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巴山蜀水
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[其十]
楽山 (LeShan) - 〈岷江と大仏〉
楽山は留学する以前からも聞いていた地名である。と言うのも、私の住んでいる市川市と楽山市が姉妹都市の関係だったからである。姉妹都市の関係が出来たのは、もうかれこれ19年前。何故姉妹都市の締結をしたかと言うと、中国共産党の毛沢東主席の秘書をしていた郭沫若が戦前市川の真間に住んでおり、彼の生まれ故郷が楽山(沙湾区)にあったからである。彼は市川に約10年の長きに渡り滞在し、濾溝橋で日本と中国との間に戦端が開かれると、妻と四人の子供を残しひそかに帰国した。彼が涙ながらにこの家を後にした大通りは、私が高校時代に通った通学路だったと知ったのはつい最近の事だった。
市川にある真間山弘法寺の黒門
彼は、国共内戦を逃れ日本に亡命していた身であり、後に書かれた回想録「海涛集・帰去来」には、市川に住んでいた当時の様子が書かれており、市川に住んでいる私にとっては非常に興味深い。この辺りは昔から閑静な住宅街で、回想録に書かれている当時の面影が、今でも偲ばれる街並である。
1955年来日の際、須和田公園に残された漢詩
最もそれ以外には、何の繋がりもない。似通っている点と言えば、楽山には岷江が流れ、市川は江戸川の辺であり、共に川辺りにある街という事くらいだろうか。
彼が住んでいた住居には、小さな記念碑があり、付近の公園にも句碑が残されている。と言っても、この事を知っている市川の人はあまりいないみたいである。私も四川に行って始めて知った事実である。時として、外から見える故郷はまた違った趣を持っており、何故かとても面白い。彼が滞在中、良く真間山にある弘法寺に上り、江戸川の流れや市川の眺望を書き記しているが、どことなく楽山の大仏寺から見える風景とオーバーラップして見えてくる。
岷江と大渡江に挟まれた楽山の街並
楽山と言えばやはり巨大な石仏が有名である。世界遺産にも指定され、峨眉山と共に観光旅行のメッカとなっている。そもそも岷江の辺で、付近を航行する船舶の安全を祈願して作られたのが所以とされている。石仏の大きさは、高さ71m、頭の大きさ14.7m、耳の長さ6.72m、そして手の大きさが8.3mもあり、世界最大の石仏である。また最近にかり、石仏の鎮座する凌雲山の姿そのものが、涅槃仏に見える事が、華僑の旅行者により初めて発見された。
岷江から見える凌雲山
鳥龍寺から大仏寺へと繋がる釣り橋
鳥龍寺境内の屋根
石仏が彫られたのは唐代で、以来千二百年以上の月日が流れている。凌雲山には鳥龍寺と大仏寺の二つが存在し、船で訪れるとまず船上から岷江に聳える石仏を見上げ、鳥龍寺のある岸辺から上陸する事になる。そのまま寺を抜け釣り橋を渡ると大仏寺に至り、石仏の足元から断崖に作られた石段を上り、石仏の頭の上にある山頂の大仏寺の本殿へと至る。最初にここを訪れた際(1988年)は、参観料はわずか2元だった。しかし、最後に行った1997年には行く寺々と石仏の石段を上る際にも参観金を取られ、全部で数十元の料金を支払された。また、今ではあまりにも有名になりすぎたせいか、どこに言っても観光客相手の商売人がたむろしており、閉口してしまう。
船上から見える楽山大仏
唯一の救いは、陸上の喧騒から離れ船から見えた、岷江を眼下に臨む雄大な大仏の変わらぬ姿だった。
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