イスラエル出張のページ

このたび、縁あってイスラエルに出張することになりました。

01年4月12日(出発前日)− 必要なものは何?

アメリカへ行くのと違い、向こうでPCを使うのに何を持っていったらいいのかよくわからなかったのですが、とりあえず以下の準備をしました。

01年4月13日(金曜日(-_-;))− デジカメが危ない

成田空港まで行くのはいつもたいへんだ。今日もうっかり快速に乗ったところ満員になり明大前までスーツケースがヒンシュクを買ってしまった。同じ電車の隣のドアのところに同じプロダクトを担当する会社のM氏が偶然稲田堤で乗り合わせてきたが、なかなか気づいてくれなかったんだけど、笹塚で気づいてくれたので挨拶した。今生の別れにならなければ良いが...。(^^)

今回たぶん国内線・国際線で初めて JAL を使うことになったが、おかげで成田空港の第2ターミナルも初体験である。第1ターミナル同様、成田エクスプレスを降りてからエスカレーターをいくつも上がって着いた受付カウンターのある場所はかなり広々としていた。同行のN氏と早速手続きをしたが、このミラノ行きの便はアリタリア航空との共同運航便であることがわかった。そのためなのかどうかわからないが、ミラノでは荷物を引き取ることなくそのままアリタリア航空のテルアビブ行きにチェックイン無しで乗れるという。ちょっぴり不安ではあるが日航を信じることにする。この乗り継ぎのトランジットが2時間しかなくて当初危ぶまれたけど、大丈夫のようである。

その後、カウンターのすぐそばにあったちばぎんの両替所で円をドルに交換することにした。とりあえず300ドルあればいいかと交換したが交換レートが128円/ドルとかなり高かった。

(12:10 JST) ここで、ふとデジカメがないことを発見!そういえば、家を出るときに邪魔なのでスーツケースに何気なく突っ込んで空港に着いたときショルダーバッグに移そうと思っていたら、カウンターに並ぶとき預ける荷物はいきなり封をされてしまい混乱してすっかり忘れてしまったのである。つまり、ショルダーバッグを取り出したスーツケースの空洞に残されてしまったわけである! 以前スーツケースに入れておいたノートPCのドックが壊れたことがあったので、これはやばいと即刻カウンターに引き返したのだが時すでに遅し、もう荷物はどこかに行ってしまっているので回収不能だという...。ミラノを経由してテルアビブで無事お目にかかることを祈るばかりである。ここですでにブルーになってしまった。(T_T)

それからやることもないのでさっさと出国審査を済ませて出発ゲートに向かったわけであるが、なんだかずいぶん空いている。シアトルのタコマ空港みたいに短い距離だが電車に乗るのも驚いてしまった。免税店でイスラエルのチームへお土産の草加せんべいと、親切な Daphne にお土産の和風マウスパッドと、万が一デジカメがお亡くなりになっていることを考えて「写るんです」などを買っときました。しかし、どうも出国審査後のカフェテリアは第1ターミナルよりもいまいちなので、食事などは事前に済ませたほうがいいようである。

(13:50 JST) 搭乗は20分遅れ、さらに出発は30分遅れである。日本人のおばさんの団体が多いようである。(14:30 JST) 昼食のチキン(和食の牛丼はパス)でキリンビールとワインをいただき爆睡モードに突入し、起きたときはもう着くかいなと思ったら、まだシベリア上空で目的地まで7時間ということでがっかり。(18:00 JST) シベリアの景色が窓から見えるがいかにも寒そうな荒涼とした風景だった。なお、食事はこの後カレーパンと、軽い夕食が出たのである。

なお、この B747-400 のエコノミー席には各席に液晶テレビが付いているが、リモコンがゲーム用のコントローラにもなっており数種類のゲームを楽しめます。一通り試してみたけど、リモコンがとろくて思うような反応をせずすぐ厭きてしまった。ここで、ふとPCのPCカードスロットに挿してあるデジカメのアダプタにスマートカードが挿しっぱなしになっているのに気づいた。ひょっとしてデジカメはうちに忘れてきたのかと疑心暗鬼になる。デジカメの電源アダプタはショルダーバッグの中にあるので、もしそうならばかげたことだとさらに落ち込む。

