ちょっと休み時間に抜け出して、シンエモン君はローソンへ、小生は道を隔てたX病院に出掛けることにした。
出掛けるなどと言うと大袈裟だ。出張したのである。アララ、余計大袈裟になってしまった様ですが、健常者の時分に健常者の見舞いに来て以来この病院は久方振りです。
一人寂しく窓の外を眺めながら「あの人はまだ来ない、来る、こない、こない、こない」とアグネスチャンチャンみたくいじらしそうに俯く彼女の元へと、小生は急ぐ必要はなかったのです。そんな人物は存在していない事は明白な事実であったからです。
ションボリとたった一人寂しく工事現場横を通り抜け、X病院の裏玄関へと左手に握った杖とともに向かいます。表玄関から入るのは気が引ける。晴れて裏口入学が許されたから大手を振って裏口から失礼などという若者は昔程ポピュラーではないのか、たるんでおるではないか、少子化現象の折り大量入学させねば大学経営が行き詰まってしまうではないか森君、と一人うそぶく小生であった。森君が気持ち悪がって怒ってるぞ。あー森君って偉い人じゃなくってさ森進一君じゃなくて昌子君でもなくてさ、そこのあの、そんな時間があったら手足の運動の一つでもやれと言う森君の声が聞こえてきそうだったが、天の声は冷たく聞こえないのであった。天声なんてまっぴら御免だわさ。誰も通らない裏手の玄関近くに、昼休みの休憩か、背広を着た紳士が車の運転席で休んでいる。ただ休んでいるので無く、一心不乱に勉強をしながら休んでいる。これが一時流行った「ながら族」か?ながらならながら族に決まっている。 なにやら本を見ているようだが怪しい雰囲気。小生が車の前方斜め横128度40分を横切ると後方210度30分(ゴタラメね)、敵一瞬たじろぎ身を正すかに見えたが、すぐに体制を立て直した。上手く攻撃を交わし安心した様子が体中に滲み渡っていた。
良かったね、こんなお茶目な僕で。安心したよね、慌てて隠さなくても大丈夫だよ。
と小生は言った覚えはないのにそのように察したらしい。なかなか勘が良い。むむむ、敵もなかなかやるわい、と思いつつX病院の裏口玄関に入った。玄関ホールは閑散としている。時間が余り無いので軽くグルッと一回りと言うわけには行かないので、早速トイレを探した。 グルッと一回りとトイレとは一見何の変哲もなく関係はなさそうであるが、無関係という立派な一次方程式関係(デタラメね)ではある。
そのトイレの扉は押したり引いたりの開閉式だ。ドアーを引いてからそのドアーの開いている一瞬の間隙を縫って中に入ろうとした作戦を見事に見破られてしまうのである。意志のあるはずもないドアーにである。
「イテーナこん畜生!」などという下品な言葉使いは昔懐かしジャリの言葉使いにして、咄嗟に口を突いて出てしまうのであった。黄金の左手が”ドアー”に挟まれたのだ。性格には、黄金の左手の人差し指が、である。「正確には」である。白々しいですが、第一次変換がいけないのです。ひねくれ者なのですね。
こんな時って、杖を突くと言おうか、杖を持って”ドアー”を開けるという事はなんと非生産的、非効率はたまた”まぬけ”なことよ、と思うのであった。 「一度あることは二度ある」とブリタニカ世界の金言集百科の3583頁に出ておろうが。なに、3585頁じゃと、わりぃわりぃ。今後お互い留意すること。まあ、大した怪我もなく、従って入院の心配も無かったことが唯一の救い。もしこの人差し指が入院でもしたならば、小生生きてはゆけぬ、かも知れない、とは大袈裟だが、その可能性は少なくとも悲観的観測地点からは垣間見ることが出来ないが予測は出来る。不幸な運命に翻弄される蓋然性は極めて高いのだ。
たった一本の残されたこの動く手、働く手、五指を後生大事にしつつ、そして指孝行しなくてはならない定めなのだ。法度なのだ。「包丁一本〜晒しに巻いて〜行くが男の 板場の修業〜待っててコイさん〜 」 シ〜ん 何なんだろうッ、 この静けさは。(講義の時間)手の指は5本あるけれど、なかでも一番大事なのは”親指”です。親指さんだけは他の指とは違って”物を掴む”位置にあります。
