− 今出川殿御上洛の事・その1 −
さて、今出川殿(足利義視)は伊勢に御座され、国司(北畠教具)が参上して二心無く崇敬し奉っていた。(今出川殿が)小倭の聖寿寺という寺でお詠みになった。
静かなる深山の奥の隠れ家に 夜の嵐を何と聞くらん
あちこちの山寺、幽居、名所などを御遊覧されて、毎日御一献されてはいたが、さすがに都の空を思い出されるのももっともなことであった。
袖にふけ 都の秋の風のつて
と詠まれたので、宮千代という名童が(下の句を)付けられた。
もみぢやたより 君にあひぬる
まことに優雅なことであった。
同十日、平尾へ御成りになった。吉見兵部少輔、宮の中務丞、荻野修理亮、飯河孫六、小坂孫四郎が京都から遅れて参上たてまつった。
同九月十三日、浜へ御成りになった。
をもはすよ都の月の後の名を 伊勢の浦はの浪と見んとは
伊勢で都の様子を聞くと、十月三日に一条東河原で合戦があり、相国寺が焼けて室町殿もあぶないということであった。世の有様のあさましいのを御覧になって、公方様。
はかなくも猶おさまれと思ふかな かく乱れたる世をばいとはで
御所様がこのように詠まれたのももっともなことであった。勝元に頼りにされてこのたびの乱でも中心となって働いていた安富民部も東門の前で討死したと聞こし召し、哀れに思し召して御嘆きは限りなかった。