| 現代語訳 鎌倉大草紙 (後半) |
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弥陀たのむ人はある夜の月なれや 雲晴れねども西へこそ行く 千葉胤宣の辞世。享徳四年、十五才で自害 |
鎌倉大草紙の後半の現代語訳です。後半は、永享の乱・結城合戦のあと、永享の乱で亡ぼされた足利持氏の遺児、永寿王(足利成氏)が鎌倉公方になるところから始まります。時代的には永享記の後半部分と重なりますが、鎌倉大草紙の方が永享記よりも詳しく記述してあります。ここでは、享徳三年(1455)に足利成氏が関東管領の上杉憲忠を殺害したことから始まる享徳の乱がメインに描かれています。享徳の乱は、享徳三年に年号が享徳から康正に改元されたのにもかかわらず、成氏が文明十年(1478)頃まで享徳年号を使用したことからそのように呼ばれています。
関東を二分して長い戦乱が続きますが、文明八年(1476)、上杉方の有力武将の長尾景春が上杉氏に対して反乱を起こして上杉方は崩壊。翌年、成氏と上杉方は和睦します。しかし時代はあと戻りのできない戦国時代に入り、その後も戦乱は続いていきます。
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| 鎌倉大草紙 の後半 | |
| 鎌倉大草紙20 | 永寿王のこと |
| 鎌倉大草紙21 | 上杉憲実のこと |
| 鎌倉大草紙22 | 永寿王(足利成氏)の鎌倉公方就任
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| 鎌倉大草紙23 | 成氏と上杉の不和・その1 |
| 鎌倉大草紙24 | 成氏と上杉の不和・その2 |
| 鎌倉大草紙25 | その後の上杉憲実・その1 |
| 鎌倉大草紙26 | その後の上杉憲実・その2 |
| 鎌倉大草紙27 | 甲斐武田家 【武田系図】 |
| 鎌倉大草紙28 | 憲忠誅殺 |
| 鎌倉大草紙29 | 享徳の乱の始まり |
| 鎌倉大草紙30 | 享徳の乱・その1 |
| 鎌倉大草紙31 | 享徳の乱・その2 |
| 鎌倉大草紙32 | 享徳の乱・その3 |
| 鎌倉大草紙33 | 享徳の乱・その4(千葉宗家の滅亡・1) |
| 鎌倉大草紙34 | 享徳の乱・その5(千葉宗家の滅亡・2) |
| 鎌倉大草紙35 | 享徳の乱・その6(千葉家のこと)【千葉系図】 |
| 鎌倉大草紙36 | 享徳の乱・その7(東常縁の下向) |
| 鎌倉大草紙37 | 享徳の乱・その8 |
| 鎌倉大草紙38 | 享徳の乱・その9(渋川義鏡、足利政知の下向)【渋川系図】 |
| 鎌倉大草紙39 | 享徳の乱・その10 |
| 鎌倉大草紙40 | 享徳の乱・その11(東常縁と斎藤妙椿) |
| 鎌倉大草紙41 | 享徳の乱・その12 |
| 鎌倉大草紙42 | 長尾景春の乱・その1 【長尾略系図】 |
| 鎌倉大草紙43 | 長尾景春の乱・その2 |
| 鎌倉大草紙44 | 長尾景春の乱・その3 |
| 鎌倉大草紙45 | 長尾景春の乱・その4 |
| 鎌倉大草紙46 | 長尾景春の乱・その5 |
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