200312月議会一般質問(骨子)

日本共産党議員団 上原ひでき

 

1、「人権教育のための国連10年伊丹市行動計画」の2004年度見直しにあたって

 「人権教育のための国連10年伊丹市行動計画」は200110月に策定。私はその年の12月議会で、人権教育のあり方の問題と同和問題について質した。その後2年間の実施状況報告書が提出され、来年度がその見直しの年とされている。2年分の報告書を拝見して、施策の評価と課題は列記してあるが、それぞれの部局の施策を並べただけしか見えない。伊丹市行動計画にどんな意義があるのか、来年の見直しを前にして、改めて考える必要があると思う。そこで以下の点について当局の見解を聞きたい。

1)改めて人権と人権教育のあり方を問う

  2年前の質問で、国内行動計画の人権教育の位置付けは、国民の教育権や学習権を保障するという立場が弱く、課題を差別問題に矮小化し、差別と偏見を除去するために、教育・啓発・研修を促進するという国民教化の傾向が強く、人権問題を国民相互の問題にすりかえているのが特徴であること、伊丹市行動計画も同様の立場であることを指摘した。それは国連の行動計画にはない国民の「人権意識の高揚」が国内行動計画の中心になっていることに現れている。

憲法第13条は、個人の尊重、生命、自由、幸福追求の権利の尊重を規定している。「人権」とは「生命、自由、幸福追求」の権利であり、すべての人間が自然に持っている権利、すなわち自然権であり、日本国憲法はそれをより確実なものとして憲法によって保障しているもの。そしてこれらの権利はすべての人間に「平等」に保障されなければならないものとされている。そして第11条で「国民の基本的人権の享有、基本的人権の永久不可侵」が、第12条で「自由及び権利の保持責任・濫用禁止・利用責任」が規定されている。すなわち日本国憲法にはあらゆる人権に関する規定がされていること。  

  では人権教育とは何か。「国連10年の行動計画」では国連人権高等弁務官の前書きで、「教育は基本的人権であり、すべての人権の伸張と保障のための重要なツールである」「教育権は、今日、国際人権規約と子どもの権利条約などの条約で保障される国際人権法の本質的な一部をなしている」とされている。そして法的基礎は人権教育との関連で、世界人権宣言第26条、国際人権規約第13条、子どもの権利条約第29条などをあげているが、その内容は一様に「すべての人の教育権を保障すること」が明記されていることが大切なところ。

  また「国連10年の行動計画」では人権教育の定義がなされているが、国連及び国連関係機関における人権教育については、「人権としての教育」と「人権についての教育」の区分に注目する必要があるとされている。「人権としての教育」とは、教育それ自体が人権としての性格を持っているということ。「人権についての教育」とは、人権についての理解を深めるための教育のことであり、さらに「人権についての教育」のあり方を含んで「人権としての教育」が問題とされてきたということ。

  すなわち人権教育で大事な視点は、教育それ自体が基本的人権であることであり、人権としての教育が中心であることにある。しかし伊丹市行動計画は、特に同和教育が様々なところにでてきているとともに、あらゆる分野で差別と偏見を除去するために、教育・啓発・研修を促進することが中心になっており、一部を除いて教育権の保障という観点が薄く、市民に憲法に明記されている本来の人権の中身が逆に伝わらなくなっている。

  また人権教育で人権救済ができるかの印象を与えているが、そんなものではない。

  そこで、伊丹市行動計画は主に市民教化の立場にたつという点で、国連10年、国際人権規約など国連の中で確立してきた人権教育とかけ離れたものとなっており、根本から人権教育そのものを見直す必要があると考えるが、見解を伺いたい。

 

2)同和教育解消の契機にすること(同和問題)

  人権・同和教育というが、同和問題における人権教育と同和教育の違いは何か。

  同和教育に関しては、かつて生活環境等が劣悪な状態にあり教育を受ける権利が奪われているもとで、教育機会の不均等を是正する行政施策や同和加配教員の配置、同和奨学金制度などの特別対策=同和教育行政ともいうべき事業が行われ、その結果同和問題に関する教育権の保障を確立してきた。そういう意味で同和教育とは「同和問題が提起する教育課題に応える教育的いとなみ」ということができる。この点からすれば、同和問題における人権教育というのも、結局同じ意味ではないかと思う。したがって同和問題に関する教育権の保障を確立できた現在、同和教育も、同和問題における人権教育も同和行政の終結と合わせて、その役割は終了していると考えるものである。  

