老成都

[其三十四]

夜市

 メディアで盛んに自由市場と言う言葉が流れていたのは、私が初めて中国を訪れた80年代の半ば頃です。今では死語を通り越して、現代史の一部になっています。旅行中、成都でも数多くのこれら市場を見掛けました。当時は観光スポットに出向くより、これらの市場に行く方が活気があり、中国の生の姿を見れる様な気がしたので好きでした。


    1987年3月 日曜雑貨品を中心に売っていた染房街


 不思議なもので、当時の市場の印象を色で覚えています。それは単純に青と赤のコントラストです。青は中山服(人民服)の一般的な色、そして赤は時装の走りなのか、赤を基調とした洋服の色です。皆で示し合わせた訳ではないのでしょうが、どの市場に行ってもこの色の印象が強く残っています。右へ習えの雰囲気の中、赤は革命色ですから、服装も自然とこの色からの方が入り易かったのでしょうか。


    1987年3月 衣料品を中心に出店していた青年路


 市場は、野菜などの農産物を売る場所と、衣類や日用品売る所に大別されます。最新の洋服を売る場所としては、青年路が持て囃されていましたが、当時は、やはりこれが...と言う状態でした。そんな中80年代の終わり頃になると、古着を中心に怪しげな日本製の洋服が売られていました。モデルらしき人達がこれら最新のファッション(?)で、店舗の前を闊歩する姿は余りに異様な光景でした。
 兎に角往時は、アメリカ的消費文化を満喫し、日本製品を湯水の様に使うのが、一般的中国人の願望でした。最も今では、日本の洋服や家電製品のほとんどは中国製になってしまいましたが...。


    1990年6月 春煕路の様子(上東大街より)


 成都一番の商店街は、春煕路と言われています。夜になり、店舗が閉まり出すと変わりに露天の店が立ち並んでいました。主に日用品や衣類、それに食料品や各種小吃が出店していました。豆腐皮の辣椒和えが好きで、良く立ち食いしていましたが、中国の友人に言わせると肉類は何の肉を使っているか分からないので、絶対に食うなと諭された事があります。話し半分で思っていましたが、食が安全と言われる日本でも、肉の不正表示は昨今日常茶飯事みたいなので、当時のこの言葉は今更ながら現実味を帯びて感じます。


    2000年1月 夜市で賑わう春煕路


 今日の成都では、各種新規の規制でこれら夜市も無くなりつつ有ります。成功を収めた人の中には、少なからず露天商から個人の才覚だけで身を起した人もいるでしょう。今日の中国がここからスタートしたとするならば、その精神は忘れないで欲しいと思います。さもないと、今の日本と同じ轍を踏んでしまうと個人的には思います。


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