(2:15) 白銀のアルプスを眼下に見てすぐミラノに到着した。到着前にミラノの町を上空から眺めた限りでは畑が多くて成田に着いたような感じもした。空港でトランジットのアリタリアの搭乗口へ移動したが、空港で流れているアナウンスはイタリア語なのかまったく理解できず。待合室でコーヒーが飲みたくなり、メニューを見るとカプチーノがどうもリラ?か何かで L2100 と表示されていたけど、ドルで大丈夫か試しに頼んでみたら1ドル札で釣りはなかった。ちなみにこのカプチーノはイマイチネ。「オーイタリア−ノー」という感じではなかった事は確かである。

(3:30 JST) しかし、いつまでたっても搭乗案内がなく(あってもたぶんわからなそうではある)、出発時間を過ぎたころようやく1時間遅れで搭乗が始まった。うーん、機内放送もまったくわからない。ちなみに機体は A-321 とかいう小さいんだけど結構座席はあるというやつで満員だった。ここでもオードブル風の食事が出たが、ビールを頼むとフランスのらしい Koronenburg 1664 とかいうのが出てきて、飲んだら再び爆睡状態に突入してしまった。

アリタリアの感想ですが、はっきり言って使えません。手際は悪いは、人の頭に何やらこぼして「Sorry.」だけですませたスチュワーデスやら...。着陸のときは英語を使ってくれたけど。

(1:45 IST/19:45 IST) ようやく到着だぁ。バスでターミナルビルに移動するとすぐ入国審査である。入国審査をしている外国人は数えるほどしかいない。イスラエルのチームに送ってもらったインビテーションを見せたら何のことはなく入国できた。やあやあ、預けた荷物は無事に届いている。さて、デジカメは? おおっ、ありがとう、無事でした。思わず胸に十字を切りたくなってしまう。(2:15 IST/20:15 JST) が、そんなことをしているまもなくこれもイスラエルのチームに予約してもらったタクシーの運ちゃんが名前を英語で書いた紙を掲げて待っている。タクシーとは言っても、こちらではシェルティーという9人乗りのワンボックスである。いざ、出発するとハイウェイを飛ばすこと、しっかりつかまっていないと倒れそうだ。シートベルトをしようとしたが壊れていてできなかった。このタクシー代も会社持ちだが、深夜に到着が遅れて申し訳なかったので、チップを奮発することにした。

(2:30 IST/20:30 JST) ハイウェイをひたすら北上する。結構ネオンがあって明るいがヘブライ語の看板は読めない。マクドナルド、トイザラスなどは英語の看板である。また、オフィシャルな標識などは併記されているようだ。そのうちだんだんさびしくなってきて、左は海岸のようだ。途中、妙に明るくて大きい建物と煙突が3基見えてなんだろうかと思ったら、後日発電所だったことがわかった。さらに北上を続けて1時間、右手に明るい山が見えてくると、その麓のハイウェイのすぐ右手に見慣れた会社の看板が緑に光っているビルがいくつかあった。ここが日曜から出社するオフィスである。(注:イスラエルでは日曜から木曜がウイークデーである) そこから坂を登ること登ること、やたらと路駐が多いのが気になりつつホテル(ホリデーイン)に到着した。(3:30 IST/21:30 JST)

ホテルでチェックインを済ますと、Daphne から荷物が預けられているのを確認した。電話のモジュラアダプタ(実際は電話線の両端のコネクタが違うやつである)で、ホテルの部屋は電話機は RJ11 というタイプだが、壁についているのは見たことのないものである 。 メッセージまで残してくれた Daphne に感謝である。電源のコネクタはこのホテルでは「C」というタイプ1つで事足りた。6種類も持ってきたのにちょっとさびしい。

ちなみに部屋は海が見渡せるいい部屋である 。 この後インターネット接続にチャレンジするが、このページが見れていればうまくいったという証である。インターネット接続だが、結局2日目以降は会社のアクセスポイントに繋げることにした。フリーダイヤルなのにホテルにしっかり使用料をチャージされていたのはひどすぎる。

それにしても家を出てからホテル到着までほぼ24時間疲れました。

01年4月14日(土)− ひたすら歩いた日

朝、隣の部屋のがきんちょがドアをドンドンたたく音で目がさめた。まだ10時である。昨夜寝たのは6時なので4時間しか寝ていないが結構すっきりしている。コーヒーが飲みたくなったので、ホテルのレストランへ行ってみた。ちなみに部屋においてあるのは電気湯沸し器とインスタントコーヒーね。朝食がバイキング形式で用意されていたので、何やら判らないものもあるがいくつか取ってみた。結構食べられるではないか。明日からも大丈夫そうである。また、ホテルのフロントで100ドルを400シュケルに変えてもらった。