  また「差別意識」に関して言えば、「根深く差別意識が存在している」という根拠はない。「差別意識」とは何か明確ではないが、その意識を変えるのは行政の仕事ではない。2年前の答弁で、社会教育法第3条の教育環境の醸成、第5条の教育委員会の事務について言及されたが、どこをどう呼んでも意識を変えるのが教育委員会の仕事とは書かれていない。なぜならば戦前の国家統制の苦い教訓から戦後の憲法、教育基本法が定められたのであり、この立場からするならば、「差別意識」を解消するなどという言葉はまったく不適切。

  さらに2年前の質問で2回質問しながらまったく答弁がなかったのは、「差別意識」の理論の根拠となっている、「社会意識による差別意識」が「個人意識による差別意識」を形成し「差別事象」として表面化するという考え方。すなわち解放同盟の朝田理論そのもの。そのときも紹介したが、松阪市の校長先生が糾弾会の後自殺に追いやられた考え方。

  こんな一方的な一部の運動団体の考え方に立った人権教育・同和教育は教育行政がやるべきことではない。

  以上3点にわたって意見を述べたが、いずれの問題をとっても同和教育、同和問題に関する人権教育は解消すべきであると考えるが、その見解を伺いたい。

   

3)「人権としての教育」のあり方(学校)

  学校における「人権としての教育」に関しては、教育それ自体が基本的人権であるという立場を明確にすることである。その基本は「憲法」「教育基本法」、「子どもの権利条約」にあり、これらに基づいて一定実践されてきた内容でもある。 

 たとえば次の点が重要である。

・憲法第26条「教育を受ける権利」に明記されている教育権があらゆる面で保障されているのかどうか。 いじめのない、安心して学校に通えることになっていることが前提となる。

・「子どもの権利条約」が学校・地域・家庭で理解されるとともに、子どもに知らされていること。そして子どもが自由に意見を述べ、社会参加する権利を保障しているのかどうか。

・子どもが人権の主体となれるように教育が準備されること。そのため自主活動・自治活動を励まし、子どもが主人公の学校づくり、民主主義の学校をつくること。

・周辺の人間に対する信頼関係の確保など、人権が尊重されていることが実感できる環境と教育が大事であること。

・基礎学力の育成こそ人権の土台であること。

 これらの点を踏まえた教育を行うことが人権教育そのものであり、改めて行動計画10年の中の学校における人権教育として位置付ける必要はないものと思われる。

  一方「伊丹市行動計画」では「『伊丹市同和教育基本方針』に基づき人権問題を正しく理解し---」となっているが、30年前につくられたこの基本方針は時代遅れであり、実態とかけ離れたものとして廃止することが必要。

  見解を伺いたい。

 

4)憲法に明記された基本的人権を保障する市政の実現こそ大事

  自治体の仕事、それ自体が基本的人権を保障することにある。2年間の報告書を見て、本来

すべての施策を人権の立場で検証しなければならないことで、取り立てて「人権教育のため

の行動計画」をつくる必要があるのか疑問。

憲法をすべての行政施策に生かすことが大事である。それは「行政評価」をする場合、財政面だけではなく、この基本的人権を保障する立場から評価することが本来の自治体のあり方といえる。

来年度が見直しの年とされているが、国連10年は来年度が最終年度となっている。伊丹市行動計画は来年度見直しをするよりも、最初に述べた観点で人権と人権教育のあり方を整理し、その上で行政全般に発展させ、計画は解消することが必要と考えるが、見解を伺いたい。


2、平和に関する問題について

1)市長は自衛隊のイラク派兵に反対を表明すべき

  イラクの状況が悪化し、日に日に泥沼化の様相を深めている。イラク国民の意思を尊重した復興のために、国際社会の道理にたった努力がいまつよくもとめられているときはない。ところが、小泉内閣は、米国からもとめられるまま9日に基本計画を閣議決定し、陸海空1000名を越える大部隊の自衛隊派兵計画を示した。しかも重大なのは「安全確保支援活動」として自衛隊が占領軍に合流することも決められたことである。

