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老成都
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[其七]
皮包公司
成都は太古の昔から西南地方の一大商業都市です。その為現在でも内陸部の有数な商業都市として発展しています。この歴史を踏まえ、一般の生活レベルでも様々な商売が発展してきました。
「成都通覧」と言う本には、昔からある72の色々な行商が紹介されています。いくつか例を上げると、収荒(廃品回収業)、理髪担(とこや)、売花(花屋)、甘薯攤(甘薯売り)、水果担子(果物売り)、豆腐担子(豆腐売り)、抄手担子(ワンタン売り)、収玻璃(ガラス回収)、売零菜油(菜種油売り)、弾棉花的(布団の棉打ち)等々。天秤棒と身体一つで様々な商売が行われていた事が記載されています。驚く事に、これらの行商は時を経た今日でも、ほぼそのままの形で残っています。彼らのほとんどは付近の農民で、地元で生産された商品を都市部で売りさばき、現金化している訳です。
1987年3月 杜甫草堂付近、甘薯攤(甘薯売り)
1995年8月 紅光鎮、豆腐担子(豆腐売り)
これらの行商のスタイルが復活したのは、文化大革命が終結し、経済が序々に開放された頃からです。
私も彼らにはお世話になりましたし、騙されもしました。物には全て決まった金額がなく、その時の状況や雰囲気で決まるので一苦労です。特に四川で地元の四川語が話せないと、最初から足元を見られるので、言葉は悔しい思いをしながら体で覚えました。
一方工業製品はと言いますと、中国が開放政策を採って間も無い頃は、商品流通が思うにまかせず、一部の官僚や国営企業の人間が商品の流通を牛耳り、利権を得ていた時期が有りました。これらの不正な取引を「官倒」と呼び、半ば公然と行われていました。この不平等に憤り、学生や市民が反発したのが、1989年に起きた天安門事件の発端です。
1989年5月 人民南路毛沢東像下。官倒を糾弾する小字報(壁新聞)
1989年5月 人民南路、学生・市民によるデモ行進
それ以降、官僚の不正は今でも時々耳にしますが、当時程物不足や独占と言った深刻さはなくなりました。これは国の不正摘発が厳しくなったと言うよりも、市場経済が急激に発達した為、完全な競争原理が生まれ商品流通が多岐に渡ったからでしょう。
2000年1月 半辺橋、水果担子(果物売り)
2000年1月 順江路、収荒(廃品回収業)
最近は天秤棒からかばんへとその商売道具とスタイルは変わりつつあります。市場の発展に伴い、天秤棒と身体一つの商売から、かばんの中の僅かばかりの資金と口先三寸の情報力による商売になったのです。
中国では、これら個人の零細商人を皮革公司(かばん会社)と言います。要は、資産は持っているかばんだけと言う意味です。1980年代頃、この皮革公司からスタートした起業家も少なくありません。当時、日本のテレビドラマ「おしん」が中国でも放映され、大ヒットしていました。この時の中国の社会情勢と非常にマッチしていたからでしょう。ヤオハンが中国で受け入れ易い下地があったのもこの辺りだと思います。でも上海ヤオハンの幕切れは、別の意味でドラマチックになってしまいました。
中国の急速な市場経済の発展に伴い、いくつものこの皮革公司が、押しも輸されぬ実業家になっています。今でも、このチャイナドリームを求めて、皮革公司は大盛況です。
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