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年越し、お正月 |
◆ 年 末
田舎にいた子供の頃は、正月飾りは縄をなって注連縄を作り、半紙で飾りを作り、松は家 から歩いて30分位の河原(梓川)近くの松林から枝を切ってきて飾っていた。 餅は臼と杵を使ってつき、お供え、雑煮用、黒豆をいれた豆餅などを作っていた。 つきたての餅で作るカラミモチ、ボタモチ等を食べるのが大変な楽しみであった。 年越しは、神棚にお神酒を供え煮物と鰤の焼いたの等を食べ、家の裏にあったお寺に除夜の鐘をつきに行き年を越していた。
正月飾りは今は手作りという訳にはいかないので、お供え、餅,玄関に飾る注連飾りは 近所のスーパーで調達している。 年越し料理は鰤は新巻鮭となっているが他は昔と余り変わらず、紅白歌合戦を見ながら 蕎麦を食べ年を越している。
◆ お正月
小学生の頃は朝一で、年男(女)が最初の水を汲み(これを若水と呼んでいた)、これで お雑煮を作り食べるのが慣わしであった。おせち料理は殆どお袋のてづくりであった。 両親におめでとうの挨拶をしお年玉をもらう、定番は確か「少年」という漫画月刊誌と お小遣いであった。 当時、お小遣いを貰うのは正月とかお祭りの時だけであったので、 社会人になっている兄、姉にもおねだりして貰っていた。 元日は登校日にもなっていて 体育館で式典が行われ、「年の始めのためしとて〜」という曲を歌い、食パン位の大きさ の四角い菓子パンのようなのを貰ってきていた。 遊びは凧揚げ、羽根つき、かるた、双六、百人一首での坊主めくりなどが定番であった。
今は、三が日は男がお雑煮を作るというのがこの辺の慣わしとの事で、元旦から台所に立っている。 おせち料理は買ってくるものと、かみさんの手作りのミックスである。 2日の夜は昔もそうであったが、とろろご飯を食べている。 初詣は元日に町内のお稲荷さん、薬師様へお参りし、2日か3日に高幡不動へ行き、厄除けのウチワと交通安全のお守りを買い、門前のお店で蒸かしたての高幡饅頭をお土産に買って来ている。
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正月飾りは、村内を「サンクロー、サンクロー、シクロ、ゴクロ、オオゴクロー」(*1)と皆で言いながら集め、各家ではお小遣いやお菓子などをくれた。 (*1) 今、考えると多分、色々な苦労があると思うが、ご苦労さんです。というような 意味ではなかったかと思う。
ご神木は、稲などを干す時に使う畦木を立て、それにワラを巻き、回りに正月飾り等を置 いて作った。 各家では米の粉で作った繭型の団子を作って木の枝に刺し、ご神木を燃や す時に焼いて食べた(これを食べると1年、健康に過ごせると言われていた)。
ご神木には夕方、暗くなってから火をつけるのであるが、その前に隣村の神木ヘ火を付け に行くのが一時はやり、下級生は村境の川の土手で見張りをさせられたりした。 その他には、六年生の家でカレーを作って食べたり、各家で貰ったお小遣いでノート等を買い皆で分けた。
今は、町内の子供会がやっていて、正月飾りを集めに来た子供にお小遣いを上げている。 ご神木は河原に竹を立て回りに正月飾り等を置いて作っている。 この辺は繭玉ではなく、餅の中に餡子を入れ丸めて木に刺し、アルミホイルで包んで焼いて食べる。 その他に子供会が豚汁などを作り、訪れた人に振舞ってくれる。
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その後で、自分の年齢分の数の豆を食べ、その年の無病息災を祈念していた。
今も、豆まきは孫と一緒に昔と同じようにやり、孫が保育園で作ってきた面を被り、鬼の役目もやっている。 豆も年齢分を食べ(一度に食べるには数が多くなりすぎたので、分けて食べている)、この辺の習慣である目刺とけんちん汁を食べている。
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こちらに移り住んでからは町内にお稲荷さんがあり、二月の最初の午の日に祭事をやっている。 朝、町内会でお稲荷さん境内の掃除をやり、持参した油揚げ、目刺などを備え、神主さんが来て祈りを捧げる。 これが終わってから焚き火で油揚げ、目刺などを焼き、お神酒を頂きながら食べる。 15歳(元服)になる子供がいる家では、五色の色紙で作った旗に「奉納・正一位稲荷大明神」と書いて奉納している。 神主さんの話によると、お稲荷さんの神様は宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)で、産業や食べ物の神様で神社に飾られているキツネはそのお使いとの事である。 お稲荷さんには神統系(神社)と寺統系(お寺)があり、神統系は伏見稲荷、寺統系は豊川稲荷がおおもとだそうで、町内のお稲荷さんは神統系だそうである。 |