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伊万里様式
について
(古伊万里、伊万里焼)
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有田周辺で焼かれた焼物を伊万里と呼んだことは
「有田焼について」で述べましたとおりです。
その中でも1640年前後までに出来た素朴な染付磁器は
初期伊万里と言われ大変貴重で、今では高価なものと
なっています。
伊万里様式が豪華絢爛で華美な様式に変化していったのは、1659年に始まった長崎出島からの、オランダ東インド会社(VOC)による貿易が最盛期を迎える元禄時代1690年頃のことです。
東インド会社は当初、ヨーロッパの裕福な王族・貴族に大変人気があった中国磁器の貿易を行っていましたが、明・清の動乱の為に製品が少なくなり、日本の焼物へと品物を代えていきました。その頃ヨーロッパで人気のあった中国磁器とは、景徳鎮で製作された青花白磁(染付)や、五彩(古赤絵)と、染付の上に赤地に金彩を施した様式(のちに金襴手[きんらんて]と呼ばれる)などの豪華な色絵磁器の種類でした。
(当時ヨーロッパには磁器の製作技術がなく、その供給は中国や日本などのアジアからの輸入にたよっていました。)
このことに影響を受け、有田から輸出される焼物は華美な色絵磁器の伊万里様式が確立され、バロック期のヨーロッパの王族・貴族の城の調度品として珍重されました。輸出された磁器の8割、9割がこの古伊万里様式の大壷や大皿の類いです。
1680年代にVOCによる中国磁器の輸出は再開しましたが、今度はその頃人気のあった日本の伊万里様式に中国景徳鎮が影響を受け、中国製の伊万里様式の磁器が出来るほどでした。
その後、中国との価格競争のはて江戸後期の1750年代には輸出は下火になりましたが、こんどは日本国内向けの簡素な絵付けの器の生産が多くなっていきました。
いずれにしても有田の古伊万里は、当時の鍋島藩の財政を支える花形の輸出品でした。
現在でも古い時代の古伊万里焼は、柿右衛門焼と共に多数の作品が、ヨーロッパ各地の美術館や古城に大切に保存されています。もちろん日本の美術館にも保存されていますが、ヨーロッパの古城にインテリアとして装飾されている様子は、独特の雰囲気を醸し出しています。
金や赤で華やかに描かれた古伊万里様式の磁器は、豪華なシャンデリアの下でも決して引けを取らず、今でも欧米の人々に大変人気があるのもうなずけます。 |