さて、11時過ぎにN氏とハイファの街の探索に乗り出す。どこへ行っていいかわからないので、とりあえず山を海のほうに向かって降りていくことにする。傾斜が急なため直線道路が無く、無駄に遠回りをしながら降りていく。ついでにどこかで昼を食べようと思って探すのだが、あまりお店が無い。また、お店があっても今日はシャバット(安息日)なのでほとんどのお店が休みである。なお、歩道にはところどころ犬の糞が落ちていてうっかりすると踏んでしまいそうなので注意が必要だ。あと、タクシーの運ちゃんはやたらとホーンを鳴らして乗らないかみたいに徐行する。始終プープー鳴らされるのでうるさい。運ちゃんは落ち着いて運転することもできないようで、信号が赤から(青でなくいったん)黄色になった瞬間にタイヤを鳴らしてダッシュしないと気がすまないらしい。もし、信号の先が渋滞にでもなっていたら大変なことで、タクシーもそうでないのもみんなでいっせいにクラクションの大合唱となってしまう。

途中科学技術博物館を見つけたので立ち寄った。 入場料は15シュケルである。とりわけすごい物が展示されているわけではないが(戦車と戦闘機はすごい?)、科学の基礎知識を体験しようというのにはよいところである。ここで昼食は「地球の歩き方」の載っている「ヤンヤン」という中華料理店に行くことを決定する。さらに歩き続けると、街の感じもダウンタウンという感じになってきて、生活用品が売られているような店があったり、またちょっとスラムっぽいような気もする。なんとなくシアトルのダウンタウンを思い出し、似ているような気がした。

さて、そのヤンヤンであるが本に書いてあるような日本人のバイトの子はいない。"Fried rice noodle"とバーベキューを頼んだら、前者は日本で言うビーフンのことだった。味はまあ食べられるというものであった。ただし、付いてきた大盛りライスは、ご飯がタイ米?でぱさぱさしておりパスだった。どちらもろうそくの火がついた台に乗せられたが、これで保温の効果はあるのだろうか? 歩き疲れたのでもちろんビールは欠かせない。イスラエルの地ビールマカビーを初体験である。うまかった。(トータル150シュケル)

ここでタクシーを呼んでもらい、海洋博物館へ行ってもらった。(16シュケル)ところがなんとお休みである。また、隣の海軍博物館もお休みだ。シャバットのせいか? すぐそばにロープウェー乗り場があるのでそれに乗ろうとしたら、乗り場の建物の前にあるハイウェイと線路を越える方法が無い。仕方ないので山を登ってロープウェーの上側の乗り場に行くことにする。遊歩道の途中にはエリヤの洞窟というのがあったがここもお休みだった...。いや、その登りのきついこと...途中でTシャツ1枚になって汗をかいてようやく登り終わりました。登っただけの価値ある景色も見ることができた。地中海が一望である。そしてロープウェーに挑戦する。なぜ挑戦かというと高所恐怖症のわたくしにとっていやな形をしているからである。足元がスケスケで危険極まりない。しかも今日は風が強い、が無事乗り終えた。終わってみればなんという事は無いのである。(12シュケル)ここのロープウェー乗り場はレストランになっているようで、その他にアイスクリーム売り場もあったのでメニューに英語で書かれている"Ice Lolly"とはなんじゃい?と売り場のねえちゃんに聞くが通じない。そんなものは無いという。もめた末、ただのアイスバーだとわかった。8種類ぐらいあったが何がかいてあるかわからないので「赤いやつ」と指定したら、合成着色料まみれみたいなやつだった。(4シュケル)

そこでタクシーを頼んで、今度は見晴らしがいいと有名なバハーイー庭園の上の"Yefe Nof St."に行ってもらった。このタクシーの運ちゃんは香川県に住んでいたというおじいちゃんだが、やはり運転は荒っぽく前の車をせっつく走りを披露してもらった。^^; (30シュケル)そこからの眺めはたしかによかった。いつまで見ていても厭きない感じである。ここで夕立に降られたが、おかげで虹を見ることができてもうかった。

それからは、さらに上のダンカメルというホテルの前を通ってホテルに戻ったのだが、途中でビールを売っている店を見つけイスラエルとデンマークのビールを3種類ゲットした。(46シュケル)もちろん、部屋に冷蔵庫があるのは確認済みである。

