来訪者

来訪者

平成12年4月1日
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不確実性の時代だから記憶も不確実である。が、忘却という程阿呆さかげんは進んではいない。私は想像よりは若い。100bは100秒で歩けるし、5q位なら散歩も出来る。100bの男、5qの男と人は言う、言わないが。どうせあたしゃ100b13秒だよ、昔。ちょっと息切れしそうだ。
兎に角不確実性の時代だ。尤もガルブレイスの不確実性の時代が流行ったのは二昔前だったような気もしないではないが其れは不確実だからオイトイテだ。はて、ここまでキーを叩いて来て不確実性とか忘却は、書こうとすることと殆ど関係ない事が判明したわ。キーを叩きながら何を書いたらいいのか決めかねている。優柔不断だぞ。手前の悪癖だぞ。しらねーぞ。まあ何とかなるだろうぞ。「なんとかなるさ〜」だけ聞いて誰の歌か判る人は世代が接近してるかな。もっともかまやつヒロシ、マチャアキの年齢には遠く遙かに及ばないけど、生きている限りはお互い確実に日々歳老いていくから歳のことは言うまい。聞くまい。尋ねまい。

退院しての後、最初は抵抗があった。ていこう、テイコウ、抵抗、テコンドーが。人が訪ねてきたときの自分の自分に対する抵抗と人に対する其れと何だか分からない其れとがあった。いやいや待てよ、抵抗というより自信喪失という陥穽にはまっている自分の姿の方がこの場合フィットするな。
人生とは何ぞや、などと大上段に振りかぶらなくても良いのではないか。事は簡単。シンプルライフ。懐かしいシンプルライフ。事は上手く喋れない、上手に歩けない事に対する自信喪失であり、そんな自分自身へのささやかなる抵抗というか自棄である。銃や刃物を持たない抵抗であり、自暴自棄である。どうしたら自身に自信を持てるのか。葛藤があった。自虐的であった。が、今は其程の抵抗や自信喪失やら葛藤は無くなった(ちょっと立ち直りが早すぎないか?)。人生楽ばかり〜 助さん、角さん、参りましょうか、わっはっはっ、の調子が好きだ(どういう調子だ?)。忘却のパニックに出会い可笑しくなったのかも知れない。今まで培ってきた矜持は幻に帰した。障害者はもはや健常者ではない、という深遠なる事実を事実として再認識すれば精神も身軽になる。別に卑下している訳じゃあない。ワルイけど。残念だけど。悔しいけど。半分大冗談に構えてるけど。

来訪客
「ピンポーン、ピンポ、ピンポ、ピンポ〜ン」これ、体に悪い。心臓に悪い。脳出血に悪い。
「早く出て来いよ、居るんだろ、居るなら早くしろってんダ ピンポ〜ン」
「私来てんだからサ 早く開けてヨ ここ開けなさいって ピンポ〜ン」
「隠れても無駄だ、あなたは包囲されている、ピンポ〜ん」
何とかローンかツケウマかサツか。 様々な脅し文句に威嚇され奥の部屋から廊下とおぼしき床面を蹴散らせながら登場する。
「は〜い」当初は返事はすれども声にはならず。だが廊下を歩くその足音だけは家中に響き渡る。殿、殿中でござるぞ、殿、と自分に言い聞かせる。右足に装着したる装具の床を蹴り上げる音、微かに残る摩擦音。
トン、ツー、トン、ツー。モールス信号ではない。装具と床の織りなす華麗な合奏音である。カスタネットで一拍置いて打ち鳴らす音楽のように。「ン、チャ、ン、チャ、ン・・」とリズム良く鳴り響く。 モールス、カスタネット、どの様にも、又どちらにも聞こえる。
当初は驚愕した。イヤッーもの凄げー音だなあ、いやスゲエ、歩けねーナこりゃあ。家の中を歩くのが失礼無礼千万叩き切ってやる、と言われそうで心臓がどきどきした。尤もそんなことを言う人も無いのであるが。共鳴は家の造りに原因は由来しているのでは無いかと推察される。鉄筋コンクリート造り、換言すれば耐火構造物と同等の家でないと床面に響き渡ってしまうのであろう。且つ、一瞬踵より爪先が早く床に着地する(アチキの場合)。その後本来全体重を支え全てに渡ってあらゆる制御を果たすべき機能を持った踵が、その不可能は分かっているくせに爪先を追い越そうと何の躊躇いもなく一気に上から舞い降りてくる。遠慮と言うことを知らない。モウ〜ド〜ニモ止まらない〜。これが騒音の元凶だろう。こうなれば諦めの境地を通り越して偉く爽快ではある(ウソコケ)。
装具を着けていれば多少のカスタネットやモールス信号は致し方ないし、家では文句も言われないだろうが、他人の家では万が一にもお邪魔すれば多大なる気を揉むことは想像に難くはない。気にはしている。二階の女が気にかかるで、櫻。桜。さくらとくれば寅さん。寅さんか〜イイナア、寅さんになりたい、き、ぶ、ん。

