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老成都
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[其ニ十六]
抗戦無名英雄塑像
成都市内には三国志や歴史ある有名な寺院等、数多くの観光スポットが有りますが、あまり知られる事のない、幾つかの近代史のモニュメントを紹介したいと思います。
1991年11月 人民公園内にある辛亥秋保路死事記念碑
人民公園内には辛亥秋保路死事記念碑があります。四つの面には、それぞれに楷・草・行・隷書の字体で記されており、31mの高さがあります。これは清朝末期、川漢(四川〜漢口)線の主権が外国列強に払い下げされる事に反対し、その抗議運動の最中殉難した人達の記念碑です。この事件は辛亥革命に大きく影響を与えたとされています。
1988年10月 文化公園内にある十二橋死難烈士墓
1988年10月 35柱の墓標群
市内西部にある文化公園内にも、墓碑が有ります。1949年12月、人民解放軍が西に向い進軍する中にあった四川で、国民党により捕われの身となっていた35人の共産党員や政治犯が処刑されました。世に言う十二橋惨案です。この事件を悼み、中華人民共和国建国後、この公園内に十二死難烈士墓として建立されました。
市内東門口、二環路・万年場の交差点のロータリーには、抗戦無名英雄塑像があります。日中戦争の際、四川からも多くの地方軍が抗日の最前線に派遣されました。そんな兵士の姿が塑像のモチーフになっています。
1991年10月 万年場に立つ抗戦無名英雄塑像
重慶に国民党の臨時政府が移ってから、四川の大都市も空襲の対象となりました。1938年12月から行われた日本軍による重慶爆撃は、世界史上初めての戦略爆撃、所謂後方の非戦闘員である市民に対する攻撃でした。焼夷弾による、有効かつ残虐な空爆の方法も、この時初めて採用されました。当時では、市民に対する空襲自体がタブー視されていたそうですが、この慣例を破ってしまった事が、後々日本にも悲惨な戦禍をもたらす遠因になってしまったのは皮肉な歴史の事実です。
1990年10月 龍舟路で見かけたかつてのトーチカ跡
成都に住んでいた時分のある日、人民南路で自殺によるバスの爆発事件が有りました。たまたま通りかかって野次馬根性を出して覗いていた時、となりにいたお婆さんが、「日本鬼子の空襲の時は塩市口が三日三晩燃え続けたんだから、こんなのは大した事ない」と私に語りかけてきました。日本人とは全く気付かなかったみたいで、ばつが悪く「そうですか」と言って、その場は逃げてしまった事があります。
成都と言えば、最初に多くの日本人が三国志やパンダを思い浮かべると思います。私もそうでした。でも成都の人と初めて接して得た感覚は、一般的に多くの中国の人は、いまだに日本人に対して良い印象を持っていないと言う事実でした。
今日歴史認識の問題が色々と騒がれていますが、中国を理解するには、三国志より先ず近代史の再認識が必要だと個人的には思っています。
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