今日の夕食は Redmond から来ている Shy と行くことになった。ホテルの近所のレストランである。チキンとサラダを頼んで3人でシェアして食べたのであった。

それにしてもハイファにいる限り、危険なことも何も無いのでちょっと安心した。

01年4月15日(日)− ひたすらお仕事

今日は9時からミーティングが予定されているのでその準備もあって7時45分にタクシーに迎えに来てもらった。6時半におきて朝食はしっかり取った。ここから先はお仕事のことなので省略して、今日の昼は Ziv と会社のカフェテリアで取ることにする。カフェテリアといってもちょっと大き目の会議室のようなものだが、バイキング形式で好きなものを取るのである。ここでも何やら怪しげなものが並んでいるが、Ziv と同じハンバーグを選択する。また、彼の勧めでマッシュポテトのようなものも取ったが、ぬかみそみたいな感じで食べられなかった。ハンバーグもちょっと変わっていて中東という雰囲気のする味である。

で、午後もひたすらミーティングに明け暮れ、会社を出たのは8時である。タクシーの運ちゃんはホテルの裏側に車を着けたのだが、入り口がわからず適当に入ってエレベータに乗ったら隣のビルの人んちだった。^^; またまた坂を登る苦行をして、それから食べに行くのも面倒なのでホテルのレストランで済ますことにする。地中海で取れたツナの料理を頼んだが、地中海にツナはいるのだろうか? 量はアメリカ並みに多くてとても食べ切れなかった。(65シュケル)

部屋に戻ると電話に Daphne からメッセージが残っていた。ハイファツアーに連れて行くとかするからアパートに電話しろというので電話した。明日にでも会社で会えるようにオフィスの場所を伝える。なお、ダフニと発音するのが正しいということがわかる。

01年4月16日(月)− 今日もお仕事

今日は10時に出社と少しのんびりできた。午前中、部屋に Daphne が訪ねてきたので、お土産の歌麿3美人マウスパッドを進呈する。だが電話で日本と打ち合わせをしている最中だったので、残念ながらそれ以上は話す時間が無かった。お昼は今日は誰も誘ってくれなかったのでN氏と二人でカフェテリアに行くがチケットがないと食べられないことが判明。N氏がチケットはメールルームに置いてあると思い出して事なきを得た。今日はチキンに挑戦、味噌みたいなたれがついていた。

午後も打ち合わせでほぼ終わってしまい、ホテルに戻る。今日はディナーに誘われているがそれまで時間がある。一人で近所をぶらついてみることにした。いくつか銀行があったので両替をしてもらおうと思ったが、どこも7時で閉店していたので無理だったが、シティバンクのカードが使えるキャッシュディスペンサーを発見。途中まで操作してみたがヘブライ語で表示されているので数字以外はまったくわからない。下ろせるのも当然シュケルである。まだ金欠というわけではないのでキャンセルし、そのときが来たら何とかなるだろうという気がする。

スーパーマーケットがあったので入ってみたが、特に変わったものは無かった。が、しかしイスラエルの旗を見つけた。なぜか知らぬがこちらの車は時たまイスラエルの旗を掲げて走っている。日本だったら右翼かと思われるようなのがたくさんいる。車だけでなく街中もあちらこちらに国旗のオンパレードだ。(後日聞いた話では、独立記念日が近いからだというが)記念にこの旗を買って帰ることにする。レジのおばちゃんは英語はわからないようであったが、紙に値段を書いてくれた。(5.99シュケル)

8時にロビーで待ち合わせてフランス料理を食わせるという店へ Ziv の車に乗せて連れて行ってもらった。行ったのは、Ziv, Guy, Sharon, Meir, Adi, N氏と私である。ゴラン高原産のワインなど飲みながらエンティティのマッシュルーム、メインディッシュの串焼き、デザートのシャーベットなどをいただき、たいへん貴重な時間をすごした。Ziv にいい飲みっぷりだみたいなことを言われたが彼だってずいぶん飲んでいる。また、30ぐらいにしか見えないと言われた。さすがに30も後半になると20代と言われることが無くなった。ちなみに Guy は電話で声だけは聞いたことがあり、髭の生えた怖いおっさんを想像していたのだが、会ってみたら好青年(Guy-左とZiv-右)だった。

Ziv に聞いた話だが、イスラエルでは女性が妊娠した場合、4ヶ月目に胎児の徹底検査があり、そこで問題が見つかった場合は中絶することになるそうだ。なぜそんな話になったのかは Ziv とのお約束で秘密あるね。