猿だって同じじゃない?などと猿と一緒にしないでください。指5本は人間と同じかも知れないですが親指さんの存在位置が違うのです。物を掴む位置に親指があるのかないのか、それが重大問題なのです 。 あれば、人、なければ、猿であります。あ、いや、決して猿を馬鹿にしている訳じゃあないです、最近の猿は頭も良いそうですから。以上抗議終了、またまた変換ミスで講義終了。テレビで放映していたから本当だと思うけど、 とすぐテレビを信用する素直なオイラであった。とぼとぼと歩いて壁に貼り付けてあるX病院の見取り図に目を走らせ、自分の位置を確認する。ここの5階は脳神経科だが、入院していた病院よりさすがに規模が大きい。負けた。勝ち負けの問題じゃあないが負けた。乾杯だ。ねえ長渕さん。
地図には左奥は「霊安室」と書かれている。フーン と肯きながら左手奥を見ると「霊安室」と書いたドアーが見えた。ひっそりとしている。手前のドアーも固く閉ざされている(固くか否かは実のところ定かではない)。薄暗かった。ここの人通りが少ない理由が分かった。「霊安室」は人通りが少ないところに設置されるのだ。イヤ正しくは、「霊安室」および近隣は人通りが少なくなるように計画設計施工されておるのだ と推察される。厳粛な空気が漂っている。
そう思って見渡すと、喫煙所を備えた広い廊下には天才ミケランジェロの荘厳なる天井画や絵画と奇才空海筆致の書が所狭しとして掲げられておれば驚嘆したのに、名も無いモノが展示してあるのみで、 あっさりとした作りに何となく納得だ。喫煙所は曇りガラスの仕切がしてあるので、煙は廊下を歩く人には届かない。残念。などと余計な雑念が沸いてくる、か、こないか、どっちだ。
しかし、お爺さん達よ、そんなに煙が美味しいものかねえ。はい、はい、おいらは美味しいとオモウケドもね、 ダハ、ハッハッ。パジャマ姿で4,5人で吸うモク、寡黙に吸うモク。きっと他にこれと言って取り立ててやることもないからでしょうが、箱にも書いてあるようにあまり吸いすぎると健康上悪いですよ。
煙草とは不思議なもの、忙しければ吸い、手持ち無沙汰になれば吸い、どっちに転んでも何となくサマになり。
「もしもし、あのね、そのね、え〜〜とね、霊安室てエのはネ、このネ、廊下挟んですぐ隣でシュ、グズン」などとは言わないが、よくぞここに喫煙所を設営したなと、時代が時代なだけに肩身狭いしな。オレも煙草止めたし、マジに、。ひじょ〜にサビシーーッちゃん 。この廊下、やはり行き止まりになっていたのでUターン。右足(麻痺側)を意識して前方へ進ませる。最近歩き方を変えたのだが(そんなに幾通りも歩き方があるはずはないが)、何気なく右足を進めるよりも”足を上げて”やった方が歩いているのだという気持ちがする。気持ちネ、キモチ。まあ、常に”上げる”と言う訳じゃないけど。 格好は気にしない気にしない(と言いつつ気にしてるが)。ただ最近足が強ばってきているような気がして、これでも世間並みには心配しているし日本の行く末が心配だ。
裏玄関を出てさっき来た道、何時か来た道、ああ、そうだよ〜と尋常小学校で見た映画を想い出しながら鼻歌を歌って早々と帰路に就きました。何のことはない、結果、ただカワヤを借りに行っただけでした。
先程この場所まで同伴であったシンエモン君が道路の向こう側におります。彼は脳出血とは違いますが小さい時から障害を抱えているそうで、「シゲさ君、シゲさ君」と親しみを込めて呼ぶものですからとても有り難いことです。
「僕さ〜」「僕ね〜」と自分のことを呼称しながら話す言葉使いには優しささえ感じます。年はお互い20歳を越えています。エー?シラバックレルじゃねえ と言うことですか、ハイ、30過ぎで手を打っては ハイ、40なんて邪推しないでね、ね、ネ、あれ〜ばれとるか。小生が道路を渡ろうとしていると「そこ横断歩道無いからダメだよ、ダメだよ」とシンエモン君が何やら騒いでおります。それを敢えて無視し、つまり心を鬼にして道を渡り始めます。トラック野郎様お出入口の誘導をするオッチャン様が道路に出てきて車が来ないかどうか確認してくれます。シンエモン君の言った言葉が聞こえても聞こえない振りをして、渡るが勝ち、という訳の判らぬ呪文を唱え道路の向こう側に無事到着。ニタ〜 とした作り笑顔が我ながら印象的な昼休みの一時でした。いっとき、ね。
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シゲさ