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老成都
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[其ニ十五]
地攤子
私が成都に住んでいた頃、夕暮れ時の九眼橋の歩道やたもとには、どこから沸いて来るのか、どこからとも無く赤・青・白のビニールシートを敷き広げた物売り、四川語で言う地攤子がたむろしていました。ほとんどの人は近郊の農民の人達だと思いますが、中には街に住む労働者と思しき人達も数多く混じっていました。
2000年1月 九眼橋汽車站(バスターミナル)
四川東部の農村地帯から成都に出稼ぎに来る数多くの人達が、バスで最初に降り立つのがここ九眼橋です。その場所柄を反映して、彼らを当て込んで多くの地攤子もここに店を広げていたのでしょう。彼らの売る商品も、その多くは日曜雑貨や農産物が主でした。また、露天の仕立て屋まで、橋桁の近くに店を出していました。
2000年1月 順江路の露天写真館
日が暮れると、この辺りは本当に暗くなります。何かのテレビ番組で時代考証家曰く、日本の時代劇の夜のシーンは明る過ぎると言う話を聞いた事が有りましたが、その言葉は本当だと実感します。商店や路地の電燈も40ワットの裸電球がほとんどで、その明りに皆が寄りそう様に商売をしていました。
2000年1月 濱江路に立つ人材市場
朝からは九眼橋のたもと、濱江東路沿に人材市場が立ちます。名前と年齢、そして持っている職能を紙に書き込み、自分の立つ地面の前に置いてその日の職を求めます。ある者は臨時工として、またある者は家政婦或いは調理師として、その職歴や技術に応じて各々ひたすら呼びとめられるのを待ち続けます。
1991年10月 致民路に面した斜向いの空き地では雑技が...
1995年8月 その後空き地に出来た高層ビル
彼ら俄商売人の直向さやしたたかさ、そして旺盛で豊富な労働力、それが今日の中国経済を底上げした原動力になっている事は間違いないと思います。逆に今の日本では、これらが失われつつある物だとも言えます。
成都の街が綺麗になり規制が増える一方で、彼ら地攤子の居場所は益々なくなりつつ有ります。でもこの精神を忘れてしまえば、今の日本と同じ轍を踏んでしまう様な気がします。
40ワットの明りの中から、いくつもの夢は限りなく膨らみます。
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