01年4月17日(火)− まだ火曜か

なんだかずいぶんいるような気がするのにまだ火曜日である。日曜から働いているせいだろうがどうもしっくりこない。今日の昼は、Shy, Daphne, Raf 達に会社から徒歩10分というところにあるショッピングモールに連れて行ってもらった。イスラエルという中東のイメージとは違う大きいショッピングセンターである。ここではイスラエル風のファーストフードを食べさせてもらった。何やら立てた棒の周りに肉がついているのを削いで、タコスのように野菜と巻いていただくのである。こちらの肉料理は何でもちょっと癖のある味付けがしてあるのだがこれもそうだった。が、食べられないというほどではない。

仕事が終わってホテルに戻るときに乗ったタクシーの運ちゃんは女連れだった。(・・;) 何やらしゃべっていたが急に腕をまくって二の腕の刺青を見せて、これはどんな意味だとか聞いてくる。ちなみに腕には漢字で「愛」と彫ってあったのだ。(^_^;) N氏がそれは Love だと教えてやったが、意味が通じたのかは定かでない。

晩御飯は、ダンパノラマというホテルの中にあるイタリア料理にした。ダークビールとメニューにあったので頼んで出てきたのは、「ツボルグモルト」というビールだがとても甘いのである。発酵を途中で止めればこんな味になるという感じで、アルコール度も低そうだ。まさか醸造に失敗したものではないだろうが、口に合わないので急いでたいらげ、カールスバーグのドラフトをお代わりした。注文したのはサーモンの料理である。まあまあだった。

ハイファの市内をぶらぶら歩いているとなんだかけっこうくつろげる。シアトルにいるときよりもいい感じがするのは、歩いている人が多いからなのか、今の気候が東京と似た感じだからだろうか?

ところで、今朝ランドリーサービスを頼んだ。着るものが無くなって来たからである。朝の8時半までに頼むと翌日にデリバリされるというがそれでは遅いので、エキスプレスを指定すると5割増で当日中に届けてくれるそうだ。というわけで今朝出したものが帰ってきたらできていました。以前シアトルで頼みもしないのにジーパンにプレスされていたことがあったがここでは問題なかった。(なんと358シュケル)

01年4月18日(水)− モッティ

今日は午前中は用事が無かったので、銀行に両替に行った。銀行の外にあるレート表に日の丸が見えたので円も扱っているだろうということで入ってみたが、中はヘブライ語だらけでさっぱりわからない。ようやく2階(こちらでは2階が1階になるので、実際は3階)にたどりついた。前に並んでいるおばさんがえらく大金を両替していたので時間がかかったが、「円をドルに変えてくれ」というと、あんまり大量にはできないよと言う。こっちは10000円を変えたいだけだと言うとパスポートを見せたり、今の滞在場所を聞かれたり、じっくりと札をチェックされたりしてようやく65ドル(たったこれだけ!?)になった。必ずシュケルを経由するので計算書も2枚である。(10,000 Yen -> 305 NIS -> $65.00)

ホテルのフロントに帰りのフライトのリコンファームをお願いする。航空券のコピーを撮っていたが、しばらくして部屋にそのコピーがコメント付きで戻っていた。フランクフルトまでの便はコンファーム番号が書いてあり、そこからの便はコンファームは必要ないということだ。

会社ではエスプレッソが飲める器械が置いてある。操作を Guy に教えてもらったので日に何杯も飲んでいる。日本でも置いてもらいたいものだ。こちらでは大体6時になるとオフィスが閑散とする。みなさん帰宅するのは早いようだ。そのせいかそれくらいの時間は、会社の近所の道路が大渋滞している。

いつもより1階上のフロアで打ち合わせをした時に、各従業員の個室のドアの入り口にある普通ヘブライ語で書かれている(だから人を探すのはたいへんだ。しかもデータベース上のルーム番号はいいかげんである)ネームプレートに、カタカナで「モッティ」と書かれたのが一緒についている部屋を見つけた。これが以前出張に来た人に聞いたモッティの部屋かと思って後でたずねてみたが、すでに帰っていたので残念ながら会えなかった。しかし、廊下をうろついているときに我々に興味がありそうな視線を投げていたおっさんがいたので、彼がモッティだったのかもしれない。

