銭湯の初めはいつ頃か。銭湯の起因ともいうものは、寺院の施浴(せよく)すなわち「ほどこし湯」で、
江戸時代には「寺湯」とも呼んでいました。
仏教が伝来して、寺院の堂舎が整備すると、この中に必ず温室(温室院)または浴室(浴室院)と呼ぶ
堂舎ができ、後に七堂伽藍といえば、これが一堂に数えられるようになりました。
温室は蒸風呂のことで、一室に熱い蒸気を送り込んで浴する。浴室は今日の浴場のように
湯舟(湯槽)にザブンと入るもので、これは蒸風呂と区別して洗湯(せんとう)と呼んでいました。
しかし後世では、温室、浴室ともに同じく浴することから、混同して蒸風呂を浴室、洗湯を温室と
呼ぶようになり、今日「フロに入る」とか「湯に入る」とかいって、一つのものが二様に呼ばれていると
同じである。
この温室は病気の僧(尼)が医薬、医療に心得のある専属の医僧の指示によって、医療や保健に
あたるところでありました。
浴室は湯で、寺内に安置した金剛仏を年に一、二度洗ってさしあげる場所とともに法会業に参集する
衆僧が清めのために入浴する場所でもありました。
この両室には仏像が安置してある、『温室経』などに示されている入浴作法もあり、戒めもありました。
ところで、寺院では参詣、参集の俗人に清めのためにこの浴室を、また病気治療や保健として
温室をともに開放、無料で利用させ始めた。これが施浴であります。
ところで両室の開放利用の功徳にあずかった人々はみな心身のさわやかさ、病症の快復に歓喜して、
この施浴を願望するようになりました。
大寺院では、俗人の願いを入れて、大衆の入浴を主とする建物を別に寺院境内に建立し、
これを一般に大湯屋と呼び、この中に蒸風呂、洗湯の両方を設けるか、洗湯だけのところが多いです。
この施浴の繁盛から個人が営業を思いつき、小規模ながら、寺院の両室や大湯屋を模した湯屋が街に
あらわれ始めました。
この街中の湯屋は「ふろ」(蒸風呂)あるいは「ゆ」(洗湯)だけのところであるが、両者の呼び方が
混同して「ゆ」でも「ふろ」と呼ぶので、湯屋を風呂屋とも呼んで、どちらが先に街にできたかは
不明なのです。
平安時代の『栄華物語』などに街の湯屋についての記事が散見するところから、この時代にはすでに
湯屋が営業されていたと思われる。
ところで「法楽」(ほうらく)という言葉を御存じでしょうか。お風呂屋が新築したときや改築など
したときに、開店初日を「法楽」といって無料で入ってもらいます。
この言葉は仏教からきているものです。
「宝楽」や「放楽」とも言われていますが本当は「法楽」(法を楽しむ)が正しい使われ方です。
この事を知ってお風呂に入るとまた一味違う入浴ができると思います。
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