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老成都
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[其十八]
黄瓦街
市の中心部にある毛沢東像の西側一帯は、かつては少城と呼ばれていました。この中で、清朝の時代に満州族の貴族や役人が居宅を構えており、満城と呼ばれる一画がありました。その代表的な通りが、黄瓦街です。この通りは読んで字の如く、建物の屋根瓦が黄色い瑠璃瓦で造られています。またその周辺の通りも立派な門構えの館が今でも残っており、一見しただけでも他の街並と趣を異にします。最も今では、住人の98%を占める割合が漢人です。
1991年11月 黄瓦街への入り口
この様な満州族の居留街は他の大都市にも有ったと聞いた事があります。それぞれの都市で、王朝の支配基盤を確立する為、満州の地から移り住んで来たのでしょう。清朝末期、精鋭を誇った近衛軍の満州八旗は腑抜けと化し、相次ぐ内乱や外国との戦争で活躍出来ず、王朝の衰退を救えませんでしたが、この様に良い暮らしをしていれば、誰もがそうなるのでしょう。奢る者久しからず、歴史とは存外上手く出来ているものです。
1991年2月 春節間もなく、爆竹の散乱した寛巷子
この辺は現在でも成都の政府機関に属する人々が割と多く住んでいます。不動産物件も他の場所と比べ人気があり、家賃も高めとの話を聞いた事があります。ベストセラーになった「ワイルド・スワン」で、舞台になった成都の街で、著者の住んでいたのも確かこの近くだったはずです。
1991年2月 西城根街にある成都画院
私の住んでいた大学の寮のある九眼橋は、地方からのお上りさんが多く、田畑が近郊に有り埃っぽく田舎臭い場所との事で、不動産としてはあまり人気が有りません。でも私個人としては、ここの方が性に合っていました。
1991年2月 寛巷子に面した門構え
1991年11月 同じく寛巷子にある別棟の大門
この満城の街並は歴史的雰囲気を残す場所として、保存されるみたいです。私個人としては、他にも沢山残して欲しい場所があるのですが...。お役人の方々も自分達の住む場所はあまり変えたくないと思われたのか?まあ、それは考え過ぎと言うものでしょうか。
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