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老成都
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[其ニ十八]
毛主席最親
市の中心部、人民南路の正面に、毛沢東のその巨大な塑像が目に入ります。私の知る限り、市街には三つの毛沢東像がありました。この他に一つは四川大学の構内にあり、もう一つは北較場にあります。またそれとは別に現在衛星都市として発展しつつある紅光鎮にも、人民公社時代の名残として、こぶりな毛沢東像がありました。
1988年10月 花壇で彩りされた人民南路の毛沢東像
北較場は蜀漢時代、諸葛亮が蜀軍の訓練を行ってより、代々歴代の軍隊が駐留していたみたいで、今では解放軍の軍事基地となっています。丁度、文殊院を出て右手、人民北路の門側からこの毛沢東像の姿がチラッと見える筈です。北較場に知人が住んでいたので、一度だけ中に入った事がありますが、下から見上げると結構な大きさで、四川大学の像よりも大きかった気がします。
1990年5月 四川大学内にある毛沢東像
私の友人に紅衛兵の世代が何人かいたので、何度か当時の情況を聞いた事が有ります。その人は当時紅衛兵として、毛沢東語録だけを手に多くの同級生と北京へ向かったそうです。列車は赤い毛沢東語録を翳せば、全て無料になったので、同じ様に多くの紅衛兵が各地方から集まって来たそうです。北京に集まった紅衛兵を閲兵する為、長安街で熱狂する多くの群集の前を、毛沢東がオープンカーに乗り走り抜けたました。彼も力の限り「毛主席万歳!」と叫び続けたそうで、周りにいた女学生の中には卒倒してしまった人もいたそうです。私には言葉でき理解出来ても、感覚では理解し得ない世界です。
でも黒集りの群集の中で、彼が見た毛沢東のその姿は、禿げかけた頭だけだったそうです。
1995年8月 紅光鎮にある小ぶりの毛沢東像
成都でも文革中は相当混乱していたとの事で、南郊の硫璃場で起きた武闘では、多くの死傷者が出たそうです。当時「造反有理」の名のもとに、学校の先生を殴った鈍い感覚は、今でも忘れられない苦い記憶として残っていると彼は言っていました。またある時、友人達と一緒に武候祠にある劉備の墓を掘り起こした事もあるそうですが、何も出てこなかったそうです。中国の巷で目にする歴代皇帝の墳墓は、後日の盗掘を恐れて、着衣だけを奉った衣冠廟が多いそうなので、本当は誰にも知られない別の場所に葬られているのかも知れません。
1989年5月 学生運動で沸く人民南路の毛沢東像周辺
89年に起きた天安門事件の際も、成都では毛沢東像の周辺がその大きな舞台になりました。4月22日から6月4日まで、この舞台では混乱が続きました。しかし現在は、毛沢東像の周辺は立ち入り禁止になっています。
つい数年前、毛沢東のブロマイドが交通事故の護符として中国で流行っていました。タクシーに乗った際良くみかけましたが、親しみ易いお守りとして神格化したのでしょうか。
今でも人民南路に面する毛沢東像は、その無機質な表情で、変わり行く町並みを静かに見下ろしています。
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