− 小栗判官 −
このたび小栗(満重)は、忍んで三州へ落ちて行った。
その子小次郎(助重)はひそかに関東に隠れていたが、相州権現堂という所に行ったところ、そのあたりの強盗どもが集まる家に宿を借りてしまった。
家の主が、「この浪人は、常州の金持ちだと聞いた。きっと宝を持っているだろう。打ち殺して取ってやろう」と言って、相談した。
ある者が、「しかし、壮健な家人どもが一緒にいるが、これをどうしよう」と言うと、一人の盗賊が、「酒に毒を入れて飲ませて殺せ」と言ったので、「そうしよう」ということになった。
同じ宿の遊女どもを集め、今様などを唄わせて踊りたわむれ、小栗をもてなすふりをしながら酒を勧めた。
そうしているうちに、その夜、酌に立った照姫という遊女が小栗と親しくなった。自分もこの酒を飲まずにいたが、小栗を憐れんで毒酒のことをささやいたので、小栗も酒を飲むふりをして酒を飲まずにいた。小栗の家人たちはそれを知らずに全員酔って寝入ってしまった。
小栗が小用のふりをして林の方に出てみると、林の中に鹿毛の馬がつないであった。この馬は盗人どもが街道に出て盗んで来たものだが、ひどい荒馬で人を噛んだり踏みつけたりするので、盗人どもがかなわず林の中につないでおいたものだった。
小栗はこれを見てひそかに部屋に戻り、財宝を少々持ち出すと、その馬に乗って鞭をあてて落ちて行った。
小栗は無双の乗馬の名人だったので、ひとまず藤沢の道場へ馳せ行き、そこで上人を頼むと、上人も憐れんで、時宗の僧を二人付けて三州まで送られた。
盗人どもは例の毒酒を飲んだ家人と遊女が酔って寝ていたのを川に流し沈めたあと、財宝を探し出して奪った。小栗も捜したが、小栗は見つからなかった。盗人どもは、その晩どこかへ散って行った。
酌に立った遊女は酔って寝たふりをしていたが、もともと酒は飲んでいなかったので、水に流れて行って川下で岸に這い上がって助かった。
その後、永享の頃、小栗は三州からやって来てその遊女を捜し出し、いろいろな宝を与えたあと、盗人どもを捜して全員誅伐した。小栗の子孫は、代々三州に居住しているという。
鎌倉大草紙は小栗判官(助重)を助けた遊女の名前を「照姫」としているが、「照手姫」とする伝承が一般的。小栗判官は、その後結城合戦に参陣し、その戦功によって旧領を回復したという。小栗判官の死後、照手姫は藤沢遊行寺に入って長生尼となり、小栗判官と毒殺された家臣達の霊を弔いながら余生を送ったと伝えられている。写真は、藤沢遊行寺(清浄光寺)の小栗堂(長生院)にある地蔵尊で、照手姫(長生尼)が建てたと伝えられているもの。