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拉致被害者の姿勢について
最終更新 2004/6/20
今日の更新
2度目の訪朝を終えた
小泉総理
に対して拉致被害者は直接対話の席で、罵声を浴びせた。これは日本人として歴史的な悲しいできごとであった。
外交には言えることと言えないことがある。
「すべての責任を負う」と言い切っている総理に向かい、まず感謝のことばもなく、交渉の枝葉末節を批判したことは拙速である。
また被害者の口からその場で
「国民は皆そう思っている」旨の言葉が出たのは妙だ。
その日の結果をうけた世論調査も出ていないのに、どうやって国民の声を聴いたのだろうか。国民は被害者の言うことはなんでも支持してくれるという驕りを感じた。
何もしてこなかった人が安穏と逃げ切っていて、何かをした人が厳しくその責を問われる。何もしないで予測や評論をすることがどれだけ簡単で、実際にそれを実行するのはどれだけ難しいか、そういうことを子ども達に教え示すのが大人の役目だ。
日本は動いた人がバカをみる国になってはならない。
5月26日の報道によると、「救う会」に千通の意見が寄せられ、そのうち3分の2が批判だという。これに対して
(以下、引用)
救う会と家族連絡会は25日夜、「面会の際、家族は首相の努力に敬意を示し、子供たちの帰国への喜びの意を示したが、ほとんど報道されなかった」などとする見解を発表した。(読売新聞)
(引用終わり)
確かに報道機関の伝え方には作為があるだろう。しかし総理に面と向かって「プライドがないのか」と言い放ったのは言語道断。感情にまかせたコトバであり国民、子ども達に与える影響などなにも考えていない。これでは、自分がよければそれでいいという横着な大人そのものだ。
また、報道されなかったというならば、テレビのナマ中継にあれだけ出演していて感謝の言葉が一言も電波に乗らないのはなぜだ。
批判を受けたら人のせいにする。体のいい言い訳を用意してごまかす。その姿勢は卑劣だ。
なぜ「ごめんなさい。言い過ぎました」と言わないか。
そういう姿をみて子ども達は育ち社会に参加してくるのだ。
「救う会」のメールアドレスは
「救う会」のウェブサイト
に下記のように掲載されている
激励・ご意見・ご質問などはこちらまで info@sukuukai.jp
27日の報道によると、横田めぐみさんのご両親がこう述べている。
(以下、引用)
「自分の家族が拉致されたら今回の訪朝をどう感じるか、想像してほしい」と訴えた。
(毎日新聞)
(引用終わり)
「相手の立場にたってものごとを考える」ことは大切なことだ。この謙虚さが欠けている人がつくる社会は殺伐とする。
ただし、それによって全てのことが正当化されるのではない。
「心では感謝していた」
「被害者の立場に立って考えて」
これでは、自分を弁護する話しばかりではないか。
また、この横田さんの「想像してほしい」は
被害者対政府の関係の軸を被害者対一般大衆の関係軸にすり替えている。
いいかえると、
「苦労した人=被害者家族」と「苦労していない人=一般大衆」の比較にすり替えている。
だが「苦労していない人=一般大衆」が問題にしているのは、
「苦労した人=被害者家族」と「行動した人(小泉総理)」の関係性において、被害者家族の発言が適切さを欠いているということだ。
努力している人に対する冷静で公平な評価を忘れていることはほっかむりしたままだ。
ものごとの結果には原因がある。
なぜ「救う会」に抗議が殺到するのか、その理由に目を向けようとしないで自分の意見だけ言う。同情が足りないと言う。そういう人たちを私は支持できない。
初出2004年5月
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