晩飯は今晩もホテルの近所である。ところがほとんどの店が閉まっている。なんとマクドナルドまでしまっていた。仕方ないので昨日行ったホテルの別のレストランに入って「ローカルビール!」と注文すると、「今日はノーアルコールデーだっ」と言われてしまった。何でもホロコーストに関連のある日だという事だ。仕方ないので、シードルなど飲みながら、スープ、ステーキを注文した。このグラーシュスープがかなりおいしかった。この出張で初めてカードを使って払ったが、チップを書く欄がないので戸惑った。チップは込みの値段だろうか?(トータル203シュケル)

01年4月19日(木)− 聖地に赴く

今日はこちらの会社のご好意でエルサレムに連れて行ってもらうことになった。エルサレムにしたのはやはり聖地というのを一度は見ておきたいからである。最近やれ侵攻しただの砲撃しただののニュースが飛び交っているようだが、ウェストバンクというヨルダン川西岸地域であってもパレスチナ自治区へ行かなければ問題ないというのが一般のイスラエル人の認識らしい。

ツアーのお迎えに来ていたのはどでかい車である。ガイドのヨダと運転手のライドが同行する。エルサレムへは海岸沿いのハイウェイをひたすら南下してテルアビブで東に向かうことになる。途中渋滞にもあったので出発して2時間くらいでウェストバンクのチェックポイントを通過した。イスラエル軍の警備兵がゲートを築いている。このあたりからパレスチナ人の住む町が多くなってくる。一般的にパレスチナ人の家は小さくて汚く、ユダヤ人の家はきれいだ。ここらあたりですべての車が路肩に車を寄せて車を降ろされた。何事かと思うと、ホロコースト関連で2分間直立しなくてはいけないということでサイレンも鳴っていた。日本でいう終戦記念日みたいなものかもしれないが、日本とは国民の意識が違っていて皆真剣である。

イスラエルの気候について尋ねたところ、春夏秋の3シーズンしかなく、しかも春は数週間で終わってしまう丁度今だそうである。夏は雨が降らず、冬になると雨季ということのようだ。

さらに東に進むこと30分、エルサレムに近づいてきた。エルサレムの市内に入るとまず「British Minitary Cemetery」という第1次大戦時のイギリス軍の墓を通りがかりに見た。次にオリーブ山の天気がよければ死海が見えるというポイントに連れて行ってもらったが、残念ながら今日は見れなかった。そこから程近く、ユダヤ人墓地の上の場所はイスラエルの旧市街が一望できるポイントだ。ここで近くにシンドラーの墓地があるというので寄ってもらうことになった。その前にすぐそばにある昇天教会に寄る。復活したイエス・キリストはここから昇天したという。イエスの足跡というのもあった。

シンドラーの墓はヨダでもどれかわからなかったのだが、映画「シンドラーのリスト」を見たことがあるというN氏が石が載っているのがそうだろうということで見つけることができた。

いよいよ旧市街に入っていく。入り口にあるのはヤッフォ門という大きな門だ。ここで車を降りて以降は歩いて回ることになる。その前に腹ごしらえが必要だろうということで、ヤッフォ門を入って左に曲がった先にある「NAFOURA」というレストランに入った。平日のせいか空いていて客は我々だけである。イスラエル料理に必須のフームスといったのや「Sish Taouk」というチキンの串焼きを頼んだ。ここのレストランがとても静かで落ち着いた和やかな雰囲気だったのでとても気に入ってしまった。パレスチナの地ビール「Tayben Beer」も結構うまい。(トータル280シュケル)

まずマーケットを通って買い物をする。あまりにたくさんの店があるのでとてもすべては見切れないし、ヨダが値切らなきゃだめだ見たいなことをいうのであまり乗り気ではなかったのだが、イスラエルの地ビールのTシャツを見つけたので思わず値切るのも忘れて衝動買いしてしまった。(40シュケル)結局お土産を見る時間はこの短い間だけだったので、これ以外には何も買えなかった。短時間でエルサレムを見て回ることはどだい不可能である。

見学の時間もあまり無いので、次に聖墳墓教会に行く。ここはイエスが磔にされたゴルゴダの丘があったところに建てられた教会だ。ゴルゴダの丘が建物の中にあるというのはちょっとした驚きだった。だが、別の場所ではないかという説もあるらしい。イエスの遺体に油を塗った台とその模様を書いた壁画、イエスの墓、アダムの頭蓋骨が埋葬されたという所、十字架が建てられたといわれている所などが狭い範囲で並んでいるので見学した。映画「ベン・ハー」などでしか見たことのない世界のことが目の前の場所で実際に行われたと想像するのは難しいが、厳粛な雰囲気に打たれた。例えて言えば京都の古い寺に行った時の感じに更に神秘性が加わったという感じである。キリスト教徒ではないのでそれ以上の感動は残念ながら無い。そのためかイエスの墓石などに触っても何もパワーは得られないようだ...。この近辺にはそれ以外にもローマ時代の遺跡なども残っている。

