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老成都
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[其ニ]
遊戯
日本でテレビゲームが全盛時代を向えて久しいですが、成都で電子遊戯(テレビゲーム)が流行り出したのは今から10年位前の事です。当時成都で売られていたソフトのほとんどが海賊版、一つのカセットに数種類から数十種類のゲームソフトが入っていて、国営の大きな百貨店でも売られていました。一人っ子政策のせいで、子供には何でも買い与える風潮が有ったので、瞬く間に流行し、大人も巻き込み街中でテレビゲーム屋が大流行りしました。
それ以前の遊びには何が有ったのか?探せば色々有ると思いますが、私の住んでいた成都の九眼橋の近くで良く見かけたのは、射的と飴細工等のてき屋でした。近くに有名な望江樓公園があったので、週末になると結構流行ってました。
1989年11月 九眼橋に毎日出店していた射的屋
射的屋は本物の空気銃を使っており、当時一つの玉は1角(0.1元)でした。それを川辺りにある風船の標的に向けて打ち、的に当たればその分の金額は払わなくて良いのがルールです。私も昼休みの時間、近くの麺屋で食事をした後、良く遊んでいました。この手の物は割と得意で、あまりお金払わずに的を射尽くした事があります。撃ち終わった後、てき屋のおやじに、「お前は猟師か」と言われ怪訝な顔をされたので、それからは少し遠慮する様にしました。でも最近は見かける事がありません。察するに街中で本物の空気銃を撃っていた訳ですから、色々な規則が出来て簡単には出来なくなったのでしょう。
1990年11月 人民公園内の飴細工屋
飴細工もただ飴を買うのではなく、一つのゲームです。昔は1回2角でした(今は確か2元か、それ以上)。ルーレットを回し、当たりに止まれば大きな龍の飴細工が貰えます。
私はこの種のゲームがきらいです。いやな思い出があるからです。小学生の頃、夏祭りで水飴のてき屋のゲームをした事が有ります。やはり同じ様にルーレットを回す仕組みで、矢印がちょうど外れと当たりの線上で止まりました(と言うより、ほとんど当たりにはいっていた記憶です)。私は当たりを確信しましたが、それを制し、てき屋のおやじは大きな声で脅す様に、「残念だったね」と念を押して来たのです。それ迄の商売顔とはうって変わり、ヤーさん丸出しの顔で睨みつけるので、もうそれまででした。
でも成都で久しぶりにこのルーレットをやって、龍の飴を手に入れました。中国の大学の先生達と地元のお祭りに出かけ、気は進まなかったけど、言われるままにルーレットを回しました。矢印はまたもや外れと当たりの線上で止まりました(どちらかと言うと外れより)。その時空かさず、先生達は「当たりだ」と叫んで、手はもう既に龍の飴に届いていました。人数が多い分、今度は歩が有ったみたいです。ボーダーライン上はその時の力関係で明暗が分かれると言う事でしょうか。正に駈引きのあるゲームです。
1990年11月 人民公園内の切絵屋
四川は昔から農産物の豊かな所だったので、自然と余暇を楽しむ風潮が生まれ、今でも四川人は伝統的に遊び(遊戯)好きです。そう言えば
ケ小平(四川・広安県出身)も大のブリッジ好きで有名でした。四川の茶館では、お茶を飲む傍ら多くの人がゲームに興じています。トランプ、麻雀、川牌等々。川牌とは、四川独自のカードゲームです。私もやり方を教えてもらおうと何人か成都の友人に聞いた事がありますが、「年寄しか知らない」と言われ、それっきりでした。札には数字を表す丸模様と、三国志の登場人物が描かれていました。
1991年10月 綿陽、灯会(祭)での飴細工屋
今現在何の遊びが流行っているかと言うと、麻雀です。公園に行けば必ず幾つものグループが麻雀をやっています。そしてみんな大なり小なりお金を賭けています。文化大革命の頃は全面的に禁止されていましたが、やはり歴史有るゲームなので、簡単には消えません。
日本の麻雀と典型的に違うのは、花牌をジョーカーの様に使う事です。これだと役作りが簡単過ぎて面白くないと言う人もいますが、より多くの局面を考えねばならず、展開が非常に早くなる為、素早い頭の回転が要求され、また別の面白さが有ります。
良く盆地に住む人間は保守的と言われますが、四川の人も新物好きですが、根はやはり保守的です。一時期流行ったテレビゲームも今は下火です。やはり、ゲームも本物嗜好です。多くの四川人が中国の政界で活躍し駈引き上手なのも、なんとなく分かる気がします。
1992年12月 成都近郊、黄龍渓
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