【 きたがわ まさやす 】 早稲田大学教授
三重県知事時代に首都機能の移転先を三重畿央地域に引っ張り込む先鋒的な役割を果たす。
マニフェストということばを普及させた先駆者。民主党がその尻馬に乗った。
三重県知事退任後は、政治学者の立場からマニフェストを前提とした民主主義の実現をめざす。
- 1944年 昭和19年
- 三重県生まれ。
- 1967年
- 早稲田大学第一商学部卒。
大日本印刷入社。
- 1972年
- 三重県議初当選。
- 1983年
- 衆議院議員初当選。
- 1990年
- 文部政務次官
- 1995年
- 三重県知事初当選。
県知事時代の改革内容は「行政を変える」村尾信尚 講談社 2004年8月〜に詳しい。
- 2003年
- 2期を終え三重県知事を辞す。
早稲田大学大学院公共経営研究科教授就任。
8月14日、三重県多度町の三重ごみ固形燃料(RDF)発電所でタンクが爆発。消火に当たっていた消防士2人が亡くなる。
- 2004年
- 1月27日、三重県知事在任中に手がけた「三重ごみ固形燃料発電所」爆発事故の件で三重県議会に参考人招致。
三重県知事当時、他項目に渡る県庁改革を進め、知事としては
浅野史郎に次いで一目置かれた。ただ思考スタイルは旧態依然の政治家のもの。演説の途中で扇動調に声が1オクターブ上がるのには怖さを覚える。
「
学校五日制」を最初に仕掛けたのは私だったと本人が語っている。ゆとり教育はやがて日本を衰退させるだろう。その責任についても検証されることを待ちたい。
参考文献
「父から子へ伝えるもの」KKベストセラーズ 2002年
田中康夫は著書「脱ダメ日本宣言」でこう書いている。
(以下引用)
田原さんの「サンデープロジェクト」に出るときも、1人で荷物を持っていく。日曜日なのにカバン持ちの職員を3人も出勤させちゃう三重県のような財政的余裕はないから。東京駅で驚かれるの。知事が両手に荷物下げて1人で歩いてるって(笑)。
(引用終わり)
さて、誰のことだろうか。
2002年7月、長野県知事不信任決議後、北川正恭は
田中康夫について「個人的なスタイルの政治家だから」とコメントした。