に付き添われて車椅子に乗ったり、ゆっくり歩いて見て行った。2グループの13人にきりえの絵葉書を手渡すと、とても喜んでくれる。
 受付で記帳しない会館へ通りすがりの市民も多く、外に掲示した「そのの子を描いた作品」という文言を読んでから入ってくる。
 参加者の総数は把握し切れなかったが、記帳した人数はおとな238人、子ども151人だった。多分、実数は500人を超えたに違いない。

 子育て支援センター建設資金のチャリティということで、作品は33点購入していただいた。画集「君たちの日時計」は30冊、ポストカード「友だち賛歌」は52セット売れた。これらの収益は全額子どものそのBabyに寄付する予定なので、まとまった額になったのは嬉しい。
 Babyの職員が交代で手伝ってくれた。そのの石原主任も花粉症に悩みながら長時間受付をやってくれた。みんなに支えられてのきりえ展だった。大勢の参加者で終日賑わい、みなさんにありがとうの思いでいっぱいである。


 2月24日(土)晴れ
 今日からチャリティきりえ展が始まった。
 強風の中をたくさんの「その」と「そのBaby」の父母、市民の方が来てくださった。ほぼ終日人の流れが途絶えることがなかった。
 Baby子育て支援センターの建設基金にあてるという目的に賛同していただいて、作品を購入して下さる方も予想以上で、ありがたいことだ。
 同じキラリ★ふじみの展示室で、縄文土器を作るサークルの写真展と土器の展示会が行なわれていた。そこにきりん組のさきこちゃんの縄文土器が飾られている。ねんど作りから野焼きまで、サークルの人の指導を受

けて自分でやったのだそうだ。子どもの自由な歓声でなければ出来ないと思わせる、なかなかの力作で、紹介すると、きりえ展の帰りに見ていく人も多かった。
 あと2日間、ぜひ一人でも多く見てほしいと願っている。


 2月20日(火)曇り時々雨
 作品展が終わってホッとする暇もなく今日はあわただしい一日だった。
 不登校の子に悩むお母さんの相談にのった。そのの卒園児ではないので、どんな子か分からないが、話を聞けば、学校には行けていないが、日常学習意欲があり、向上心もあるようで、まずその子の気持ちを受け止め、受け入れることが肝心と思われた。何としても登校させたいという視点でなく、子どもの思いに身を寄せて、自分の力で登校できる日を待つことを勧めた。お母さんはどこかで吹っ切れたようで、来たときとは違って明るい表情で帰っていかれた。

 そのお客さんと入れ替わるように、認可外保育施設立ち入り調査ということで市の子育て支援課の人が来られた。県の仕事が市に下ろされて数年たつが、初めて課長も一緒だった。立ち入り調査といっても事前に報告書を提出しており、市の職員は「その」のことをよく知っているので、施設面でも保育面でも特段の指摘事項はない。課長は初めてなので園内を一回り見てから帰った。
 園内は作品展に展示されたものがすべて撤去されて、片付いたようで間の抜けた落ち着かない様子をしている。
 作品展はあいにくの小雨だったが、両親だけでなく祖父母や兄弟姉妹の姿も多く、事前に連絡されたとおり2歳児(ひよこ組)から、3歳児、4歳児、5歳児と14クラスを律儀に順番に見て、改めてわがこと子どもたちの成長に感動する人が多かった。
 ボクのきりえ展のコーナーも休憩室を兼ねていたので、結構お客さんでにぎわった。かなり多めに用意したつもりのティバッグが終いには足りなくなった。給食室のお姉さんは何度ポットのお湯を取りに行ったことか。休憩した老夫婦が画集「君たちの日時計」の見本を一冊ずつ広げて、切り絵に添えたコメントをすっかり読みきって行かれたのには感動した。
 この「君たちの日時計」とポストカード「友だち賛歌」も予想以上に売れた。売り上げの4万7千円余は24日からのきりえ展の収益と一緒に、そのBaby子育て支援センター建設資金として寄付させていただく。ご協力ありがとうございました。
 いよいよ富士見市役所隣の「キラリ★ふじみ」でのきりえ展だ。やるからには一人でも多くの方に見てほしいと願っている。