しかしイラクの状況は、米英軍当局自身が「イラク全土が戦争状態」と認めざるをえないほど、深刻化の一途をたどっている。1129日には、日本人外交官二人が殺害されるという痛ましい事件も発生。米英軍兵士の死者は500人近くを数え、11月の死者は80人と、開戦後最悪の事態となった。米英以外の駐留軍も、イタリア、スペインなどすでに40人近くの犠牲者。被害は、国連や赤十字の施設・関係者などにもおよんでいる。そして何よりも、この戦争によって万をこえる罪なきイラクの民間人が殺されていることは、きわめて重大。

  こうした深刻な泥沼化をまねいた根本原因は、米英軍がおこなったイラク戦争が国際法を無視した無法な侵略戦争であったこと、その後も米英主導での不法な軍事占領支配がつづいていること――このことがイラク国民の怒りと憎しみをよびおこし、暴力とテロの土壌をひろげていることにある。

  イラク問題の道理ある打開の方向は明瞭。一日も早く米英軍主導の占領支配をやめ、国連中心の枠組みによる人道復興支援にきりかえること、その枠組みのもとでイラク国民にすみやかに主権を返還し、米英軍を撤退させること――このことこそ道理ある解決の道筋。いま日本にもとめられているのは、そのための自主的な外交努力。

  第一に、米英占領軍を支援するために自衛隊を派兵することは、イラクにたいする無法な侵略戦争と不法な占領支配に、軍事力をもって加担することになり、そこには何の大義もない。

  民間人を無差別に殺傷するテロが許されないのは当然。しかしイラクでテロと暴力の荒廃がまん延する事態をつくりだしているのは、無法な侵略戦争と不法な占領支配。これこそ事態を悪化させた根源である。

  第二に、イラクへの自衛隊派兵が、「戦争はしない、軍隊はもたない」ときめた憲法9条を正面からふみにじる暴挙となる。イラクの現状のもとで、イラク派兵法の「戦闘地域には送らない」という建前が、いよいよ通用しない虚構であることは、日本の外交官のいたましい犠牲がしめしている。イラク全土が戦場化するもとで、米英の軍事占領を支援する自衛隊は、文字どおり占領軍の一部となり、攻撃の対象とされることは避けられない。

  このような中、札幌市長が「最近のイラクの治安情勢は、日本の外交官が銃撃を受けて殺害されるなど相当緊迫している」とし、市民の安全を守る立場から「自衛隊の駐屯地を抱える札幌の市長として、イラクへの自衛隊派遣には反対」と議会答弁。東京・国立市の市長は、自衛隊のイラク派兵は「違憲行為」だとして、小泉首相に派兵中止を求める意見書を提出。石川・松任市長も「現状では派遣すべきではない」と言明するなど、自衛隊基地のある自治体を中心に首長の反対声明が出てきた。本市も自衛隊基地を抱え、多くの自衛隊員が暮らしている自治体。その街の市長として自衛隊派兵反対を表明すべきである。見解を伺いたい。

2)「伊丹市非核・平和都市推進に関する基本条例」(仮称)の制定を求める

  本市における平和行政に関しては、1990年に「平和都市宣言」を行って以降様々な事業を展開され、平和都市推進協議会の設立等で市民の参画と協働による平和行政を推進されていることには評価をしたい。

そこで「平和都市宣言」に基づいて現在進めている平和行政を、改めて条例上の根拠付けを行い、将来にわたってこの行政を継続発展させることを明確にする必要があるのではないかと考えるものである。条例を策定することを市民に提起し、市民の参画によって制定する方法を取ることで、さらに市民の参画と協働の平和行政を発展させる契機ともなるのではないか。

  さらに、「周辺事態法」「有事法制」のもとで、自治体の立場を明確にすることも必要と考える。周辺事態法第9条では、「地方公共団体の長に対し、その有する権限について必要な協力を求めることができる」とされているが、これはアメリカがはじめる戦争に日本が協力する場合も含めて、自治体の協力を求めるとしたものである。しかし政府の「協力マニュアル」では現行憲法のもとでは協力を強制することはできず、「できる限り協力に応じていただくことを期待する」「法に照らして正当な理由があれば拒否できる」とせざるをえなかったものである。

  そこで伊丹市のこの条例の中で、市民の平和に生きる権利を保障するという自治体の役割を発揮するため、議会等市民の意見を求め、平和都市宣言の趣旨に反することは協力できない旨を明記することもできるのではないか。

  隣の宝塚市では、議員提案として平和条例が可決されているが、平和行政では先進的な取り組みをされている伊丹市として条例制定を行うべきであると考えるが、見解を伺いたい。