小栗判官

 藤沢遊行寺の裏手にある長生院(通称、小栗堂)の案内板の要約です。案内板は二つあって、一つは物語風のもの(案内板1)、もう一つは史実に近そうなもの(案内板2)です。


【案内板1】

 小栗堂の庭には、歌舞伎や浄瑠璃で有名な小栗判官と照手姫の墓と伝えられる遺跡があります。十勇士の墓と、名馬鬼鹿毛(おにかげ)の墓もあります。

 伝えられる話では、応永三十年(1422)、小栗満重は、足利持氏に謀叛を起こし攻められます。家来十人と落ち延びる途中、横山大膳の館に泊まりました。

 盗賊大膳は照手姫を使って満重に毒酒を飲ませ財宝を奪おうとし、家来十人は毒殺されてしまいました。しかし、照手姫が密かに毒のことを告げたために、満重は助かりました。

 満重は鬼鹿毛で遊行寺に逃れて上人に助けられ、後に横山一党をやぶります。

 照手姫は満重が亡くなったあと、遊行上人を頼り、満重と家来の霊を弔い、長生尼となって余生を送りました。



【案内板2】


 桓武天皇の曽孫高望王の七代の子孫、平重家は、久寿二年(1155)に小栗御厨の保司となって小栗山に築城し、小栗氏と称した。

 応永三十年(1423)八月二日、十四代小栗城主小栗孫五郎満重の時、鎌倉公方足利持氏との戦いに敗れ、小栗城は落城。

 落城の際、小栗満重は、子の助重と十勇家臣と共に、三河に住む一族小栗貞重らを頼って落ち延びた。

 その途中、相州藤沢辺の悪党横山大膳の館(横浜市戸塚区東俣野)で歓待宴酒中に毒を盛られ、家臣十名は毒殺されて上野が原(藤沢市)に捨てられた。これらの家臣の遺骸は、清浄光寺八世(遊行十四世)他阿太空上人が手厚く葬った。

 照手姫の助けでこの大難を逃れた小栗助重は、熊野本宮湯ノ峰温泉(和歌山県牟婁郡本宮町)に浴して快復し、父満重の死(応永三十三年三月十六日)後、十余年を経た嘉吉元年(1441)、結城合戦で幕府軍の将として活躍し、その論功によって再び小栗領に復した。

 助重は、父満重と十勇家臣の菩提を弔うために、遊行寺に墓を建てた。この施主助重が、小栗判官と称された小栗十五代城主、小栗彦次郎平助重である。


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