老成都

[其一]

龍門陳

 四川に最初に行ったのは、もうかれこれ14年も前の話になります。旅行で訪れたこの街が何故か気に入ってしまい、その何年か後、今度は留学という形で3年あまりの時を彼地で過ごしました。いまだにその時に知合った成都の友人達との関係が続いており、毎年の様に四川を訪れ、それがこのホームページを開設するきっかけになりました。


    
1989年10月 東大街、老東門付近の接骨院


 四川のこの14年を見て一番驚いているのが、街の変わり様です。最初彼地を訪れた時は、歴史の有りそうな平屋や二階建の木造建築がほとんどで、ビルと言えば高級ホテル位でした。それが最近では、街の到る所に高層のオフィスビルやマンションが立ち並び旧道は拡張され、多くの古い木造家屋が取り壊されています。今でも場所に因っては、古い街並の残っている所もありますが、これらもいずれは取り壊される運命です。


    1989年10月 九眼橋、右端の九眼橋は1991年に取り壊された


 街(Hard)が変われば中に住んでいた人達の考え方(Soft)も大きく変わりました。当時多くの人は国営企業に勤めていた訳ですから、生産性をさほど問われる事が無かったので、あまり真面目に働いていませんでした。今からもう10年以上も前の事ですが、昼休みに友人の家に顔を出した時(当時昼休みは大抵2時間程あり、食事後は昼寝をするのが、ごくごく一般的な習慣でした)、食事をご馳走してくれ、お酒を飲み出したので、「会社には行かなくて良いのか」と問うと、「今日はもうやめた」との返事でした。まさか毎日こんな事ではないだろうと更に聞いてみると、「毎日午後からは会社に行ってもお茶を飲むだけだから」との事。皆が皆こんなではないでしょうが、現在では考えられない事です。こんな事も許されていた時代でした。
 でもなんとなく、皆ちょっと貧乏だった気がします。
     

    
1989年11月 人民南路、現在は天府広場に改築されている


    
1989年5月 人民南路での学生デモ、熱い理想家が多かった


 今はお金持ちが兎に角増えました。貧富の差や経済競争は日本以上です。私の友人達も今では寝る間も惜しんで働いています。しばらくぶりに会うと、一晩中、「白龍門陳」(四川語で四方山話をするの意)です。最初は誰も商売やお金儲けの話をしますが、お酒を飲んで酔いが回るとあの当時はどうだったとか、あの街並はどうなった等、昔を偲ぶ話ばかりになります。生活のレベルは非常に向上しましたが、変わりになくした物も有ります。
 昔から住んでいる人達にとっては、古い街並が一つ消えていく度に故郷が少しずつ削られていく想いなのでしょう。


    2000年1月 青石橋市場、昔の街並にも高層ビルが迫ってます


    2000年1月 現在の人民南路、天府広場


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