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巴山蜀水
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[其十六]
濾定(LuDing) - 〈濾定橋〉
濾定は歩いても数分で繁華街が途切れてしまう小さな街だった。しかしこの街を有名にならしめている物として、大渡河に懸かる濾定橋の存在がある。濾定橋は清代・康煕四十四年(1705年)から5年の歳月をかけて造られ、爾来約300年の長きに渡り康蔵高原の重要な交通路として使われて来ている。この橋の特徴は、13本の鉄索で繋がれた約100mの釣り橋である。また橋の題字は康煕帝の御書で書かれている。
濾定の街側から見た濾定橋
この橋が脚光を浴びる事になったのは、共産党の長征最大の舞台となったからである。瑞金の根拠地を追われ、延安迄の道程において、紅軍の戦士達は人跡未踏の四川の山間部や未開地を通らざるを得なかった。しかし1935年5月29日濾定に至り、国民党軍の待ち伏せに遭いながらも、大渡河を渡る為にはこの濾定橋を強行突破するしかなかったのである。橋桁は既に国民党軍により外されていた為、紅軍の決死隊は弾雨の中を残された鉄索だけを頼りに匍匐前進し、この橋を攻略し本体の大渡河の通行路を確保した。毛沢東もこの戦いを長征詩の中で「金沙水拍雲断暖、大渡橋横鉄索寒」と、句に残している。
対岸側に書かれている題字
孫子の「背水の陣」と言う言葉が相応しいのかも知れないが、当時の紅軍にとっては降伏、即ち死を意味していたであろうから、この辺に勝敗の行末が有ったのだと思う。
我々はこの道を逆に辿り山間部へと...。少し下流側に新しく出来た車でも走行可能な釣り橋を越え、奥地に向う。大渡河の急激な流れを眼下に見ながら、往時の様子に思いを巡らす。
対岸から見える濾定の街並と大渡河
つづく...
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