これからお風呂ポチャポチャへ行ってめえりますだあ。左様でごぜえますだあ。我が家のポチャポチャでげす。へい、何もネタがネエでげすからちょっくら風呂に浸かって何かネタでも仕入れてこようと思いますダ。行ってめえりやす。ガラガラ、トン。わしゃあ足が悪いもんでほれこの通り、足首から先は真っ直ぐになっちまうだがどうしようもねえな、こりゃあ。あ〜あ、気持ちいいなあ。おりゃあこうして風呂入れるなんて思ってもみなかったなあ、まんず。昼間っから風呂入って神様の罰さあたらねかなあ。ありゃまあ。
シゲ爺さんはお風呂に入るのが楽しみで午後3時になるとそわそわする毎日だ。蛇足だが、シゲさは毎日はお風呂に入らない。風呂に対しては頑なに低姿勢で人が羨むほど謙虚だ。彼は七面倒臭いことは遠慮する質なのだ。
シゲ爺さんは41度の湯に乾いた手拭いを沈める。ぶくぶくっと音を立てて沈む。左手でおもむろに引き上げる。素頓狂なタコがポッと音を立てて水面に浮かぶ。あはははっ。シゲ爺さんは何が面白いのか満面に笑みを湛えている。外は雨だ。懐かしい雨音だ。懐かしい雨の匂いもする。目を閉じれば半ズボンに長靴の洟垂れ小僧がいる。もっと先に戻れそうな気がする。雨はついこの間も降ったが何時降っても懐かしい気持ちに浸ることが出来る。どうしてだろう、おらのガキんときが想い出されるからか。それとももっと以前で未だお母ちゃんの腹ん中にいた頃が想起されるのか、まんず不思議だ。ザァーザァーザァー。心というものがあるんなら総てを洗い流す雨音。心というものがあるんなら総てを無にしてしまう雨音。シゲ爺さんはそこで考え込んだ。心って何んだ。零と無は果たして同じなのか、むむー、夜も眠れなくなっちゃう、考えるの止めよう。
追憶に浸るには打つ雨、叩く雨、通り過ぎる雨、どれをとってもその音色は似合うものだ。同時に脳裡に去来する記憶は美しいものばかりだ。
世間ではほろ苦い想いというものもあるらしいが、ことシゲ爺さんには該当しないらしい。戦時中で敵機に槍持ち戦っており思いで作りの余裕がなかったというのだが、ま、信じよう。暫く静かに雨の音に聞き入っていたシゲ爺さん。隣家の犬がワンと吠える。ほほっ、人が来た警戒の其れかな。雨音には丁度良い按配じゃ。と、一人悦に入っていたら風が時々換気扇の蓋をめくり上げ、落とす。ガシャン、ガシャン。あまり好きくないなあこの音、相変わらずダクト部分壊れてるしな。そう爺さんは言うが他にも涙の数ほど直したい箇所がある。築後そんなには経っていないがもう既に彼方此方と気に入らないらしく、あばたはあばたであり、えくぼなどと甘ったれた考えはない。畜生め、と癇癪を起こす爺さんは自由にならない足が歯痒いらしい。あんなオゼエ換気扇なんかイラネエやい。分かります、分かりますその気持ち。じゃあ私に下さい、って自分が自分で貰ってどうするの。
俺が若かったら家の一軒や二軒屁でもなく建てるのに。金ならあるよ腐るほど、ほら、ってなにこれ、貸方に現金だよ。マイナス現金だから借入金だよ、これ。腐るほど借入金ありだよこの通帳。そう言うことは全然門外漢なんだから、と誰かに言われて納得する爺さん。何をやるに付けても焦れったくなるシゲ爺さん、も一度帰りたや花さか爺さんの頃に、と思うのでした。そんな訳無いか。飲むほどに酔い、浸るほどにふやける。ちょっくら出て体洗うべ、よっこらしょっと。そうだそうだ、このめえテレビが喋ってただが風呂から出るときにはちょっくら尻突き出して腰折ったまま暫くこの格好でいるだって。こうすると急にゃあ血圧上がらねってで、兄さん。兄さんは居ないって言うのに、独り言だよ爺さん、独り言、誰にも通じないんだから。そうかい、ワリイワリイ。あらまっ、爺さんに通じた。まあさっきから通じてはいるけどね。
