ときめいて子育てを

 

 
                                   
4月
5月
6月
7月
9月
10月
11月
12月
1月
2月
3月
トップへ

 1月28日(日)晴れ
 終日写真の整理に追われた。25日から2月9日まで断続的に開かれるクラス会で、2学期の子どもの写真を展示する。ひよこ組から年長組まで900枚あまりのスナップを模造紙に貼る。もう幾晩もこの作業をしてきた。「その」は広いが子どもに邪魔されないで静かに写真をいじれる場所はない。家に持ち帰るしかない。
 それに、30日に年長組の卒園記念写真を撮影するので、「そつえんおめでとう」の看板づくりがあった。そいつは昨日一日かかった。
 その前は、年長組の子どもたちと手紙ごっこで、手首が痛くなるほど、オール平仮名の手紙を書き続けたのだった。…要するにヤボ用で、保育日誌を書く余力はなかった。

 金曜日、穏やかな天気で、ひよこ組や年少組が土手すべりに行くというので、久しぶりにお供をした。土手は草が枯れたこの季節でなければ滑らない。ダンボール持参で土手に向かう。ひよこ組は持ちやすいように先生が紐をつけた小型のダンボールを下げて行く。寒風を覚悟のあそびだが、今年は暖冬だし、その日は特別好天でよかった。
 ひよこ組は先生に抱かれてすべる子もいるが、二度目は先生がうっかりした形で一人ですべってしまい、そんな風にして土手が怖くなくなっていく。
 年少の子はもうどんどん自分たちですべる。先生に押してもらえば一塊でもできた。

 帰ってきてから、ひよこ組のりょう君が缶ゴマを上手に廻していた。「紐を巻いてもらったの?」と聞いたが、寡黙なりょう君は答えず、先生が「自分でも巻けるんですよ。ようすけ君に教えてもらっているみたい」と言う。きりん組のようすけ君といとこ同士だから、家に帰ってからも一緒に遊んでいるのだろう。
 同じひよこ組のに・とうま君に紐を巻いてあげて、手をとって一緒に投げたら、廻った。とうま君は息をのんで廻るコマを見つめていた。2歳児でもコマが廻せるということを、今年の子どもたちは証明してくれた。


 1月19日(金)晴れ
 暖かい日ざしの中でBabyの0歳児が庭で遊んでいた。5月、6月生まれの子たちは、まだこげないけれど2歳児のマネをして三輪車やプラスチックの自動車にまたがっている。この正面にいる三人はまだ誕生日が来ない。ござに座って砂遊びをしていた。うっかりすると砂をなめるから要注意だ。
 「何回ぐらい砂をなめたらなめなくなるものかなあ」とボクはつぶやいたが、居合わせた先生は、「さあ、何回かなあ」と笑っている。学習能力には差があるだろうけれど。砂を握ったり、容器に入れたりして、しばらくは楽しんでいた。

 午後、そのに帰ると、また手紙がごっそり入っていた。「ウエーッ」とうめいて、返事を書き始める。
 初日の15日は57通、16日は75通、17日は48通、18日は21通と減ってきていたのに、きょうは数えると41通だった。やっぱり半分は持ち帰りになりそうだ。
 職員室の前でベイゴマをしていたぞう組のまさき君につかまった。「おじさん、バトルしようぜ」。
 手紙ごっこで「こまでバトルしよう」「ベイゴマバトルしよう」というのが結構ある。バトルってゲーム用語で覚えるのだろうか。返事には「ベイゴマしょうぶしよう」とか、「たいけつしよう」と書く。呼び止められてまさき君とも約束したな、と思って、事務所へベイゴマを取りに戻った。真剣に勝負したが、4対1で負けた。周りにいた年中組の子は全員ボクのサポーターをしてくれたが、甲斐もない。
 「まさき、強いなあ。クラスで一番だろう?」「山下の方が強いよ」「ウソ。山下先生はそんなに強くないじゃないか」
 まさき君はそれを否定はせず、「深野には勝てないなあ」と言った。分かる、園長は強い。毎日やっているからなあ。「こんど修行するから、また対決しようぜ」。
 くま組のまゆちゃんが事務所へ来た。「おじさん、わたし、結婚式は外国でするよ。でも、おじさん来てね」と言う。実は、まゆちゃんの手紙に「おじさんは94さい?」という記述があった。
 「ちがうよ。おじさんは74歳。100最まで長生きしたいということだよ。長生きして、まゆちゃんのお嫁さん姿を見たいよ」と返事を書いたから、わざわざ来てくれたのだ。
 「外国で一緒に結婚式しようって〇〇ちゃんと約束したんだから…」
 「だって、おじさんはもっと年をとって、よぼよぼになっているかもしれない。外国だといけないかもしれないよ」
 まゆちゃんは真剣な表情で、「車椅子に乗って来てよ」と言った。ありがとう、それまでがんばって生きるよ。歌人窪田空穂じゃないが、「ひとは生きたしと思うべきなり」だ。