 2月14日(水)小雨
 作品展が近づいて、子どもたちの帰った後、先生は作品の整理に時間を費やしている。フリーの先生たちは大分前から担任の選んだ絵に名札をつけたりしていた。絵はいいが、粘土作品や雑材工作は作った後の保管が大変だ。
 一年間の作品を見て子どもの成長を知るだけではない。絵は子どもの言葉とも言われている。何を描きたかったのか、どんな生活、どんな感情を経験しているのか、子どもの表現を通じて、親が子どもを知る機会でもある。そう考えると、作品を選ぶのは難しい。外はもう暗くなった時間に、お疲れ様と声をかけたい。

 年長組との手紙ごっこはまだ続いている。今日もらった手紙にはバレンタイン関連が2通あった。ぞう組のまなちゃんから「ばれんたいんのちょこれいとわたせないから、おてがみあげるよ、がまんしてね」。同じぞう組のこうへい君からは「ちょこれーともらえないんだったら、これちょうだいっていったら」と来た。え? 誰に言えばいいの?

 手紙の返事に、コマ勝負してもいいけれど、待っていないで事務所に呼びに来て、と書いたせいか、きょう留守中に男の子が何人か迎えに来たみたいだ。「帰っちゃったんなら仕方ないよ」とホッとしていると、ぞう組のななちゃんが「はい、お手紙、開けて見て!」と言う。その場であけてみると、「べいごままわせるようになりました。いまからべいごましよお」と書いてある。ななちゃんは「ねえ。だからいましよう」と重ねて言った。
 「おじさん、いま忙しいから、やるけど1回だけだよ」。職員室の脇にベイゴマの桶を据えた。
 「ちっちのちい!」最初はかろうじてボクが勝った。「もう一回ね」「いいの?」と言ううちに、ななちゃんはもう紐を巻き終えている。「早いなあ」。今年は女の子でベイゴマを回せる子が多いのは面白い。手紙では「まわせるようになりました」と控え目だったが、この紐の巻き方は尋常ではない。
 二回目は同時に倒れて勝負なし。三回目も僅差でボクが長生きだった。多分、二、三日したらもうかなわなくなっているだろう。「またやろうね」。

 夕方、もう暗くなってからオレンジの子たちがコマを回していた。ひよこ組(2歳児)のみきちゃんも缶ゴマの紐を自分で巻いている。投げても、ボクが見ているうちには回らなかった。すみれ組(3歳児)のわかなちゃんは少し重たい円盤ゴマを上手に回した。

 紐を巻くのも投げるのも、そのコツは手加減にある。手加減は全ての技術の基礎的な力ではなかろうか。コマは水平に投げなければ回らない。しかし、この子たちに”水平”の概念はない。それは理論ではなく、身体で会得するものだ。それが自信になる。やる気の源になる。コマに限らず伝承あそびは子どもたちを総合的に成長させる力を備えていると思える。


 2月9日(金)晴れ
 豆まきの後、今週の初めに年長組の各クラスに手紙を出した。「鬼の役は楽しかったですか。鬼の親分がきたとき、作戦はうまく行きましたか」。
 手紙ごっこに取り組んだが、書く子は一日に何通も書くけれど、まだたどたどしくて書く練習をしてほしい子はあまり書いていない。そこでもう一度、劇的な鬼の日を題材に手紙ごっこをやろうと、先生たちと話し合って火をつけた次第。
 それが2月5日で、今日9日までに197通の手紙がボクのポストに投げ込まれた。いま26通残っているので、171通の返事を書いたはずだ。