しかし爺さん元気が良い。無骨の人だから恍惚の人には成れないでいるが、根が朴訥とした性格だ。気色も良い。風呂釜から漸く這い出ると一歩あるき蛇口横の手摺りに捕まって移動し、母ちゃんの作った椅子に腰を下ろした。
午後3時に風呂に入ることを贅沢な行為だと隣の爺様が言うとったが脳卒中してどこが贅沢か。難儀するを厭わない気じゃあなけりゃあ風呂には入れぬわい。わしゃあリハビリじゃと思うて風呂に入るのじゃわい。そんなにカッカすると血圧が上がるよ、爺さん。其れにね、お風呂の温度も40度以下がベターだと言うけれどね。相変わらず人の言うことには耳を貸さないシゲ爺さん、巨人の星の一徹親父が爺さんになったのかと思わせるほどに唯我独尊を堅持する。一徹、ひゆま、姉ちゃんの暮らしぶりも決して楽ではないが子供の教育には頑固を持ってよしとする単純な一家ではある。だがあまりにも一徹の巨人への道の執念が厳しく、ひゆまに理不尽とも思える態度で接するのであった。わりいね、横道から横道へ発展しちゃって、目が燃えているとこで来週なのね、何時も。ところでヒユマってどういう漢字っていうか字だったんだろう、忘れてしまった。飛ぶと馬、後は雄、遊、わかんねえや。こういうの度忘れって言うのかなあ、健忘症って言う程じゃあないな。いいの、どうせ僕はアホだから。
シゲ爺さん、頭を洗った。歳をとっている割には未だ毛というものがある。しかしボリボリと頭を掻くとススーッと毛が抜け落ちる。黄金の左手で(出ました、黄金の左手)右側も掻く。頭蓋骨が気持ちがいいらしく何回も掻く。毛が抜け落ち不毛の頭に為ろうともそんなことは気にしないで飽くまで掻くのだった。シャワーのお湯が目に染み込んで風呂の風呂たる所以を満喫する。伊達に歳はとらない。苛められることにこそ快感があり、苦しさの中にこそ真の喜びはあり、お風呂の中にこそ幸せがある、と思っている。長生きしろよ、シゲ爺さん。
柄の少し長い刷毛のようなブラシにボデイシャンプウというシャボンの元を垂らし左手で体をこする。肩、背中は洗いづらそうである。左手の肘から先はもとより二の腕も洗いにくそうで、殆どブラシも用無しである。こんなとき慈悲深く、発明の天才と誉れ高いドクター植松が障害者の為にそのもてる知恵のホンの一部を貸してくれたならば、と思う。ここ、真面目なとこね。シゲさも工夫しようとはしたんだが何せ時間が無くてね。これ、言い訳。ザンブッと湯船に入り浸かりたいが、壁の手摺りに掴まって片方ずつしか入れない。致し方あるまい。使うとは考えられなかったこの手摺りは意に反して使っていただいて本望であろう。
中腰になってしばし苦しい姿勢を維持する。うんちスタイルなんかしてみたりもする。アキレス腱が縮んでいるのでこうして少しでも伸ばそうとストレッチをしてから湯船に浸かる。いい気持ちだあ、と心の中でつぶやく。つぶやきシロウは今どうしてるだろう。いまは〜もうアキ〜だれも〜いない海、トワエ・モアか、あいつら元気でやっているだろうか。
まだ雨が降り注いでいる。ザァー、ザァー。
カシケーズの歌が浮かんだ。高校の時に友達のレコードを聞いたことがある。最初、ゴロゴロッと雷の音が聞こえすぐに夕立のサッと通り過ぎるイメージのように鉄琴のリズムで始まる。りっすんつーざりずむおぶざふぉーりんぐれいん。いつの間にかシゲ爺さんがいなくなり、シゲさ一人が取り残されていた。
目 次 ホーム 前 回 次 回
シゲさ