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巴山蜀水
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[其十七]
磨西(MoXi) - 〈貢嗄山の麓〉
貢嗄山の海螺溝氷河を訪れる場合、磨西郷が登山口となる。郷とは、日本で言う村に相当すると思うが、将に山間の小さな麓町そのものだった。この町の住人のほとんどが彝族である。西南地方では主要な少数民族で、主に凉山の周辺にその多くが住んでいる。山岳民族の様に思われがちだが、漢民族の流入に押される形で山岳部に移り住んだと言うのを何かの本で読んだ記憶がある。四川に住んでいると省内ではチベット族より、寧ろ彝族の方が有数な少数民族と言う実感がある。
磨西のメインストリート
菜の花の咲く頃に始まる田植え
隣村の新興にハンセン氏病患者の隔離施設が有る事から、磨西も汚染地帯と思われていた様で、ある日本の登山隊は全ての食料を日本と成都から持ち込んだそうである。私も多少の心配は有ったが、まあ体に不調が無ければ大丈夫だろうと単純に考えていた。最も、それ以前にそこまでするお金も無かった。何れにしろ最近改めて考えさせられている様に、当時はまだ相当の偏見が有ったのだと思う。
そう言えば、教会の隣りにある食堂で食べた、「平俣片」がやたら美味かった記憶がある。多分採れたての平茸をそのまま調理してくれたのであろう。
磨西にある天主教の教会
復活祭の礼拝中の様子
町の中心部には小さな天主教(カトリック)の教会がある。ヨーロッパでプロテスタントの新興に危機感を持っていたカトリック教会は、アジアに向け大量の宣教者を送りこんだと言う。中国の僻地にまで信徒の獲得競争に明け暮れていた時代を彷彿とさせる。丁度イースターのお祈りの最中で、多くの信者が教会に訪れていた。この地に、宗教の浸透していなかった当時としては、瞬く間に信仰を集めたのかも知れない。中国各地を回った実感として、この様な辺境程人々の宗教に対する信仰が強く感じられる。厳しい自然の中で暮す人にとって、心の支えは欠かせないものなのだと思う。
長征で磨西を通過した事を示す看板
町に置いて行く荷物を管理事務所の倉庫に預けた。たまたまそこの管理人さんが日本人遭難者を助けた人で、同じ市川の出身と言ったら、当時の話を色々と聞かされた。でも方言がきつく、ほとんど言っている事が分からなかった。ただ身振り手振りで、担ぎ上げて町まで連れ帰って来たと言うのは、何となく理解出来た気がする。同じ場所に行くだけに、少し不安にもなった。単なるトレッキングと言っても無理はしない様、改めて思い直した。
磨西の町で一泊した後、いよいよ海螺溝氷河へ。
つづく...。
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