 残る手紙の1通はきりん組の由美先生からのもので、「のとさんの手紙を友だち同士で見せあったりして、とても喜んでいました」とあった。
 確かに返事を届に行くと、子どもたちが待ちかねていたのが分かる。読んで、すぐその場で返事を書き、返事とボクの手紙を両手に握ったまま、返事の投函に来る子どもたちは、顔が合えば「てがみ入れたよ」「よんでね」と声をかけていく。
 何度も手紙を書くうちに、字がだんだん上手になっていくのが分かる。文もビックリするような表現に出会うことがある。
 ぞう組のありなちゃんの手紙には「おにはおもいどうりにできました。よかったです」とある。他の子は「おにのさくせんうまくいったよ」や「さくせんだいせいこう」が多い。「おもいどおりに」というのは、思い描いたイメージがはっきりあったことを示しているように思える。その先に続けて、「やましたがつれさられそうでした」と書いている。担任の先生が鬼の親分に連れて行かれそうになって、さぞ怖かっただろう。強烈な印象があったとはいえ、「連れ去られそう」という表現は見事というしかない。

 鬼は怖かったが、自分の気持ちだけでなく人を思いやるやさしい手紙もある。「のとさんはだいじょうぶだったですか。つれていかれなかったですか」と書いたのは、きりん組のゆうりちゃん。「ゆうりはおおごえでなきました。のとさんはないた?」。
 ひよこ組から4年目のゆみちゃんは、「のとおじさん、あそんでくれてありがとう。もおそつえんするよ。もおあそべないんだよ」と書いた。男の子でも、れん君は「そつえんさみしいよ」と、力強い、少し乱暴な字でただ一行、叫ぶように書く。万感をはらんだまま、日時計は静かに時を刻むのだ。

 Babyの支援センターの建設工事は順調に進んでいる。屋上の防水工事がほぼ終わり、1〜2階の内装工事が急ピッチで進んでいる。暇を見つけて見に行くのが楽しみだ。園庭の隣の駐車場にクルマを停めて降りると、目ざとく0歳児のそうた君が見つけて、フェンスの向こうから「抱っこ」とばかり手を伸ばす。そうた君と遊んでいると、ボクを大好きなみゆちゃんも土の上を這ってひざに乗ってきた。
 赤ちゃんと遊んでいると心が休まる。誰だってこんな季節があったのだ。この時代に誰もが持っていた新しいものへの興味や、出来ても出来なくても挑戦する意欲を失わなければ、人生は別のものになったかも知れない。赤ちゃんはボクらの先生でさえある。


 2月2日(金)晴れ
 今日は一日早い豆まきだった。年長組が丹念に作ったオニの面をかぶり、金棒を振り回して一暴れした後は、その恒例、オニの親分のお出ましだ。
 赤い髪の大親分、なまはげ風の子分のほかに、今年は赤鬼がもう一匹増えて、年少組を専門に暴れた。写真撮影のボクは大忙しだ。
 年長組は、どの組も作戦をたて、自分たちでオニを追い払おうと意気込んでいた。きりん組は畑のそばの草むらからオナモミの実をどっさり採ってきて、鈴割の巨大な鈴の中に隠し、それを天井から吊り下げていた。


    オナモミの実

 この鈴を割ってオニを追い払う計画だったのかもしれないが、現実にオニの親分と子分が現れて暴れると、逃げるのが精いっぱい、誰も鈴を割るどころではない。その上、親分の指図か、子分のなまはげが、りんたろう君を連れて行こうとする。彼は必死に抵抗し、オニも服の手を離さないので、りんたろう君は裸になってしまった。
 オニは逃げられて悔しかったか、金棒で鈴をたたき、割れて痛い痛い草の実がザザザと零れ落ちると、たまげて逃げてしまった。「やったァ、やったァ」と大喜びだ。

 オニの親分たちが雲に乗って去っていくと、子どもたちはホッとして、大きな紙にオニの絵を描いた。ひよこ組から年長組まで、恐怖心と安堵感のなかで力強い線で描いている。「おじさん、これ、おにの棒」。オニの顔に並べて長方形が描かれていた。
 カーテンの開かないすみれ組を覗くと、なんと全員が押入れの中でまだ泣いていた。大声の子に誘われて、ほぼ全員が声をあげている。
 「もうオニの親分は行ってしまったよ」。カーテンを開けると、泣きながら外へ出た。
 「初めは大きい組だったの」と、ひとみちゃん。「なんで大きい組と分かったの?」
 「だって、下から顔が見えたもん」