 1月16日(火)晴れ
 きのうから年長組の手紙ごっこが始まった。事務所に設けられた「おじさんのポスト」に子どもたちが手紙を投函する。ボクは返事を書いてクラスのポストに入れる。 きのうはきりん組とらいおん組の2クラス、欠席を除き58人の子どもから63通の手紙をもらった。かな文字の書ける子は鉛筆で書き、書けない子はゴム印を押して文をつづることができる。
 硬筆習字を習っているのか、文字のきれいな子が多かった。ゴム印の子も、書けない子もいるが、判を押すのが面白くて、それになっている子も多いようだった。

 返事は家に帰って夜の仕事にした。これが意外に大変だ。判読するのに時間のかかる手紙もある。その子にふさわしい内容を考え、わずか120字に記入する。いまかな文字を習得しようとしている子どもが対象だから、撥ねる、はらう、止めると言うことも意識して一字一字書き込んでいく。根を詰めてやっても、大体一人6分くらいかかった。一日目は夜半に終わらず、朝5時起きで9時過ぎまでかかった。
 部屋のポストに届に行くと、ワッと子どもたちが寄ってくる。返事を楽しみに待っていた。
 第二日目は、くま組とぞう組だ。57人60通のほかに、返事を受け取ったきりん組、らいおん組の13人が二度目の手紙をくれたから、多分今夜は手首が痛くなるだろう。

 手紙の中に「おじさんはなんさいですか?」という質問が多い。年齢は子どもにとって関心の的なのだ。ある子にはこう返事をした。「おじさんは74歳だよ。〇〇ちゃんとおなじ6さいのとき、いなかのまちで1ねんせいになりました。ともだちがたくさんできて、せんせいがやさしくて、しあわせでした」。
 「おじさん、どうしてきりえがじょうずなの」というのも多い。ある子にはこう返事をした。「おじさんはこどものたのしそうなようすをみると、うれしくなって、きりえをつくります。〇〇ちゃんもたのしいこと、うれしかったことをえにかくといいよ」。

 就学前にかな文字に興味や関心を持ち、50音を読み、書こうとする気持ちを育てるというのが手紙ごっこの狙いだろうが、自分を表現しようとする意欲も引き出していきたい。「おじさんはどんなくだものがすきですか」という手紙には、ぶどう、あ、いちごかな、ばななもすき、と考えさせて、「〇〇ちゃんはなにがすき?」と問い返す。子どもたちが飽きるまで、夜なべ仕事が続くだろう。
 姉妹で通園している姉のほうが「らいおんくみがみんなそつえんしても、〇〇のこと、よろしくね」と妹を心配したり、「そつえんしてもわすれないでね」と心の内を表現するのは、大体女の子だと言うのも面白い。


