− 相国寺塔炎上の事 −
文明二年(1470)十月四日の初め、月が出て一天曇りも無かったが、月が山の端にかかる頃、乾(いぬい。北西)の愛宕の方角から雲が出て、車軸のごとき大雨が降り出した。耳をふさぎ目をつぶっても無駄なほどの雷電であった。 相国寺の七重の塔は幸い一昨年にも焼け残っていたが、これに雷が落ちて上櫓が焼けてしまった。 燃え上がるのを見た番衆が言うには、「猿のようなものが塔の各層に火をつけたので焼けた」ということであった。「時節の到来は逃れることができない」と、人々は噂し合った。
文明二年(1470)十月四日の初め、月が出て一天曇りも無かったが、月が山の端にかかる頃、乾(いぬい。北西)の愛宕の方角から雲が出て、車軸のごとき大雨が降り出した。耳をふさぎ目をつぶっても無駄なほどの雷電であった。
相国寺の七重の塔は幸い一昨年にも焼け残っていたが、これに雷が落ちて上櫓が焼けてしまった。
燃え上がるのを見た番衆が言うには、「猿のようなものが塔の各層に火をつけたので焼けた」ということであった。「時節の到来は逃れることができない」と、人々は噂し合った。
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