 あいのちゃんは、大粒の涙をこぼしながら、両手を広げて、「こんな大きな棒を持ってたァ」と言う。
 「オニの親分、怖かったね」。「こわかったァ」。しっかり者のわかなちゃんは、ひときわ大きな声で「怖かったんだから!」と叫んでいた。ボクはポケットから鬼退治用のいり豆を一つかみ取り出した。
 「これさえ食べれば100人力…オニをやっつけた豆だよ。いる?」。小さな手が次々と広がる。
 「これさえ食べれば100人力…これさえ食べれば…」
 わかなちゃんはその豆を食べながら、まだ大声で泣いている。「おかしいよ。100人力のはずだよ」わかなちゃんは、一瞬声を大きくして泣き、「これってウソ泣き!」と言った。


 2月1日(木)晴れ
 夜、渋谷・オーチャードホールでレニングラード国立バレー団の「白鳥の湖」を見た。孫娘の成人を祝って、ネットでチケットを2枚手に入れていた。
 オデット役は5人で交替らしいが、当夜はプリマのイリーナ・ペレンであったのは幸いだった。しなやかで、弾けるような美しい踊りに、初めてバレーを見た孫娘も息をのんで見つめているのが伝わって来る。…「プリマがどうしてプリマなのか、よく分かった」と帰り道、彼女は言った。「あんなに激しい、長い踊りを、踊りきれるなんて、鍛錬すればできるようになるのかなあ?」…そういえば、ペレンの腕も足も腰もか細いのに、どこからあの情熱とエネルギーが出てくるのだろう。美しさに心を揺さぶられながら、自分の生き方を省みさせる何かがある。

 娘に孫を連れて行こうかなと声をかけると、「わたしも白鳥の湖は何回も連れて行ってもらったね」と言った。確かに娘たちが小学生だったとき、ボリショイバレー、ベルリンバレーで白鳥の湖を見たと思う。今回はそれ以来でもあるのだが。
 …白鳥の湖にはボクは特別の思い入れがあった。ボクは15歳で上京して、戦後の焼け野原の街で工場労働者になった。

 勤めたボールペン工場で賃金不払いが続き、腰抜けの労組幹部に反抗する形で、ボクは労働運動に加わった。それから運動に深入りして、朝から晩まで活動以外に気持ちはなかった。仲間の中で青春は充実していた。
 あるとき、友だち数人と喫茶店で議論をしていると、ふと音楽に心を捉えられた。「あれ? なんていう曲なの?」とボクは友だちに聞いた。友だちは全員、穴が開くほどボクを見つめた。「ほんとうに知らないの?」それから、一人が優しく教えてくれた。「あれはチャイコフスキーの白鳥の湖だよ」。
 思えば仲間は高校ぐらいは出ている。大学卒もいる。高校で音楽鑑賞の時間くらいあったのだろう。ボクにはそういう時間も機会もなかった。だが、狭い視野のなかでで生きていることを、環境のせいには出来ない。白鳥の湖は一つのカルチャーショックだった。
 それからボクはしばらく音楽喫茶に通った。8時半から6時半まで10時間、ボクは毎日旋盤に向かって、鋼鉄の丸棒にネジを切っていた。紫色に焼けたはがねの切子が舞い上がる。一日の時間は長かった。終業時間を恋焦がれて、8時ころ近所の音楽喫茶に行く。11時の閉店時間までの何と短いことか。活動の合間のいささかの楽しみだった。…

 このレニングラード国立バレーを一足先に見られた花冠さんのブログに、ストーリーを知って見たほうがいいとあって、彼女からプログラムを貸してもらった。孫娘に事前に読ませておいたのもよかった。ボク自身も久しぶりに青春のほろ苦さを思い出せて、幸せな一夜だった。


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