− 九州落ち −
九州に退かれた時のことでは、御供申し上げた人の多くの名字が太平記には記されていない。子孫には不憫なことである。このようなことは、諸家の異見書きなどで記していただきたいものである。 おしなべてこのようなことは議論のあるところである。夢想記(注:未詳)と名付けて細川阿波守(和氏)が記したものも、「私曲がないように見えて私曲がある」と、当時の人々は言ったという。 九州から御上洛された時も、各地の戦(いくさ)で武功をあげた人が多いという(が、それも太平記には記されていない)。
九州に退かれた時のことでは、御供申し上げた人の多くの名字が太平記には記されていない。子孫には不憫なことである。このようなことは、諸家の異見書きなどで記していただきたいものである。
おしなべてこのようなことは議論のあるところである。夢想記(注:未詳)と名付けて細川阿波守(和氏)が記したものも、「私曲がないように見えて私曲がある」と、当時の人々は言ったという。
九州から御上洛された時も、各地の戦(いくさ)で武功をあげた人が多いという(が、それも太平記には記されていない)。
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