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老成都
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[其六]
資本主義的尾巴
成都の郊外の大邑県安仁鎮には、地主荘園陳列館があります。ここには、解放前の西南地方でも有数な資本家だった劉文彩の邸宅が有ります。そしてその豪邸をそのまま過去の半封建的な生活を晒す博物館として、一般に公開している訳です。この敷地面積は1万平方メートルを超え、27の建物、100以上の部屋、警備室や武器庫、そして茶室や阿片吸引室まであります。中でも阿片吸引室は夏用、冬用、春秋用と季節に応じて三つ造られ、贅を凝らしています。ここはその広さと複雑さから、さながら大迷宮と言った感です。
1991年12月 数多く有る門の一つ、左側の建物は歓喜楼
劉文彩は中国解放前の大地主です。彼の父の代は、元々小さな地主でしたが、軍閥であった彼の兄弟の武力を背景に、四川で酒煙草の専売事業や物品統制の実権を握り巨万の富を得ました。最盛期には、30万ムー(約20万ku)もの土地を所有しており、この地に邸宅を構えたのです。しかし、1949年解放戦争の最中、成都からこの安仁鎮の邸宅に逃げ戻る途中に死んだとされています。
1991年12月 屋敷の裏門
1991年12月 別棟の大門(入り口)
私が訪れた時、この博物館の一角には囲いで区切られた場所が有りました。隙間から覗いてみると、文化大革命中の四人組を称えている塑像群でした。文革中は、かつての地主階級や資本家等のお金持ち、また先進的な考えを持った文化人は悪とされ、資本主義的尾巴(資本主義に尻尾の様にひかれる者)として糾弾されました。その時これらの遺物が大いに利用されたのです。しかし、その後四人組は逮捕投獄され、文革に対する歴史認識も変わり、このコーナーは封鎖されてしまった訳です。
1991年12月 門の大きさや華美さがその家の分限を現します
中国は、今でも基本的に土地の所有権は国のものです。しかし、それとは別に50年、70年等の土地使用権が新たに認められる様になりました。使用権が失効した後は、その土地を国に返還する際に、相応の補償金が支払われます。だから法律上地主は存在しませんが、制度上は地主がいる事になります。
多くの個人投資家が、これら不動産に投資する様になり、中には多くの富を手に入れた人も少なく有りません。そして今ではお金持ちである事が、美徳になりました。
最近地主荘園陳列館を訪れる人の中には、その展示物の家具のデザインを参考にする人や、邸宅の間取りを見習い家を造る人もいるそうです。価値観とは、こうも変わるものでしょうか。
1991年12月 付近に有る一般的な農村の住居
最近の事ですが上海の地下鉄に乗っていた時、荷物を抱えた地方の農民の人が乗車して来ました。すると近くにいた若い着飾った女の子が、蔑む様に鼻を鳴らしました。これには言い様のない嫌悪感を覚えました。二人の違いは一体何なのでしょう。都市に住む者と農村に住む者、現在この違いは中国では決定的な経済的較差を生んでいます。農村で生まれた者は、法律によりその居住が制限され、それをハンディキャップとして一生負わねばなりません。
以前、中国の先生が教えてくれた孔子の言葉を思い出します。「富与貴、是人之所欲也、不以其道得之、不處也、貧与賎、是人之所悪也、不以其道得之、不去也...」(金持ちや地位の高さは、誰もが望むものだが、それが正しい道で行われたのでなければ、落ち着くものではない、貧しさや身分の低さは、誰もが嫌うものだが、正しい道を踏んでいるのなら仕方ない事で、何も恥じる必要はない...)。
昔の人の言葉の方が、真実を教えてくれる様な気がします。
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