「はいどうぞ」という以前からドアを開けて待ちわびている人がいると思えば、「どうぞ」と言っても暫くはドアの取っ手に手を掛けないでジッとしている人、そして忘れてはならないのが玄関まで「ン、チャ、ン、チャ」やって来ても、辿り着く頃にはバケラッタと姿を消してしまうドロンパのようなお方もいる。確かに時間は掛かるのだが何とも気の早いお方だ。どおせ用事など無いお方なのだろう。
「うんちはー、三河屋ですが〜。アレ、レ、どうなさいました? 」と聞いてくる人も居るには居るが殆ど聞いてくる人は居ない。昼間の来訪客は顔見知りの人は殆ど来ないからこういう時のQ&Aは殆ど不要。
「ほほ、そうかいそうかい。まあ大事にしましょイ」というのは顔見知りの隣組の誰かだ。もっとも今は隣組の誰かは朝夕の家内の居る時間帯を見計らってやって来る。気を遣っている。先方が気を遣っているのだ。すまぬ。HPの場を借りて「すまぬ」と言おう。「涙と言おう」は森田健作。

来訪者の、全てを刹那的に感じ取ってしまう得体の知れない能力に畏怖さえ覚える。初対面のその瞬間、「あなたに出会ったその日から恋の花咲くことはない、パンチでデート」って言うヤツだ。瞬時にして人の何たるかを見ぬく。既に呼び鈴を鳴らした瞬間から勝負は始まっていて、音に反応する態度の推測、玄関までの距離の推定とその要するであろう時間と速さ、その間の「ン、チャ、ン、チャ」のリズムと摩擦音の微妙なバランス、声の音色と返事をするまでの待ち時間、最後にドアを開けた瞬間、最終段階での大小に関わらず一瞬の誤謬の修正、訂正、削除、追加のチェック。プロである。訪問のプロである。まさに慧眼である。
「新聞代お願いします〜」だって。ガクッ。
「はーい、ちょっと待って下さーい」と書けば綺麗に聞こえるがキーで表現するのは案外と難しいので省略するが、ロレツが廻らない部分在りあり。新聞代、新聞代っと。あれ、ないや。ない、ない、ない。「すんません、母ちゃんじゃなけりゃあ分からんもんで、すんません」母ちゃんとは家内のこと、ワイフのことですが、サイフが無い、無いものは無いと一点張りで押し通すと大抵
「じゃあ夕方にでも来てみますから奥さんに言っておいて下さい〜」になる。
「奥さんに言っておいて下さい〜」だ。
「奥さんに」。
信用ネーのね、オレ。給料もないからしょうがねー金。

プロはだいたい立ち去るときに皆似たセリフを残す。「コ、小僧、オ、オボエテやがれってんだッ」じゃなかった、「じゃあ後で来ま〜す」「分かるようにしておいて下さ〜い」だ。判子が要るのは郵便局。大した郵便物でもないが(例えば使いもしないカードとかいったモノ)判子が要るので判子が仕舞ってあるタンスをこじ開けて探し、そそくさと持参する。
「あ、いいでね、ね、オレ捺すから。其れ貸して」 
助かります、本当に。そんな些細なことでも助かります。旅は道連れ世は情けです。小さな親切大きなお世話という様なことは殆どありませんし、いい人だなあ、郵便配達人に成れば良かったなあ。郵便配達人はベルを二度鳴らすだったっけ。
「どうも〜」と郵便屋さん。「どうも〜」と私。二人の間に友情が芽生える。感動的である。「どうも〜」の友情かあ。友情と言えば青春。中年の青春。今まさに燃え尽きようとしている青春。もしかしたら灰になっている青春。青春は美しい。美しいは花。歌は「青春時代だった」と過去形が似合うだろうな。

来訪者の中には一般的には皆から敵と見なされる可哀想な種族が居るらしいが、私に掛かってはひとたまりも無いのである。私だけでは無いだろうが。敵の戦意を喪失させるという心理作戦が見事に功を奏する、と言う程のことはないか。日常の普段のままの姿を表せばそれだけで良い。だってえ、五体不満足の人に執拗に強引なこと言える?
「ねえ、いいからさあ、1ヶ月でいいから、ね、頼むわ〜、サービスするからさあ、ね、ね、ね〜シマイニャ怒るぞ」っと。
健常者ならいざ知らず障害者を相手には言い出し難いのだろうなあ。経験から行くとまあそうだなあ、目と目が合った瞬間急に戦意喪失して、
「新聞、とってるよね、しんぶんね、エヘヘヘ」と愛想崩して帰っていく人が殆どじゃあないかな。尤も其程そういうセールスに来るのは多くはないけどね。ホントの実際の所は知らないけどね。私の家の界隈では其程評判悪いセールスは居ないし来ないしね。皆いい人達だから。ボラギノールのCMに出てくるお父さんみたいに、エヘヘヘって何時でも笑顔を絶やさない人しかいないよ。

しかし皆忙しくてすぐ帰っちゃうな。もっとゆっくりしていけば良いのにと思うけど忙しいのね。こっちは暇なんだけどね。お喋りの相手してくれるとホント助かるのにね。今度こそ暇の時にでもゆっくりと出掛けてね。わりいけど。


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シゲさ