赤城大沼について
 
(南橘の自然観察とと環境を守る会 自然観察会の資料より)

(1)大沼の成因
約100万年前から火山活動が始まり、爆発をくり返し3000m近くにも達した赤城火山は、その後大規模な火砕流を噴出して山頂部が陥没し大きな窪み(カルデラ)が生じた。そこに水が溜まって古大沼(カルデラ湖)が出来た。そして1〜2万年前にカルデラ内の火山活動で見晴山や中央火口丘の地蔵岳などが生じて湖は分断され、外輪山の黒檜山と地蔵岳の間に位置する現在の“半月形”をした大沼になった。カルデラはポルトガル語で鍋の意味。
大沼(おおぬま)の正しい呼び方は“おの”。<小沼(こぬま)は“この”>

(2) 大沼の規模
標高1345m、面積88ha、周囲約4km、水深16.5m。
{透明度4〜5m、春・秋の循環期、夏の停滞期(成層)、氷の厚さ約40cm、穴釣り}
 
実際の標高は1280〜1290mらしい。水温は4℃で一番重いため、冬から春になると、氷が解けて水温が4℃になると表面から下に降りていく(秋はその逆)。夏は水温の高い部分と低い部分と分かれて停滞する。大沼の夏の湖底の水温は約5℃
風の攪拌が影響するのはせいぜい水深3mくらい。

(3)大沼の水
流入河川は覚満淵からの「覚満川」のみで、湖の周囲(特に地蔵岳側)に湧水はあるが、ほとんど全ては雨(雪)水が溜まったものである。


(4)大沼から流出する河川など
●「沼尾川」によって利根川に注ぐ。
●沼尾川の水門近くにある「大沼用水」で取水された水は、新坂平の下を抜けるトンネルで導かれて白川に合流し、箕輪で分水されて富士見町の農業用水として利用される。
旧富士見村は赤城白川が伏流のため水不足に悩まされ、水をめぐって、村民の間で争いが絶えなかった。かの船津傳次平が大沼から水を引く計画をたてたものの、実現にはいたらず、その後、木村與作、樺澤政吉、須田惇一たちが後をついで、84年もかかって昭和32年にようやく完成をみる。


(5)小鳥ケ島


かつて赤城山の極相林として貴重な植物の生育する“島”であったが、昭和22(1947)年9月15日のカスリーン台風で黒檜山西斜面の土砂が崩れて地続きの「半島」になった。また大沼南西部にあった赤城神社が昭和45(1970)年にこの地に移転したため、植物群落を始めとして島の様相が一変した。