− 里見兄弟の帰還・その2 −
酒宴の席で、随見が仰せになった。
「父の上総入道と松島古伯入道はずいぶん懇意にしていたうえ、孫の弥四郎とは姻戚に当たっている。ことによると、古伯入道が加勢してくれるかもしれない。」
それを聞いて、勝安は、
「それはもっともですが、芥沢能登守に同意してもらわないと、古伯殿は能登守に遠慮して加勢してくれないかもしれません」と、言った。
随見は「なるほど」と思い、ただちに芥沢と松島のもとに行って内談した。
しかし、芥沢は、
「古来から、両人の家人一族は、たとえ日本国中が敵味方に分かれて戦おうとも、どちらの加勢もせず、軍役も勤めず、この山中を堅固に守るのみです。疎略に扱うつもりではなく、古例なので致し方ありません」と言うばかりだった。随見は力を落として城に戻った。
やがて、小倉、須長から、高津戸のことを藤生紀伊守(由良家臣)のもとに知らせて来たので、紀伊守は驚き、石原石見、須長八蔵、薗田次郎を召し寄せて事の子細をお尋ねになった。
三人が言うには、
「神梅から高津戸の要害山までは、松島の領分と承っております。それで、山中の者どもを頼って、随見と勝安が住宅を構えたと聞き及んでおります。連れて来た侍は兄弟の知人や縁者で、浪人者たちです。新田足利の威勢を聞いて、仕官を望んで参ったのかもしれません。一説には、上総入道の生害を残念に思い、また、桐生又次郎殿が没落したのを聞き及んで、どうなったのか心元なく思って参着したのではないかとも取沙汰しております」とのことだった。
藤生紀伊守はそれをお聞きになって、「そうは言っても近隣の事なので、万事油断いたさぬように心掛けよ」と、仰せになった。
高津戸では、随見が家人の正木大蔵を召し寄せ、「近隣の清水をいつでも飲めるように準備し、俵物は、麦、米、小豆、なんでも集めて用意しておくように」と、仰せになった。そこで、付近の住民に頼んで、倉の米を数十俵調達し、高津戸の城内に備蓄した。
里見兄弟は、なんとかして石原、津府子、山越を討ち取り、桐生へも乱入したいと思し召し、佐野や足利へも時々ひそかに足を運んで仇を討つ機会をお待ちになった。このような兄弟の心中を思い、憐れまない者はいなかった。