最後にユダヤ人の聖地「嘆きの壁」を見に行った。黒いスーツに帽子姿の男性がたくさんいて壁の前に立っている。壁の前に行くには帽子をかぶっていないといけないということで、カッパ、じゃなくキッパという例のカッパ帽子を紙で作ったやつが置いてあるのを1つ取り、かぶって壁のそばに行く。ユダヤの人は聖書か何かをぶつぶつ読みながらキツツキのように頭を下げたり上げたりしている。ユダによるとコンセントレーションを高めているのだということだった。壁の脇に洞窟のようなものがあるが中はキツツキがいっぱいいる。また聖書か何かが大量に置いてある。なお、キッパをかぶるのよりも、黒いスーツに黒い帽子をかぶっているのが正式なようだ。ただしこの格好をしている人すべてがきれいという訳ではない。日本でいうホームレスっぽいのもいた。

エルサレムを後にする前に国会議事堂を見せてもらった。ここもライフル銃を持った警官で警備されている。市内も同じような装備を持ったイスラエル軍の兵士がうろうろしている。男子は3年、女子は2年の兵役が義務化されているということだった。

エルサレムの街中で車を道路わきに止めていたとき、ライドが通りがかった姉ちゃんを指差していい女だろうみたいな事を言ったが、特段そうは思わなかった。イエスとは言ったけど...。(^_^;) 比較的暑いせいかおへそを出している女性が多いようである。

ハイファに戻ってきていよいよヨダとライド(左からライド、N氏、ヨダ)とはお別れだ。ヘブライ語のほかに英語、ドイツ語が話せるというヨダは気さくに話していろいろ教えてくれたし、前に車間距離が開くと詰めずには いられなく、さらに邪魔なのがいるとその運転手にガンを一発入れないと気がすまないライドもドライブを楽しませてくれた。^^; 撮った写真はもらった名刺に書いてあるヨダのメールアドレスに送ってくれということである。(トータル440ドル)

さて、今日で出張も最終日である。今晩空港に行かなければならないので、最後の土産探しに出かけた。その前にシュケルが淋しくなったので、40ドルを160シュケルに交換する。エルサレムではほとんど時間が無かったのだが、ここハイファのホテル近辺もあまり土産物店が無い。まずお菓子屋を見つけたのでイスラエル製のチョコレートをゲットした。(20シュケル) お薦めはベルギー産のだったが、それでは面白くない。次にスーパーマーケットに行き何か日本では買えないようなお菓子はないかということで、怪しげなのを2点ほどゲットした。会社には自分では決して食べないこういうのを持っていくのがいい。この店のそばにお土産屋があるのを見つけたので、うちへの土産(キーホルダーとお皿)をゲットした。会計の時に後ろの棚にカッパ帽子が並んでいたので、「ユダヤ人ではないがあれは買えるのか?」と聞いたところ、「土産物屋にあるのだから買えないわけが無いだろ」と言われてしまった。ということで真っ白いのと青いのの2つを選択してゲットしました。今後会社でへまをした人は懺悔のためにこれをかぶってキツツキになってもらうことにする。(73シュケル)

今晩の飯はホテルの隣にあるモンゴリアン料理の店にした。飲み物を頼んでパンと前菜が来た後は、別室へ移動し好きな肉、野菜、調味料を選んでそれを長い2本の棒で調理してもらって持って帰って食べるのである。いろんな肉が置いてあるのだが、ビーフを選んでもなぜか歯ごたえが日本のビーフとは違って噛みづらい。また、調味料もいろんなものがあり何を選んだらいいかわからないのであまりおいしくならない。プロに頼んだ方が良いそうだ。(トータル199シュケル)

