老成都

[其ニ十四]


一還路

 現在成都では三還路の建設が計画されています。私が成都に住んでいた十年前は、一還路は既に完成していましたが、ニ還路の一部が建設中でした。成都の街並も一還路の内側が市街地、そして外側が概して田園地帯と言った雰囲気でした。
 閑な時、この一還路を自転車で回った事が有りましたが、一周2時間ばかりかかった記憶があります。自動車道と自転車道が完全に分離されていたので、自転車で一番走りやすい道でした。遠出して道に迷った時、兎に角一還路に出てしまえば方角が分かるので、市内どこに行くにも一還路は多用していました。また自転車で郊外に行く場合にも、一還路から迂回して幹線に乗るので、私にとってこの道は近郊の田園地帯に行く際の入り口の様な存在でした。


    1991年11月 金牛区のシンボル・金牛


 私の唯一の農民の友人も一還路の外側に住んでいました(ニ還路完成後はその外側になりました)。彼とは同じ太極拳の徒弟仲間です。ある小雨混じりの日曜日、自転車で棉竹大麹(白酒)片手に、友人と彼の家を訪れた事があります。彼の家は金牛区の茶店子の近くにあります。都江堰に向う際高速道路から見える、典型的な成都の田園風景が連なる辺りです。


    1994年6月 成都郊外、彼の家とは別の農家


 私の実家も元々は農家だったので、彼とはどことなく親しみを感じていました。成都近郊の農戸は他の地域と比べて大方裕福です。勿論都市近郊と言う絶好の条件も有りますが、最も有利な点は最適な気候条件と豊かな土壌です。まさに「天府之地」と言う事です。でもこの言葉が適合するのは、四川でも成都平原に面した一部の地域だけです。他の多くの四川の農村は、土地の痩せた山間部に位置しており、全国的に見ても貧しい地域です。
 彼との話の中で、これからは都市近郊の条件を生かして、商品価値の高い花卉栽培が良いのではとアドバイスした記憶が有ります。


    1994年6月 成都の農村の定番、竹林とアヒルの群


 彼は当兵(兵役)していた時、ベトナム戦争に参戦していたそうです。人民解放軍がベトナム戦争に義勇軍として参加していた事は、当時アメリカでも知り得ませんでしたが、前線では無く、後方支援や防空部隊が主だったからでしょう。今では公然の事実として、歴史になっていますが、彼もそんな四川の防空部隊の一員として参戦していたそうです。アメリカの空軍機と対峙した時、怖くなかったかと聞きましたが、距離が離れていたので何とも思わなかったそうです。皆大なり小なり、歴史に係わっていると言う事実に、改めて驚きを覚えました。


    1994年6月 農家の納屋の様子


 話は変わりますが、最近の日本の経済状態を反映してか、私も仕事の中で、「農家だったらどれだけ気楽だろう」と言う話をたまに耳にします。でも自然を相手に土を耕し、生活の糧を得て行くと言う行為がどれだけ大変な事か、多くの場合想像以上の物だと私は感じています。かく言う私も、そこから忌避した一人です。


    1999年12月 一還路外郭に出来た新興住宅地


 その後友人の話では、ニ還路の建設と都市の拡張のお蔭で彼の生活条件は益々有利になったそうです。でも三還路が建設され、更に都市が広がりを見せれば、事情も違った物になって来るのかも知れません。
 私の住んでいる市川でも、東京外環道路建設の為の用地買収が活発になって来ました。市内至る所虫食いの様に空き地が点在しています。外環道が完成すれば、私の住む場所もその内側になるので、東京のその都市の拡張にいずれは飲み込まれる事になるでしょう。これからは、その出口を見つける事になると思います。


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