| 鍋島の歴史と概要 |
その名が示す通り「鍋島焼」は当時肥前の国の大名であった鍋島藩直営の御用窯で作られた磁器を指し、「古伊万里」「柿右衛門」と並んで肥前磁器三大様式のひとつです。
「古伊万里」「柿右衛門」様式と決定的に違うことは、100%国内向けでそれも幕府・大名の贈答品のみに用いられ、一般に販売されるものはありませんでした。また、「古伊万里」「柿右衛門」が中国の磁器を手本にし、その名残を今でも残しているのに対して「鍋島」はあくまでも純和風にこだわり、鍋島独自の意匠を確立しました。それは藩の手厚い保護下に管理・育成されたことで初めて可能だったと言えます。
藩は当時、有田周辺に13軒あった脇山(民窯)の優秀な職人を引き抜き、有田の岩谷川内に窯を開きました。それが鍋島磁器の始まりですが、すぐに同じ有田の南川原山に移り、そして延宝3年(1675年)に伊万里の大川内山に移転してから本格的な鍋島藩窯として、明治4年まで続きました。その間、鍋島藩は技術の漏洩を防ぐために大川内山の入り口に関所を設けて職人を隔離し、厳しく管理していた話は有名です。その職人さん達の子孫が今も大川内山に残り、それぞれが窯を開いて「鍋島」の技術を受け継いで創作を続けています。 |
鍋島様式意匠の種類
|
現在の鍋島高台皿 |

 |
|
染付[そめつけ]・・・鍋島焼では藍鍋島とも呼ばれる
ろくろや型打ちで成形した素焼きの器に、酸化コバルト(呉須)で絵付けをし釉薬をかけて還元焔焼成をした焼き物。初期の有田は、古伊万里も柿右衛門もこの染付磁器で始まりました。特に鍋島の染付物は藍鍋島と呼ばれてその青の美しさは格別でした。
青磁[せいじ]・・・
全体に青い(薄い青から緑に近い色)釉薬のかかった器で、その釉薬の原料は大川内山の天然の鉱石と柞の木の灰を混ぜて作ったものです。出来のよい鍋島青磁は中国の砧青磁にも匹敵すると言われてます。染付と合わせた意匠の染付青磁という手法もあります。
銹釉[さびゆう]・・・
酸化第二鉄を用いた茶色の釉薬で、初期の鍋島では器型の縁取りや絵柄の一部に用いられてました。古瀬戸ではそれを飴釉と呼んでます。
瑠璃釉[るりゆう]・・・
染付の呉須を薄くして釉薬に使用した焼き物です。鍋島ではこの瑠璃釉や青磁の上に赤や緑で上絵を描くこともありました。
色絵[いろえ]・・・色鍋島
鍋島の色絵の特徴は、まず染付で絵の輪郭線を描きその上に釉薬をかけて本焼をし、線の中に色絵の絵の具を塗ることです。ただ原則として鍋島の色絵の具は赤・緑・黄の3色です。そしてこの色鍋島こそ鍋島の地位を確固たるものにしたと言える作品群です。 |
| 高台皿について |
鍋島を語る時にこの高台皿を抜きには出来ません。
柔らかなカーブで上向きに立ち上がった深めの皿。寸法は1尺・7寸・5寸・3寸の4種類だけです。最初期のものは別にしてこの高台皿には厳しい決まりがあります。高台の直径は皿自体の直径の2分の1、器の高さは皿の直径の5分の1で統一されているのです。それは他の焼き物、特に陶器の場合は1点1点が同じ器でないところに面白味を出したのに対して鍋島は、大名用の揃い食器であることから、使いやすく、しまいやすいことに重点を置いたためと言えます。 |
現代の
鍋島焼について |
現在も当時の独特な文様と規格性は鍋島焼に継承されており、御用窯陶工たちの子孫が大川内山の窯で鍋島様式を守っています。
染付鍋島・色鍋島・鍋島青磁の様式、青海波で代表される地紋で埋め尽くされた文様、立体感を出すための墨弾きの手法などを組み合わせて表現される鍋島焼は、多くの有田焼愛好家の中でも有田焼を知り尽くしている方々に大変支持されています。 |