01年4月20日(金)− さらばイスラエル

深夜の2時半にチェックアウトする。冷蔵庫に買いためておいたビールを全部消費してうとうとしたが、シャワーを浴びてすっきりした。ホテルのチェックアウトでレシートをくれないのでレシートを請求したら、支払いはイスラエルの会社持ちだから出せないといわれた。こっちでホテルを予約してもらったので勘違いしているようだが、自分で払うといっても受け付けてくれなかった。タクシーが待っているのでそれ以上の説得は諦めることにしたが、この後の清算手続きどうなるのか考えると憂鬱になった。Daphne に借りた電話ケーブルは返す暇が無かったのでフロントに預けていくことにする。

空港に着いたのは4時10分だが空港は早朝にもかかわらず人がたくさんいた。初めに噂に聞く厳しい出国審査を受けなければならないということで、セキュリティチェックの列に並ぶ。既に4列で100人ぐらいの人が並んでいたのでうんざりした。セキュリティチェックは並んでいる列の仕切りの向こうでわいわいがやがやと一人ずつ担当者がついてやっているようだ。20分ほど待ってようやく自分の番になると、若い青年が迎えに来た。「何しにイスラエルに来たか?」に始まって、「どこへ行ったか?」「誰と会ったか?その名前は?」「旅の目的は?」「担当する製品の概要は?」「どうしてイスラエルに来ないといけないのか?」「友人はイスラエルにいるか?」「何か貰ったか?」「自分で荷物を詰めたか?」など30分に渡って質問攻めにあった。荷物の中身については全く検査はしなかった。同行のN氏は若い女性検査官2名に捉っておりさらに時間がかかっているようだ。このチェックさえ終わればあとは通常の出国手続きと同じである。帰りも荷物はフランクフルトでピックアップすることなくスルーで成田まで行くらしい。

このテルアビブ・ベングリオン空港は出国手続き後の施設が非常に多い。免税店はもとよりおもちゃや、電気やまである。しかも、冷蔵庫などの家電も売っているが一体誰が買うのだろうか? エスプレッソ(10シュケル)など飲みながら時間をつぶしたが、またも怪しげなお菓子があったので会社土産にゲットする。(5.28シュケル)イスラエルの国旗で違うタイプのものが置いてあったのでそれもゲットすることにした。(24シュケル)これでシュケルの紙幣は1枚も無くなった。

エルアル・イスラエル航空(テロの対象になりそうでちょっと不安)のフランクフルト行きは B757 であった。朝食か何か頂いた後は爆睡に突入したのであまり覚えていないが、フランクフルトに着いたのは4時間後くらいだったと思う。現地時間の11時頃着陸した際に機内でいっせいに拍手が沸き起こったのでつられて拍手した。そういえばイスラエルに着いたときも拍手していたような気がするので、ユダヤ人の習慣かもしれない。

フランクフルトの空港も異様に広い。乗り換えのために歩いていたら入国審査のカウンターに行ってしまった。すっかり迷ったのである。しばらくうろうろした挙句パスポートなんとかと書いたゲートの人に聞いたら其処を通ってメインホールのルフトハンザのカウンターへ行けということだ。パスポートにはんこを押したので仮出国のような形になるのであろうか? それからもうろうろして2回ほど道を聞いた挙句、ようやくルフトハンザのチェックインカウンターに着いた。来る時は成田で日本航空とアリタリア両方チェックインできたのに、今回は別だったので面倒くさいのである。なお、行きの日本航空/アリタリアは JAL のマイレージに登録できたし、ルフトハンザのフライトは UA のマイレージに登録できた。

ゲートに向かう際に今度は通常のセキュリティチェック、出国審査を通った。ゲートまでは非常に距離がある。途中土産物を見たが心を動かされるようなものは無かった。それよりもビール好きとしてはドイツに来てビールを飲まないわけにはいかない。(この後のフライトの事を考えてトイレが近くならないようにビールは極力避けたいのだが)これは義務である。フランクフルトの Galaxy Henninger Premium Lager というのをカフェにて注文した。非情に残念ながらソーセージは扱っていなかった。(5ドルで2マルクのお釣り)

全日空とのコードシェア便の B747 は満員ではないがそこそこ混んでいた。夕食こそ頂いたものの成田に着くまでほとんど爆睡状態であったので、帰りはとても短く感じた。いままでに飛行機内でこんなに寝た記憶は無い。(いつの間にやら朝食タイムが終わっていたほどだ)機内の設備は日本航空と比べるとお粗末である。

成田には土曜日の朝8時に到着した。早朝のせいか空港はとても空いている。それから成田エキスプレスを使って自宅に着いたのは11時。ハイファのホテルを出発してからおよそ26時間後のことであった。

 

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