鯨 捕鯨の歴史。
- 1800年代
- 米国は照明や潤滑油を鯨油に頼っており日本近海まで鯨を捕りにきていた。
捕獲した鯨は皮脂だけを鯨油として加工。8割がたの肉は海洋投棄していた。
海難事故が多く、遭難した船員が日本人に虐待を受けていることが問題となっていた。そこで補給地として日本の港を使うための交渉で、1853年にペリーが浦賀に来航した。
参考文献
「考える力、やり抜く力私の方法」中村修二 には、開国を迫った!と強い表現で書かれている。「豊かな東京湾」小松正之 雄山閣 2007年5月
では、虐待についてさらりと触れている。
燃料が石油に替わり鯨油が不要になると、米国は捕鯨をやめた。
その後、商業捕鯨の禁止を推進したのも米国。
米国は必要な時は鯨を乱獲し、不要になると政治票田の環境団体に動物愛護を叫ばせて、選挙に利用している。
米国は
地球温暖化防止のための「
京都議定書」を不支持とした。自国が二酸化炭素排出規制の目標値をクリアできないからである。地球温暖化により鯨の主な餌であるエビが減り、鯨を餓死による座礁に追いこんでいるのも米国なのである。
参考文献 朝日新聞2001年4月21日朝刊
2004年現在おこなわれている捕鯨は次の3つ。
1、異議申し立てを行ったノルウェーの商業捕鯨
2、日本がおこなう調査捕鯨
3、先住民生存捕鯨
グリーンランドのイヌイット、アメリカのマカ族などは、先住民生存捕鯨として、堂々と商業捕鯨を行っている。
参考文献 「クジラその歴史と文化」小松正之 ごま書房 2005年8月
鯨は日本伝統の食文化。マッコウクジラ、ミンククジラは依然として捕鯨可能な資源がいる。頭数が多すぎることで餌が不足し、餌を求めた鯨が餓死したり海岸に座礁するケースが増えている。日本のテレビは座礁の度に「方向感覚が狂ったためと思われる」と判で押したように報道している。
2000年
4月6日、静岡県大須賀町で浜辺に鯨が座礁。町民が懸命の救出活動を行った。
2001年
7月、農林水産省令により、捕獲記録を残しDNAサンプルと共に農水省指定機関に提出した後は、販売可能となった。
参考文献
「豊かな東京湾」小松正之 雄山閣 2007年
2002年
1月22日、鹿児島県大浦町の海岸にクジラ14頭がうち寄せられた。同年2月茨城県海岸に100頭近いクジラが打ち寄せられた。
1991年以降、水産庁(現・農林水産省)から各自治体に漂着したクジラは食用とせず、焼却するよう通達が出されている。理由は過去に漂着した鯨を食べて食中毒が起きたため。
4月25日〜5月24日、IWC年次総会(第54回)下関市開催。
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