 1月12日(金)晴れ
 らいおん組のむつみちゃんが人形劇本番の日に体調を崩して休んだので、きょう1ヵ月ぶりにむつみちゃんも参加して「ももたろう」を再演した。お客さんはむつみちゃんのママとクラスの別グループの数人だけ。
 お正月を挟んで1ヵ月もたっているというのに、みんなよくセリフを覚えていて、大きな声で言え、スムーズに進行できた。劇後の自己紹介は、むつみちゃんも晴れやかな表情で、カメラに収まった。
 この日のために舞台は壊さずにとってあった。病気でやむを得なかったとはいえ、晴れの舞台を踏めなかったむつみちゃんの気持ちを思って、先生たちも友だちも

その気になって再演したのだった。”たった一人”を大事にしない保育が、みんなを大事にできるはずはない。一人を大事にする先生の思想が、子どもたちの人を思いやる気持ちや社会性を育てるのだと、卒園アルバムに貼るむつみちゃんの自己紹介のスナップを撮りながら、ボクの胸は温かかった。

 コマやベイゴマが大流行だ。暇さえあればコマに挑戦している。ベイゴマでも鉄ゴマでも、上手な年長の子には、もうかなわない。缶ゴマは年中組から年少組まで広がっている。
 左の写真は、顔が写らなくて残念だったが、ばった組(4歳児)のわたる君だ。缶ゴマの軸にストローを挿して、背高のっぽのコマにして廻した。紐がコマを離れた一瞬がよく撮れた。影を見ればその一瞬がよく見える。楽しみながら、工夫もして、賢い子どもが育っていく。


 1月8日(月)晴れ
 1週間のインド旅行から帰った。想像以上の貧しさにショックを受けた。人口10億人と言うが、何しろ人、人で町にも村にも人が溢れていた。
 朝、通勤時間にバスで観光に出かけた。ひろい道路は歩道がゴミや瓦礫で埋まり、人も自転車も、人力車も、バイクやオート三輪のタクシーも乗用車やトラックと一緒に車道を埋め尽くして動いている。
 信号はほとんどなく、直進優先とか左折優先とかの交通ルールはない


       カメを持って井戸で水を汲む村の女性たち

らしく、それぞれが行きたいほうへ走っていく。どのクルマも騒がしく警笛を鳴らし、互いに譲らずに走り抜けようとする。ぶつかりそうになって止まり、そのわずかな隙間を人や自転車が通り抜ける。よく事故が起きないものだ。
 通勤の労働者は黙々と自転車をこぐ。一月働いて日本円にすれば1万円前後らしい。それでも交通地獄の中を工場へ急ぐ。
 この喧騒、無秩序、混迷のもつエネルギーに圧倒される思いだった。働いて生きるということは厳しい。
 首都デリーは高度成長を支えようとするかのように道路工事が進められていたが、一方では人々の生活は顧みられていないのを感じた。
 どこへ行ってもしつこい物売りや母子の乞食につきまとわれた。
 マハトマ・ガンジーの墓を詣でた。インドが独立して60年になる。この貧しさは、植民地時代に根を下ろしたものなのだろうか。
 村の廃屋に近い店の壁にも”PEPUSI"の看板が見える。”HONDA"や”TOYOTA"や”CANON"の看板といい容赦のない資本の侵略のせいなのだろうか。
 それにしても人、人だ。そして村の角々にもたむろする人が多い。若く働き盛りの人たちが、仕事もせずぶらぶらしているように見える。そういう人がどこへ行ってもうじゃうじゃといるのだった。しかも、そのそばに瓦礫やゴミがあっても片づけようともしない。
 世界遺産の建造物の補修をいる人も、せっせと働いている風には見えなかった。高い壁面の補修の足場は竹を組んでいて、恐ろしいような状況だったが、中世にこんなすごい遺産を残した民族だから、どこかで自分たちの力を見失ったのだろうか。IT産業で成長を続けるインドの姿は、北インドの首都周辺では見ることも感じることもできなかった。この巨大な貧困の塊が、どんな渦を巻きながら変化していくのだろうか。
 子どもたちが貧しい家庭でも大事にされ、生き生きと外で遊んでいる姿があちこちで見られたのがせめてもの救いだった。


 皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。昨年は何かとお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願い申しあげます。
 日誌は1月8日ころまでお休みさせていただきます。

 


      12月30日のカドリール発表会で


もどる