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老成都
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[其三十三]
蜀都
成都が古の時代より、帝都として存在した事を示す遺跡が幾つか存在します。古代最も古い存在は、望帝杜宇と叢帝開明の伝説の時代にまで遡ります。望帝は、それまでの狩猟生活から脱却し、民に農耕を教えたとされています。また叢帝は人々に治水の知識を与えたとされています。これが言わば四川の起源と言えるのでしょう。
この祠が現在の卑県に、古くは南北朝の時代から望从祠として連綿と残っています。
1999年12月 卑県にある望叢祠
1999年12月 この叢帝陵の他望帝陵も存在
地方政権の帝都として、巷で一番有名なのは、三国の蜀漢時代です。西暦221年(章武元年)、劉備が劉璋から蜀郡を簒奪した後、魏に対抗して大蜀皇帝を称しました。市内にある歴史的遺物として、武侯祠は余りにも有名ですが、文革や再開発等で他の多くの遺物が消え失せてしまった今日、ほとんどは地名でしか往時を偲べません。唯一、蜀漢建国の際、礼台が築かれその祭儀を行った場所として、武坦山が人知れず今でも残っています。この場所は解放軍の基地内にある為か、その存在が手付かずのまま残って来たものと思います。
1991年10月 市内北部の武坦山に明代に建てられて五重塔
時代は少し下り、西暦925年にも成都を帝都として、国が存在した事があります。唐朝滅亡に際し、五代十国の前蜀として独立政権が誕生しました。しかし、建国者の王建からその子王衍まで、僅か35年で滅亡してしまいました。この初代皇帝王建の墳墓が、1942年市内三洞橋で防空壕建設の際に発見されています。
1988年10月 永陵に復名する前のかつての大門
私が成都に住んでいた時は、王建墓として一見寂れた感じの考古博物館として一般に開放されていました。しかし、今では永陵と往時の名前に戻され、大層な門構えに改築されていました。これもまた観光促進の一環なのでしょうか。
この墓室の特徴として、石棺に彫られた力士像や雅楽像から、当時の民俗性が伺える為、貴重な歴史的資料価値がある事です。庭内の土産物屋では、この雅楽像をモチーフとした蜀箋(便箋)も売られていました。
1988年10月 古墳の前に置かれている石造
蜀都と言う言葉は、最近良く聞にする様になりました。新しく出来るビル或いは街路名として。そこには四川として、新たな地方の独自性の芽生えが感じられます。
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