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江川卓
最終更新 2009/5/12
今日の更新
【 えがわ すぐる 】
作新学院−法政大学−
巨人
投手 右投げ右打ち
野球解説とスポーツ番組の司会をする元
NPB
選手。
1955年
5月25日、
福島県
生まれ。
1973年
ドラフト会議
で阪急に1位指名されたが入団拒否、法政大学に進む。当時は選手が事前に希望球団を公言する風潮はなく、巨人志望であることは一般に知られていなかった。
1977年
ドラフト会議でクラウンに1位指名されたが入団拒否、アメリカで野球浪人に入る。志望球団巨人が引いたくじは2位で山倉捕手(早稲田大学)を指名した。
1978年
11月、クラウンとの交渉期限が切れた翌日でドラフト会議前日(その後「空白の一日」と呼ばれている)に巨人と契約 NPBは契約を受理しなかった。
ドラフト会議で阪神に指名される。巨人は欠席。その年予定していた落合を指名できなかった(落合は3位でロッテが指名)
1979年
1月31日、阪神と契約。小林繁との交換で巨人に入団。
5月末まで
巨人
の自粛で
イースタン・リーグ
に出場。
6月、解禁と共に一軍昇格、阪神戦で即
初
先発。ラインバックに逆転ホームランを打たれ負け投手。以後、外国人に打たれるという意味で「外人病」と呼ばれた。
1981年
20勝6敗 最多勝 最優秀防御率 最多奪三振
江川が投げる試合は進行が早く、20時を回ってすぐに終ることもあった。球場係員は早く帰れるので喜んだが、テレビ局は残り時間をつなぐのに苦労した。
3年めにして名実共に球界一の投手となったが、期待に反してこれがピークになってしまった。
1984年
オールスターゲーム
で9者連続三振を逃す。この頃、既に速球が走らなくなっていたがオールスター戦ではなぜか速球が復活。9人めの打者近鉄大石に投じた2−0から外角に外したカーブがストライクゾーンに入り、当てられてセカンドゴロとなった。江川は著書「マウンドの心理学」で
"記憶から消し去りたいカーブ"
と表現している。
1987年
オフに現役引退。
2001年
8月
「マウンドの心理学」ザ・マサダ
発表
2006年
巨人
の指揮を執るかと思われたが、その役割は
原辰徳
に委ねられた。いつか、その野球理論が現場で通用するかを見てみたい。
2007年
10月、黄桜のCMで小林繁と共演。プロ入り以来初めて、直に私的な話をした。
→
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初出2005年5月
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