![]()
老成都
![]()
[其三十七]
算命
中国に行った時どの街であろうと、寺院の中を散策するのが何故か気に入っています。普段タフな中国人ばかりを相手にしているせいか、寺で見掛ける人達は何故か皆温和そうで、神頼みの気弱な面を見ていると、人間らしい新鮮な一面を感じます。
2000年1月 境内大雄殿の前の参拝者
成都市内の仏教寺院として、文殊院が最初に頭に浮かびます。思い起こせば、成都に行った際には、毎回の様に訪れていたと思います。
この寺の前身は、唐代の妙園塔、そして宋代になり信相寺と言われ、明代に戦災で失われた後、康煕二十年(1681年)に再建されました。当時文殊の化身とされていた慈篤月禅師の住んでいた寺院の山門に、「文殊院」と記されていた事から、巷でも文殊院と呼ばれる様になったそうです。
2000年1月 門前の様子
俗な出会いとして、ここの素菜(精進料理)が気に入っています。精進料理だけあって肉や魚などの生物の変わりに、全て豆腐や湯葉を使っています。個人的には「豆辧魚」が美味しく感じました。魚料理の様に似せていますが、中身は湯葉の中に蒸したじゃが芋を入れ揚げた後、餡をかけたものです。
1988年11月 法鼓弥勒殿前の参拝者
また、かつてこの寺で、二人の僧侶から話をしてもらった事があります。一人はこの寺の大僧正の方で、今から9年も昔の話です。遭難で友人を亡くした際、お参りに訪れ、何か有難いお言葉を頂きましたが、話の内容はほとんど忘れてしまいました。既に90歳以上のお年で、その場で寺のバッジに念を込めてもらいました。このバッジは今でも大切に持っています。
1991年11月 仏塔に描かれた「西遊記」牛魔王を退治する件
二度目はその約2年後位だったと思いますが、こんどは社殿前で掃除をしていた見習僧侶でした。彼の話によると、つい半年前までは働いていたとかで、出家して間も無い30代半ばの人でした。私が何気なくお参りしている人達を眺めていた時、彼はその私を見ていた様で、「算命」(人相見)が出来ると言うので冗談のつもりで見てもらいました。しかし、いきなり「お前は修行が足りない。まあ、暫くは落ち着きなく苦労するだろう。」との事。修行中の見習い坊主の癖に、何を偉そうにと多少ムッとしたのを覚えています。
しかし、確かに彼の言うとおり、今になってその後を振りかえると、なんとなく見透かされていた様で可笑しくなります。私は多分このまま迷いながら年を重ね、気が付いた頃には死んでいる、そんな一生を送るんだと思います。
2000年1月 境内の全体図
部屋を整理していた時、昔寺内の売店で買ったしおりを見つけました。
天下叢林飯似山 鉢孟到処任君餐
黄金白玉非為貴 惟有袈裟被最難
朕及山河大地主 憂国憂民事轉繁
百年三萬六千日 不及僧家半日間
未曾生我誰是我 生我之時我是誰
長大成人方是我 合眼朦朧又是誰
来時歓喜去時悲 枉在人間走一回
不如不来亦不去 也無歓喜也無悲
只困当初一念差 黄袍換却紫袈裟
朕及西方一衲子 如何落在帝王家...
(世の中に僧徒の食は山みたいに、托鉢を以ってすれば至る所に食がある)
(黄金や白玉は貴きにあらず、袈裟を着る事が最も辛い事である)
(私は山河や大地の主として、国や民の事を毎日考えているが)
(この百年三万六千日は、僧侶の半日にも及ばない)
(私がここで生まれていなければ私は誰なのか、私が生まれた時私は誰なのか)
(成長した事により私になるのか、目を閉じ朦朧と見える人もまた誰なのか)
(喜びが訪れ悲しみが去った時、無駄に一生を送ったとしても)
(来るには及ばずまた去らずとも、そして喜びも悲しみも無くとも)
(ただ一回一念の違い、皇帝の衣服から袈裟に着替えるとして)
(私と極楽の僧侶、いかにして帝王家に生まれ落ちたのか...)
康煕皇帝遊江南金山寺
南無阿弥陀仏
1989年12月 仏具屋が軒を並べる五岳宮街
トップページに戻る
Copyright by sisenweb master all rights reserved that the contents uproaded on 23rd June, 2002